シアワセノジョウケン
「なぁ、なんか面白い話知らねぇ? 最近いいネタがなくっておまんまの食い上げなんだよ」 街の情報屋・千秋が、得意先を回っている途中の一蔵を呼び止めたのは翌日のことだった。 「ネタ?あっ……」 つい素直な反応を返してしまい、あわてて 「いや、……何も」 と知らぬ顔を作った一蔵だった。 確かにとびっきりのネタはある。 何しろ妖精がこの街にいるというのだ。 人魚ではないからその肉をとって食おうという者はおるまいが、それでも好奇心の塊のような人間たちにそのことが知れたら 大変な騒ぎになるであろうことは容易に想像がついた。 客のことをぺらぺら喋るようでは、信用第一の商人業は務まらない。商売人は口が立たなければならないが、 軽いのは問題外だった。 しかし、そんなおいしそうなネタの匂いを見逃す千秋ではない。 すぐさまきらりと目を光らせたかと思うと、 「ふっふっふ。なんかうまそうなハナシの気配を感じるぜ」 ずいっと相手に詰め寄って、満面の笑顔(ただし、瞳だけは笑っていない。むしろ凄んでいる)で圧力を掛け始めた。 「さあ、吐いちまえ。もちろんタダとは言わねぇよ。 俺のお勧め商人簿の順位を五つあげてやっから、そのネタ売ってくれ」 「馬鹿言うな!大事なお客を売るわけがなかろうが!」 憤慨して赤くなった一蔵である。 確かに、街一番の情報元締めである千秋のリストにおける評価順位は、商人としては非常に外しがたいポイントだ。 けれど、どんなにそれが魅力的でも、その順位を五つ上げると言われて客を売るなど、論外だった。 (一位にするというなら考えるが) 心のどこかで付け加える声を、はっと振り払うように一蔵は頭を振った。 「ふぅ〜ん……」 じいっと、相手が目を逸らすまで瞳を見据えて、千秋は唇を開いた。 「なるほど、確か昨日はお前さん、高台の方を回ってたよなぁ」 うっ。 いやな予感を感じて一蔵がこめかみをひきつらせた。 千秋はそれを横目で見ながら、顎に手をかけてわざとらしく首をかしげる。 「あのへんでのお得意といったら、あんまり数ねーよな。 あの辺に住んでる連中ときたら、基本的に薬草の調合なんか自分でするわけもねぇ金持ち連だ。 ……するってーと、残るのは例外の変人くらい」 だらだら。 脂汗を浮かべる一蔵を面白そうに視線でいたぶりながら、千秋はそ知らぬ顔をして真綿を引く手に力をこめてゆく。 ぎり、ぎり。 「そうさなぁ、やっぱ、あいつんとこか」 ぎり、ぎり。 独り言じみた呟きで、とどめを刺す。 「直江、しかいねーよなぁ」 「千秋さん!」 青くなって叫んだ一蔵に片目を瞑って見せながら、にやりと情報屋は笑った。 「喋りたくないものを無理に喋らせようとは思わねぇよ。しゃーねえ。自分の足使うさ」 自分で探りに行くというのだ。 冗談ではない。そんなことをされたら自分が喋ったと思われてしまう。 「ちょっ……千秋さんってば!頼むから止しとうせ!商人は信用が第一なんじゃ。それを失ってしもうたら、わしは どがいすればいいがよ !? 」 商人としての生命がかかっている一蔵は、必死に相手に取り付いた。 情報屋は答えない。にやにやと面白そうに笑っている。 「千秋さん!」 再度名を叫ぶ一蔵に、第三者の声がかぶさった。 「―――もう、そのへんにしておいたらどうなのよ」 綺麗なアルトの女声。 その主は角から姿を現した。 深いスリットの入った長衣から伸びた、細いズボンの脚。革のサンダルを履いた足首と指には、太い金の輪が幾重にも 嵌まっている。指先までを覆い隠す、慎み深い丈の袖から覗く手首と指にも同様の飾りを施していた。 すんなりと伸びた首は高い襟首に隠され、やはり太い金の輪が嵌まっている。そして頭には略式の頭衣をつけてピンで 留めつけていた。長い波うつ髪は頭のてっぺんで一つにくくられて、薄い頭衣の下にある。 中級魔法師・綾子だった。 「綾子さん……」 救い主が現れた、とばかりに、一蔵が縋るような眼差しをそちらへ向ける。 はぁい、と手を振って、綾子は千秋に対峙した。 「あんたね、いくら最近ヒマで退屈してるからって、他人を餌に楽しむのは止めなさいよ。人をおどかしてると、そのうち 自分に跳ね返ってくるっていつも言ってるのに」 「しゃーねーだろ。情報屋が常に生命の危険に晒されてるのは当たり前の話だ。 だからお前を雇ってるんだろうが」 そう、綾子は何かと恨みを受けやすい情報屋である千秋のボディーガードとして彼に雇われているのだった。 「はいはい。でもねぇ、何もわざわざトラブルの種蒔いて回るような真似しなくてもいいでしょ? ―――ま、言ったところであんたが改めるだろうとは思ってないけど、いちおう忠告だけはさせてもらったからね」 やれやれと肩をすくめ、はっきりした美貌に少しだけ憂いをのせて彼女は一つため息をついた。 千秋はうるさそうに瞬きをし、 「じゃな、一蔵」 くるりと向きを変えたかと思うと、おいしい餌の匂いを嗅ぎつけた獣のごとき上機嫌さに戻って高台へと足を向けた。 「ちょっと、待ちなさいよ!護衛を置いてく気?」 口だけは文句を垂れながら、嬉々として隣にくっついてゆく美貌の魔法師の後姿をぼんやりと視界にとらえながら、 自分は生き残れるだろうか、とどこか他人事のように自らの首を思う一蔵だった。 「直江に会うのって結構久しぶりなのよね。あいつ、少しは人との付き合いってもんに目覚めたかしら」 広いとはいえ、同じ街の中にいる魔法師同士である。綾子と直江は旧知の仲だった。 魔法師ギルドでは机を並べたこともある間柄である。 尤も、直江は異例の早さで上級魔法を修めてしまうと、さっさと学校を辞めて、邸にこもって研究に没頭するように なったのに対して、綾子は中級魔法を修めた時点でこの職につき、その傍ら、上級魔法の習得に半ば独学で 挑戦している。 たまにその勉強の中で疑問に思うところが現れると直江を訪ねて意見を求める綾子だったが、普段は滅多に顔を 合わせる機会がないのだった。 「研究の虫にそんな余裕はないだろうよ。でもなぁ、そんな奴に限って黙ってても女が寄ってくるんだよなー。 世の中、間違ってるぜ」 違う方向へ話を流してしまった千秋に対しての綾子の反応は、 「あんたって、そういう方向にしか考えが及ばないわけ?」 と言って冷ややかな眼差しを向けるのがいつものことだったのだが、今回は、 「……うーん、でもねぇ、ここしばらく直江の家の辺に一つ生命反応が増えたのよね。あれ人じゃないかなぁ」 と首をひねった。 「確かか?気のせいじゃないだろうな」 千秋はそれを聞いて、眉を寄せた。 「奴さんが他の人間と一緒に暮らすなんて図、どおも想像できねぇんだが」 「あたしだって変だと思うわよ。でも、確かに気を感じるの。小動物じゃないわ。たぶん、人間よ」 「―――意外だ」 千秋はゆっくりと空を仰いだ。 「晴天に霹靂はねーんだがな……」 (02/03/02)