シアワセノジョウケン
「それで、これからどうしますか?」 朝食の席のこと。 何とか復活したハリが、手抜きで申し訳ないのですが、と首を振りつつ、湿布を当てた尻尾を引きずらぬよう後ろを気に しながら押してきたワゴンには、ナシ=チャンプール形式の朝食が盛り付けられていた。 取り皿には白いナシ(ご飯)。種々のおかずを盛った皿が十枚ほどもあったろうか。そこから好みのものを選んで取り皿に 盛り、ナシと合わせて食べるのである。 (そうそう、マライの言葉にはなかなか面白いものがあって、「人」は「おらん(オラン)」、「ご飯」は「無し(ナシ)」、 「魚」は「いかん(イカン)」、「菓子」を「食え(クエ)」などという奇妙な対語が存在する。) 「ふ?ほうふるっへ?」 今朝も健啖家の高耶は嬉しそうに口を動かしながら、もごもご言って返事をしたが、直江には何と言っているのかわからない。 やれやれと首を振り、 「すみませんが、食べているものを飲み込んでからもう一度言ってください」 とチャイの入ったコップを差し出した。 「で。どうするって、何が?」 幸せそうにほおばったものをココナツミルクで飲み下して、高耶はようやく明瞭な言葉で訊いた。 直江はつと指を伸ばして、その唇のはたに残ったチリソースを拭い取ってやりながら、 「今の状態では向こうへは還れないでしょう? それをどうするのか尋ねているんです」 「……」 指で掬い取った真っ赤な液体をぺろりと舐めるのを見て慌てたように赤くなっていた相手は、問われてすうっと顔色を トーンダウンさせた。 現実を突きつけるのは酷なことだろうと思いながらも、直江は続けた。 「決めてください」 少し間をおいて、問う。 「……どんな手を使ってでも、今すぐに還りたいですか?」 「え?」 うつむきかかっていた高耶がゆらりと上を向く。 「無理やりにでも、というなら、方法は……無いこともないと思います。探せば。 ただし、もう少し時間を置いて力の戻ってくるのを待つ方が負担は少ないと……」 「待って……戻ってくるのかな……精霊力」 手をとめて、独り言じみた答えを返す妖精は、今までの存在感が嘘のように、希薄な光を纏っていた。 「……わかりません。例のないことで、私には見当がつきかねます。 ただ言えることは、負担の大きい賭けをしてまで今すぐにでも強制送還しなければならないわけではないということ ですね。少なくとも衣食住の面では、こちらに暮らすことに致命的な問題はないようですから」 「……うん……」 「どうしますか。今すぐに還りたいですか」 「……」 高耶の沈黙をどう取ったか、直江は小さくため息をついた。 その瞳が切なげに相手を見つめたあと、彼は呟くように言った。 「……そうですね。還りたいでしょうね……。 ええ。わかりました。心当たりをあたってみます。今日にでも」 いつまでも傍にとどめておきたい、という自分のエゴをゆっくりと振り払ってそう言葉を続けた直江を遮り、 「……オレ、邪魔か?」 高耶が真剣な眼差しで身を乗り出した。 驚いたのは直江である。咄嗟に反応できずに、間の抜けた声をあげた。 「は?」 「やっぱ……邪魔かなぁ……ここにいたら……」 その反応に、高耶は考え込むように腕を組んだ。 「ば、ばかな、邪魔なはずがないでしょう !? ずっとでもここへいてほしいくらいなのに!」 がたんと椅子を鳴らして立ち上がる。 食器がはねて派手な音をたてた。 その音に驚いたように大きな瞳で見上げてくる高耶に、直江は真摯な瞳で訴えた。 「お願いですから勘違いしないでください……俺はあなたにここにいてもらいたいんです。それこそ、ずっとでも。 でもあなたには元居た世界での生活や友達があるでしょう? だから還った方が幸せだろうと思って……」 一旦言葉をとめて、相手を見つめる。 先ほどの台詞と重ね、相手は少し赤くなった。 「じゃあ、もう少し様子を見ますか?」 直江は期待をこめてそう提案した。 一秒でもいい、長く傍にいてほしい。 相手には相手の世界があり、そこでも生活がある。それはわかっているけれど、それでも。 昨夜のような顔をいつまでも見ていられたら……と願うことは、罪だろうか。 甘い、囁き。 「―――ここに、いてくれますか……?」 直江は右手を差し出した。 交わされる眼差し。ゆっくりと高耶の瞳が瞬いた。 「うん……」 絡まる指。 とろんとした空気が広がってゆくのを、軽い衝撃音と 「あ痛っ」 というハリの呻き声が、がらがらと壊していった …… (↑尻尾をぶつけたらしい……) 第一幕 了 (26/02/02)