夢だと思った。
何だか記憶とは違う台詞だったけれど、それでも、きっと幻聴だと思った。
「ちあきですか?」
「ん〜ん、違う」
夢だと思ったから、浸っていたくて、また目を閉じた。
「じゃあ、誰ですか。誰を待っているの……?」
ああ、記憶ってすごいな。台詞を替えてもやっぱり直江の声だ。
滑らかで、色気があって、あったかくて、どこかからかってるみたいな、そんな……
「なおえ……」
口にして、ひどく満足した気分に包まれた。
ようやく本当の答えを見つけられたんだな、と……。
「直江を待ってる……」
ああ、いい夢だ。
「―――目を、開けてください」
邪魔すんなよ。夢の中でしか会えないんだから、せめてもう少し眠らせて……
「夢じゃない……。怖くないから、目を開けて……」
ふ……と。
左の頬に、温かいものが触れた。続いて、右側にも。
「ああ、こんなにひどいことにして……」
痛ましげな声がすぐ近くにある。
と思ったら、柔らかいハンカチで顔を拭われた。
丁寧に優しく、血と泥を落としてゆく。
これ……夢じゃ、ない?
「な、っ……」
両手でハンカチを操る腕を掴む。
固く締まった手首、ごつごつした肘。―――確かな質感。
いっぺんに目が覚めた。
「……!」
自分の前に膝をついている人影。
広い肩幅。がっしりと綺麗に引き締まったそのライン。
夜風に微かになびいた髪は、街灯に透けて茶色く光った。
「ああ、やっと目を開けてくれましたね……」
目の前で微笑んだ顔は逆光になっていてはっきりとは見えないけれど。
「どうです?あなたの待っていたのはこの男……?」
僅かに首を傾げて、けれど恐ろしく真剣な声音で、彼は問う。
「―――!」
何もかもが真っ白に弾け飛んだ。
残るのは、たった一つの名前。
「直江……直江なおえなおえぇぇっ!!」
渾身の力を籠めて首に腕を回す。
意味をなさない言葉を撒き散らしながら、ひどく泣いた―――。
02/07/29
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