「た、た、高耶さん……なんて無茶を」
「賭はお前の勝ち」
宙に躍り出た妖精をしっかり抱き留めた魔法遣いは、さすがに上がった息を整えながら彼の顔を覗き込んだ。
相手は太陽のような笑顔を浮かべてその首に縋り付く。
「賭?」
「お前がちゃんとオレを受け止めてくれたらここに残るって決めて飛んだんだ。
羽のないオレが飛ぶにはお前の助けがなきゃいけない。そうだろ?
―――だから、オレを飛ばせてくれるお前がいるここに、オレは残るよ……」
オレを飛ばせて……お前だけの空に―――
「高耶、高耶っ……!」
窓から羽を使って飛んできた親友が地面の直前でふうわりと浮きながら、抱き合う二人に声を荒げた。
「お前、本気で残るのか」
スリアは真剣な眼差しで心配げにそう問うのみ。
「ああ。ごめんな、助けにきてくれたのに。本当に迷惑かけたよ」
「迷惑なんかじゃない。責を負うべきはあの魔女であって、お前には何の咎もないだろ」
「それでも随分大変な思いをしただろ?オレのために。掟破って、狭間を彷徨って。
―――ありがとう。それから、帰れなくてごめん」
「本気で……」
「ここがオレのいる場所だから」
「そうか。良かったな。悲しい思いをしなくて済んで」
「うん。嬉しい」
「いいんですか、本当に?」
「だって、お前が言ったんだぜ?残ってくれって。そしたら堂々と残れるじゃん。良かったよ」
「……高耶さん?」
「変だな……なんで涙なんか」
「高耶さん、泣かないで。お願いだから、笑って」
「あ〜!さっそく泣かせてるじゃないか。……もう、高耶、お前どうしてこんなのがいいんだよ?」
「おい、譲。馬に蹴られるぞ」
「うるさいな!」
「お取り込み中失礼だが、もう時間がないぞ。ご友人方、送り返してさしあげよう」
「魔女っ……」
「元はと言えば、全部あんたのせいじゃないか!高耶がここに残らなかったらこんなことにはならなかったのに」
「オレは幸せだよ。直江がいてくれなかったらとっくに消えてた。出会えてよかったと思う。本当に。
だから、高坂の魔法のことも偶然とは思いたくないんだ。それも全部含めて、ありがとうって思う」
「高耶……」
「まったく、お前にはかなわねーよ。……ほら、譲、帰るぞ!」
「え、ちょっと待てよ、離せって!スリアっ」
「しんみりした別れの言葉なんか苦手なんだよ。さっさと帰る帰る」
ごねる親友の手を乱暴に掴んで、金色の髪をした木の精は羽を広げた。
そこへ、人間界に残る元妖精の声が掛かる。
「スリア!譲!」
「高耶?」
振り返ると、
「ありがとな……」
泣きそうな顔をしている、黒い髪の妖精がそこにいた。
茶色の髪の花の精は、少し間をおいてから、つんと横を向いた。
「……ふん。後で泣いて帰って来たって相手なんかしてやらないよ。自分でここを選んだんだからね。
いい?高耶、絶対に帰ってなんか来るんじゃないよ。何があっても、頑張るんだぞ」
突き放すのかと思いきや、最後まで親友を心配し、励ましている彼である。
「うん。ありがとう。皆によろしくな」
高耶はやっと笑顔を回復して、最高の輝きをその瞳に宿した。
「これまで本当にありがとうって伝えてくれ。一生忘れないから。ずっとずっと、オレの故郷はあそこにある」
そうして、慌ただしく訪問者たちが本来の世界へと還って行ったその後で。
―――二度とは会えないのだと思って魔法使いの胸にきつく縋りついて肩を震わせていた落人の妖精に、
魔女がわざとらしく咳払いをした。
「ああ、そういえば一つ言い忘れたことが……」
「何だ。まだ何かあるのか、高坂?」
しっかりと高耶を抱きしめながら、直江が顔を上げると、高坂は横を向いた。
「お前に話しているわけではない」
「高耶さんは今別離の悲しみに浸っているんだ。くだらん戯言で邪魔するな」
むっとして直江が言い返すと、相手は、はああ、と深いため息をついてから独り言のように呟く。
「いや……あまりにも高耶殿が気の毒で……ついついあらぬことを言ってしまったのだったなぁ」
何度か首を捻りつつ、遠い目をして、
「いやはや、途中で言い出す暇がなく……結局言えずじまいだった。悪いことをしたものだ……」
うんうんと唸って
「しかし言うべきことだったような気もするな……」
ここまで焦らされて無視できるほどは、高耶は石像ではなかった。
「……何だって?どういう意味なんだ、高坂」
懐いていた胸から不審そうに顔を上げると、一人で唸る『魔女』に問う。
得たりと肯いて、高坂は口を開いた。
「ああ、それはですな……」
「―――それならそうと言ってくれればよかったのに。完全に騙された。あの野郎、人が悪ィよ」
すっかり泣きはらした目を、今度は別の理由から赤く染めて、落人の妖精は呟いている。
いつもの広い寝台の上でぷりぷりして言う彼をさらうように抱きしめて、魔法使いがくすりと笑った。
ちなみに、忠実なる使い魔ハリは朝からの度重なる心労のあまり寝込んでいる。ただし、別室で。
二人きりの寝室には、しかし、すっかり日常のものとなっている空気が漂っているのみ。
魔法使いは今はそれを苦とも思わず、とにかく目の前に高耶がいるという事実だけで幸せなのだ。
「あなたはだめでも、譲さんたちなら普通に行き来できるんですってね。永遠の別離どころか、いつでも会える」
「全くだ。あぁ恥ずかしい。オレ、ものすごくばかみたいなこと言っちまったぜ……あーあ」
妖精は真っ赤になって頭を抱えている。
それを愛しげに見守りながら、魔法使いはやはり微笑んだ。
そして、ふいに眼差しを真剣なものに変える。
「あれはあの男なりの背中押しだったんでしょう。ぎりぎりの瀬戸際に立たされたから、あなたは私のもとに残ると
決心してくれた」
「ん、そうかもな。もうどうしたらいいかわからなくなってたから。ああ言われでもしなかったら、心がだめになって
消えてたかもしれない」
ふと顔を上げて、妖精は魔法使いを見上げた。
「そんなことにならなくて本当によかった。
あなたがここにいてくれる。どんなに嬉しくて幸せか、伝わっていますか―――?」
―――胸の上に掌を重ねれば、幸せの足音が聞こえてくる……
羽のないオレを飛ばせてくれるお前の空がここにあるから、オレはここにいる。
それが、たったひとつかぎりのシアワセ。他には何もいらない。
それがオレたちの『シアワセノジョウケン』
(18/12/02 finish)