シアワセノジョウケン
「高耶ぁ……」 「どこにいるんだ?高耶」 掟破りの不法突入を強行した二人の妖精たちは、異界の狭間で何日とも数えがたい時間を堂々巡りしていた。 足元すら見分けのつかない歪んだ空間に彼らはいる。 暗闇の中に浮かんでは消える、どこかの風景。 それらはあるいは彼らの元居た世界の風景の一つだったり、あるいは別の世界の風景のようでもある。 世界と世界の狭間。 ここはまさにそういう場所だった。 手を伸ばして、ある風景を捕まえることができれば、そして引き込まれてしまったら、そこへと落ちてゆく。 どこへ行きたいのか、どこへは行ってはならないのか、その判断が全ての分かれ道なのだ。 二人は、ぷかりぷかりと浮かぶ風景のどれを掴めばいいのかわからずに、長い間ここを彷徨い歩いている。 「一体このどこに高耶がいるんだ」 茶色っけの強い髪、暗褐色に近い黒の瞳をした花の精が、もう何度目になるのかわからない焦燥を吐き出した。 こうしてぐるぐると時間を無駄にしている間にも、大切な友の身には何か大変なことが起こっているかもしれない。 この薄気味の悪い場所へ迷い込んでから、何日経ったのかすらわからないのだ…… 「だから、言っただろうが。目的の場所へ直接着けるとは限らない。導き手のいない渡界なんざ、 砂漠の只中で一粒の砂金を見つけようというのと変わりゃしないんだ」 対する木の精は金色の頭を振って、肩を竦めた。 その碧眼は、しかし冴え渡って真剣に、現れては消える風景を凝視している。 そのどこに目的の者がいるのか。 波動一つでさえ、掴めはしないのか。 ほんのひとかけらの気配さえ見出せれば、どの風景を捕まえればよいのかわかるのに。 「ねえ、スリア」 彼とは背中をくっつけるようにして反対側の風景を凝視しながら、花の精はひどく真剣な声で相手を呼んだ。 「何だ」 短く答える相手のほうも、堅い声である。 相手の言いたいこと。大体の予想はついていた。 「……ここにいて、高耶を見つけられるんだろうか。本当にこのどこかにあいつはいるの?」 「知るか。一度は人間界まで行ったんだ。その帰途に何かあって、この狭間に彷徨ってるかもしれないし、 もしかしたら別の世界に引っ張り込まれたのかもしれない。そうでなければあのまま人間界に留まっている のかもしれない」 木の精は、敢えて素っ気無くそう答えた。 対する花の精が、静かに瞳を伏せた。 「……結局、何もわからないんだね」 「そうさ。それでも、あのまま何もわからずに向こうで悶々としているよりは、ましだろ」 「ああ。役に立たなくても、何もしないよりはずっといい。 こうやって働きかけていればいつかあいつにも届くかもしれないし」 二人は、呟いて再び目に力をこめた。 ――― 「―――いかがかな。貴殿の友人たちであろう?」 所は、街中にある『魔女』の出張所。 妖しげな布だらけの部屋の中、古めかしい重い木の机に、二つの人影があった。 凝った彫刻の椅子には獅子の皮が敷かれ、蛇の剥製が今にも動き出しそうに巻きついている。 机の上には、深い葡萄色の布に包まれた掌ほどの水晶が乗っていて、そこに映し出されている映像に落人の 妖精が見入っていた。 対するのは、濡れたような黒髪に、紅を引かずとも赤い唇。 室内の装飾とは対照的に簡素な衣を纏ったその美貌の人物は、街の人々から『北の魔女』と呼ばれて恐れられて いる存在だった。 その『魔女』はカラスを通じて呼びつけた妖精に妖艶な笑みを向けてゆっくりと続けた。 「待てど暮らせど還って来ない貴殿を待ちくたびれて、この者たちは異界へと飛び出したのだ。 喚ばれずにそうすることがいかほどに危険であるかは、貴殿もよくおわかりだろう。 到着点を見い出せずにこうして彷徨い人となるのが常なのだ。よしんばどこかの世界を捕まえることができたとして、 そこに貴殿がいなければ無駄であるし、そうなった場合、この者たちもその地で落人となることになる」 殊更にゆっくりと告げる『魔女』に、血の気の失せた顔で水晶に見入っていた妖精が顔を上げた。 「だから!お前は一体何を言いたい !? オレに何を要求するんだ、こんなものを見せて」 ただ単に親切でこれを見せてくれたわけではないはずだ。わざわざカラスの姿を仮りて魔法使いの家の中に 入り込んでまで。 思惑があって自分を呼びつけたに違いない。 「ほう。これはご挨拶ですな。親切で教えて差し上げたものを」 魔女は軽く目を見張るような仕草を見せて、唇の端を引き上げた。 「戯れ言はいい加減にしろよ。『良い魔女』でないお前がそんなことをするはずがない」 『魔女』と一口に言っても、もちろん良い者もいれば悪い者もいる。 そして、北の魔女は所謂『良き魔女』ではなかった。 「ふむ……すべてが真実というわけではないがな、確かに」 どこか他人事のように首を傾げる姿が、いっそ不気味であった。 そして、『魔女』の次の台詞に、妖精は訝しげな眼差しを向けることになる。 「この事態の責任の一端は私にあるのですよ」 (17/11/02)