シアワセノジョウケン


「ふっ、ん」 今度のキスは、深かった。 何も知らない小さな妖精はその熱さと心地よさに翻弄され、攫われて、ぐったりするほど甘く痺れる。 「愛してる」 何度も何度も合間に囁かれて、その度に喜びに満たされて。 帰る場所を無くした妖精は、待ち望んでいた強い求めを得てこの上ない安堵を手にするのだ。 魔女のところへは……もう行かなくてもいいのかもしれない。 そんな声が、彼の心のどこかで聞こえていた。 向こうに残してきた世界と、親友たちと、そして温かく優しかったすべてのひとたち。 その全てをおいても、今この腕の中を離れがたく思う自分がいる。 天秤の針は振り切れた。 相手の方から求められたことによって、惑いも迷いも押し流されてしまった。 こんなにもこの大きな魔法使いに惹かれている自分。 それなのに引き止めてもらえなかったら、きっと消えてしまうと思った。 けれど、この男は間違えなかった。 過たずに自分を捕らえてしまった。 自分が探していたのは、このたった一言だったのだろう。 「愛してる……」 門前でやらかしてしまった告白は、考えてみればひどく恥ずかしい行いで、彼らはやがて中へ入った。 ハリはとっくに虎の姿に戻って奥へ消えている。 すっかり力の抜けてしまった高耶は直江に抱き上げられて運ばれ、籐のソファに掛けた膝の上に下ろされた。 「あ、の……直江」 こんな体勢、これまでに何度も取っていて、決して初めてなどではないのに。 なぜだかとても恥ずかしくて、高耶は困ったように直江を見上げた。 「何ですか?」 なかばわかっていて聞き返す直江は、溶けるような笑みを浮かべていて、それを見たら何も言えなくなってしまった。 「……何でもねーよ」 ため息をついて下を向くと、 「あなたがそれだけ私を意識してくださっているということなんですよね……嬉しいですよ」 豊かな声で囁かれると、もっとどきどきする。 「同じように触れ合っていても、自覚しているのとしていないのとでは、全く感じるものが違うんです」 触れ合ってる。 これまで何度も、胸板に上半身を預けて、ごろごろとなついたものだ。 それが、同じ状況なのに、こんなにもどきどきしてしまう。 意識したから? 直江が好きだ、と…… その瞬間、確実に体温が上がった。 「ひゃっ」 「そんな顔をすると、食べてしまいたくなりますよ?」 耳元にキス一つ。 そんな顔って何だ。 「なんというか、壮絶に色っぽいんですよ。目が潤んで、頬が染まってて」 顎に手を掛けられて見つめさせられ、親指で下唇をひらかれた。 このまま流されたら大変だ。 いくら幼くても、その程度のことはわかる。 その初心な木の妖精は、すうっと極限まで息を吸い込んで…… 「この、変態野郎ぉっ―――!!」 いつの間にか悪戯に体の上を這い始めていたその手の持ち主に対する怒声が、邸中に響きわたった。 「あ、主っ !? 」 飛び上がって驚いたハリは獲物を追うハンターさながらの勢いですっ飛んできて、その場の状況に凍りつく。 ……籐のソファの上で、愛する主はくっきりと紅葉の形の残った頬をして、 腕の中で拳を振り回して暴れている、こちらはすっかり顔全体が真っ赤になった妖精の相手をしていたのだった。 丘の上の魔法使いと、その思い人とは、この日、ようやく心からの安堵を得ていた。 ―――そして一方、北の烏山では、 『魔女』が水晶の中を興味深げに覗き込んで、その紅を引いたような赤い唇を吊り上げていた……                                          (07/11/02)







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