シアワセノジョウケン
『魔女』は高耶に為したものと同じ説明をさらに砕いて簡単に二人へ与えた。 親友たちはその話の内容にしばらく絶句していたが、やがて譲が口を開いて、 「……それで、高耶は還れるわけ?勝手にここへ引き留めて置いて、できないはないでしょうね?」 疑うような、皮肉るような、好意的とはとても思えない声音だ。 『魔女』という特殊な種族の一員が人間界に根を下ろしていること自体が疑わしく、おかしい話だと彼には 思えてならない。 人間と『魔女』とは本来体質が違う。例えば妖精と人間とが別の存在であるように、姿かたちは似ていても、 本質的に異なる生き物なのである。 当然、それが在るべき世界もそれぞれに別個の筈なのだ。本来ならば。 それがなぜ、こうして人間界に居る? その不遜な態度は一体何なのだ。 『ちょっとした気まぐれ』で吸力結界などというややこしいものを具現させ、それによって自分の大切な親友を 窮地に陥れるなど。 ―――許せない。 「どうなんです。できるんでしょうね? 高耶を還せ。早く、元の場所へ還せ……!」 ここへ怒鳴り込んできたときの高耶さながらの燃える瞳をして食って掛かる譲に、『魔女』はうるさそうな視線を ちらりと走らせただけで済ませた。 「おことに詰られるいわれはない。むろん、この私の力を以って可能でないものはないがな。 ―――しかし……」 ふと言葉を濁して当の落人に目を向けた彼の態度に不審をおぼえて、今度はスリアが口を開く。 「何かあるのか?」 彼は譲ほどヒステリックに高耶に同情してはいない。むしろ冷静に物事を見ている様子だ。 むろん、高耶を心配していないわけではないのだが。彼がこうして異界の狭間に落ちるようなまねをしてまで 助けに行こうとしたこと自体が、彼の親友に対する思いを物語っている。 ただ、彼は感情に無闇に流されすぎないという特質の持ち主なのだ。 冷静な問いかけに対して、魔女は落人の妖精へと視線を流した。 「……当人には別のご意見があるようだ」 「どういう意味?高耶」 視線を交わす魔女と親友を交互に見て、譲が首を傾げる。 何か自分には理解できないものを、この二人は遣り取りしている様子だった。 一体何を。 魔女は高耶の何を知っているというのか。 その当惑はスリアも同じだった。 「オレは……ここに残りたい」 ―――親友の次の一言が、譲とスリアの頭を強く殴りつけた。 「どうして!?」 「何考えてるんだ!」 一瞬の空白の後、その場には二人の妖精の絶叫が木霊した。 しかし落人は聞こえないような顔で言葉を続ける。 「―――でもさ、スリアと譲を返してオレだけここにいたら、二度とあっちには還れないんだって」 ため息が深い。 しかし、親友二人にとっては、話はそういう問題ではなかった。 「そんなの、どうしてこっちに残るなんて言うんだよ!」 「頭を冷やせ、ばかやろう!」 どちらも滅多に見せないような仁王じみた形相でがなりたてる。 血迷ったことを言った親友を、信じられないと全身で詰る。 手が届かないと知りつつ殴りつけようと拳を振り上げた二人に、 「ばかでいい……ッ!!」 ……という叫びが振り下ろされた。 ―――親友二人は、初めて見る高耶の心底からの絶叫に、言葉を失った。 「ばかだよ!ばかでもいい。どんなに笑われてもいいんだ。笑えよ。―――でも!それでもオレは…… ここにいたい……!!」 高耶はきつく両手を握り締めて叫んでいた。 漆黒の瞳には激しい炎が宿り、全身から立ちのぼるオーラは確かに何かを叫んでいる。 言葉にはならないけれど、どんな台詞よりも雄弁な思いがそこにある。 ただ陽気に笑って跳ね回っていたあの頃とは何かが違う。幼かった妖精はいつの間にか誰よりも遠い 場所に手を伸ばしている。 欲しいものがあるのだと、どんなことをしてでも手に入れたいものがあるのだと、手放せないのだと、――― ―――そんな何かを、彼は今、全身で主張していた。 スリアにはその変化が見て取れたが、極度の心配性で過保護の譲には見ることができなかった。―――否、 気づきたくなかった。 彼は、食い下がる。 「だから、どうして!」 彼の親友は一瞬、何とも言えない顔をして口を閉じてから、ぽつりと答えた。 「……直江がいるから」 「……何?」 譲にはその言葉の意味が理解し難かったようだ。眉を顰めて問い返した。 スリアの反応はまた違っている。 「あのしつこい魔法使いが何かしたのか?……まさか、呪でも掛けられたのか!?」 ハッと何かに思い当たったように叫んだ彼に、高耶は大きく首を振った。 「違う!直江はそんなことしない!直江は、直江は……」 首を振り続けながら言い募る彼に、今度は譲が大声を上げた。 「じゃあ何だっていうんだよ!どうして直江さんのいるこの街に残るなんて。だってお前は付きまとわれて 嫌がってたじゃないか!それがどうして」 譲は譲なりに親友を思って激しく言葉を紡ぎ出す。 高耶はうまく自分の思いを口に出来ない。 堂々巡りになりそうだ。 「それはっ」 それでも黙っているわけにはゆかなくて高耶が叫ぼうとしたとき、窓の外から声がした。 「高耶さん!?高耶さん、いるんですか!?無事ですか!」 「あ、……っ!」 高耶が、ぱっと表情を変えた。 それは劇的な変化だった。 「あれ、直江さん?」 眉を跳ね上げた譲の声にかぶさるようにして、再びその声が響いた。 「高耶さん!」 窓に駆け寄って、高耶は身を乗り出した。 「直江っ……!」 「高耶さん!!」 直江がそれに気づいて叫んだ。初めて聞く、大声で。 「そこにいたんですね!よかった……会えて。 もう二度と会えないかと思いました。もう、魔女の力を借りて向こうへ帰ってしまったのかと思って……」 直江は石畳の上を走ってきた。そして窓のすぐ下に足を止めて、上をじっと見つめる。 心の底から衝撃を受けて、心配していたことが窺える憔悴した顔。 ここに来てその無事を確かめ、ようやく少しだけそれが緩んだ様子だった。 「直江……」 高耶は窓枠に手を掛けて身を乗り出し、魔法使いをじっと見つめた。 「高耶さん。聞いてください」 直江は改めて口を開いた。 彼が何かとても大切なことを言おうとしているのだと、気づいて高耶は息をのむ。 「……向こうへ帰る帰らないはあなたの意志で決めることだから、それに口を挟むのはいけないと思って いました。勝手にそれを曲げてはならないし、引き留めてもいけないと。 ……けれど、それが間違っていたのだと、さっき気づかされました。私がそんな風に中途半端な態度を取って きたことがあなたを苦しめたのだと、情報屋に言われてようやく」 「直江……」 窓を掴む手が震え始める。 「高耶さん。無理を承知で言わせていただきます。 ここへ残っていてください。帰らないで、私の側にいてください。ずっとここに。 あなたのいない日常なんて、欲しくない。 我が儘はわかっています。けれど、私は物わかりの良い人間を演じてなんていられない」 苦しそうに寄せられる地上の眉と対照的に、階上ではみるみる瞳が見開かれてゆく。 「私に哀願されて残る苦しみを与えるのはつらいけれど、何も言わないであなたをこのまま帰してしまうことの 方がずっと堪える。 傲慢を承知で言います。故郷ではない、友達もいない、この世界に、残ってください。あなたを誰よりも大事に する。あなたの故郷よりも、友達よりも、何よりも大事にする……」 「直江っ……」 限界まで開き切って、とうとう、大きな黒い瞳が耐え切れずきつく閉じられた。 そして、再び開かれたそれは、今度こそ、たった一人だけを映して漆黒に濡れる。 地上と階上とで見つめ合った二人を阻んだのは、高耶を心から心配する親友たちの声だった。 「ふざけるな!!」 「勝手ばかり並べやがって……世話になった恩を忘れることなんかできないこいつに、呪よりも強力な枷をはめて」 「そんなもの知るもんか!高耶は絶対に連れて帰る。こんなところにたったひとりぼっちで置いておけるわけない だろう!?何の保証もない口約束なんか、塵ほどの意味もない……!」 「譲!スリア!」 激昂する二人を止めたのは、高耶の行動だった。 「オレはオレのしたいようにするよ。ごめんな」 「高耶?何しようとして……っ!?」 「おい!高耶!お前羽もないのに、落ちるぞ!?」 窓枠に足を掛けて外へと身を乗り出した高耶は、中からそれを見ている親友たちにこれまでで最高の笑みを残すと、 下からハラハラして見守っている直江に向かって叫んだ。 「オレを受け止めろ!」 そして、羽を持たない妖精は綺麗に空を飛んだ……。 (18/12/02)