シアワセノジョウケン
妖精は一瞬石のように固まった。 『魔女』にこの事態の責任がある、だと? 「……お前が何かしたっていうのか?そのせいで譲たちがあんな目に遭ってるって?」 妖精が大きな音をたてて椅子を蹴った。 机の上に両手をついて身を乗りだし、対する魔女に鋭い眼差しをくれながら、 「そういうことなら許さねぇ!今すぐに譲たちを解放しろ!さあ!」 首を締め上げる勢いで責め立てると、相手はふっと笑んだ。 首に巻き付いた手をゆっくりと引き剥がし、 「人の話を聞かぬところが飼い主にそっくりですな。魔法使いの飼い猫殿」 「飼い猫だと?」 眉を吊り上げる妖精にも魔女は頓着しない。妖艶な笑みをいっそう際立たせて小首を傾げている。 「相違ございますまい?……すっかり懐いているご様子」 どうしてそんなことを知っているのか、という問いは掛けるだけ無駄である。相手は『魔女』なのだから。 高耶は黙って目を逸らしただけだった。 「……お前には関係ない」 しかし相手は話を変えようとはしなかった。 「関係なくもないのですがね。申し上げたとおり」 「だから、何なんだ!さっさと話せ」 もったいぶるようなゆっくりとした喋り方に、妖精は再び机を叩いた。 「本当に人の話を聞かない御仁だ。だから先ほどから申し上げようとしているものを」 「わかったから、さっさと言え!」 猫というよりは豹のように爛々と目を光らせる妖精に、魔女はわざとらしいため息をついて話しだした。 「先日、貴殿はあの男に喚ばれてここへ来、そして帰還不能に陥った。相違ありませんな?」 わかりきったことを再び問うてくる相手に、妖精は疲れた顔になった。 「そうだよ。それで?」 投げやりに頷いたが、相手は至極淡々と続ける。 「そのとき、なぜ還れなかったのかおわかりか」 「……精霊力がうまく使えなかった」 鋭く胸を抉られる思いで、ようやく返答する。 あのときの気持ちは、誰にもわからない。圧倒的な孤独感。 見知らぬ世界でたったひとり、取り残されてしまった恐怖と不安。経験したものにしかわからない。 「長く滞在すると、理に従って、人間界に在る筈のないものは消える。……しかし、貴殿はそれほど長い間 ここにいたわけではない」 相手の沈んだ表情にも頓着せずに続けられた魔女の言葉に、妖精は頷いた。 「そのときだけ特別に何かしたわけでもないし、普段より長くとどまっていたわけでもない」 すると、相手はゆっくりと瞬いて腕を組んだ。 「やはりな」 一人で合点しているらしい様子が、妖精には不可解である。 「だから、何だよ?」 「貴殿の精霊力が使えなかったのは、私の実験のせいでしょうな」 「―――は?」 思いがけない言葉に、まともな返事を返せない高耶だった。 「あの日、私はある実験をしていたのですよ。結界と渡界の関係について」 「……どういう意味だ」 「つまり、この街に結界を張って、その場合における渡界への影響を調べていたのですよ。ちょうどあの日に。 最近ヒマでヒマで困っていたのでね。久々に大がかりな何かをやりたかった」 「はあっ?」 高耶は声を裏返した。 今、とてつもなくふざけたことを聞いた気がする。しかも、ふざけたでは済まされないような類の。 「運悪くその日に貴殿はこちらへ喚ばれてしまったというわけです。私の結界のせいで精霊力が使えないで いるうちに、タイムリミットを越えてしまったのですよ」 魔女はそんな相手の様子に構わず、淡々と合いの手を入れた。 「……しかし、基本的に知り合いには予め通知しておいたのですがね。―――そういえばあの男には 連絡しなかったような気もするが」 小首を傾げて独り言のように呟くさまが、まるで他人事のようで、 「―――な……何だとぉっ!?」 ついに妖精は絶叫した。 自分が故郷に還れなくなったのは、この男のはた迷惑な実験のせいだったというのか。 しかも、ヒマ潰しのための。 そんなもののために自分はこんなに悩んだり泣いたりしたというのか。 譲とスリアは異界の狭間に迷い込んで彷徨うことになったというのか……? 「ふっ……ふざけるな……っ!!てめぇ、今すぐ譲たちを解放してやれ!できねぇとは言わせねーぞ!? 自分のやったことの始末くらいできないはずがない!」 今度こそ高耶は本気で魔女の首を締め上げた。 全身から立ち上るオーラは真っ赤な炎。 豹よりも獅子よりも激しい、怒り狂った猛獣のそれ。 「……貴殿、自分のことは仰らないのですな」 しかし相手は冷静だった。 静かなままで彼の瞳を見上げ、呟くようにそう言った。 「……!」 ふと胸を突かれて、高耶は言葉に詰まった。 そうだ。自分は親友を助けてほしいとは思っても、自分を元の世界に還してほしいとは思わなかった。 もう、自分の居る場所はここだと決めたから。昨日、そう実感した。 「貴殿の親友を元の世界に送り返すことは可能だ。しかし、貴殿はそれでよいのですかな? 本当に生まれ故郷へは還らないと?」 「……ああ」 「今私が貴殿の親友たちを向こうに還す術を施したら、貴殿はおそらく二度とあちらへは戻れませぬよ。それでも?」 「二度と?」 「ええ、魔力の質の違いの問題で、二度とは渡れぬ体になります。渡ろうとしてもはじかれる」 「……そうか」 「よろしいか」 「……」 妖精は黙り込んでしまった。 二度と生まれ故郷に還れないとは、今更ながらつらい選択だ。 これまで、可能性は限りなく低いと言われてきて諦めをつけていた筈が、本当はどこかで少しだけ希望を持っていた。 可能性がゼロでない以上、それを心の支えにすることもできた。 けれど、ここで譲たちを向こうへ還すよう魔女に頼めば、自分は二度と戻れない――― (21/11/02)