ジェネラウ
「将長!」
そのとき、内部の制圧に成功したことと頭の逃亡を報告に、副長が駆けて来た。
トップを取り逃がしたかと顔を強張らせていた彼だったが、カゲトラの足元に崩れ落ちている人影を見てすぐに事情を読み取り、ほうっと息をついた。
一呼吸おいて、直立不動の体勢を取り、報告する。
「任務完了です。
内部は完全に制圧しました。全員、手錠を掛けてあります。あとは本庁に引き渡すのみです」
言い切って、指示を待つ。
彼は、ふらりと振り返った上司の顔に目を見開いた。
見たこともない虚無的な動作。しかしその双眸は激情に爛々と燃えている。
何かに取り憑かれた姿だった。
今すぐにでも飛び出してゆきそうな、ぎりぎりの激情をその内に抱いていることと、それが、解き放たれるまさに直前の静けさにあるということが、一瞬で悟られた。
まるで、修羅を見るようだった。
「……よくやった」
見た目とは裏腹に淡々と言葉が紡がれたが、副長は咄嗟に言葉を返すことができなかった。
「……」
それを咎める様子もなく、カゲトラはゆっくりと左手を上げて左耳のインカムをむしり取り、さらに腰の通信機をも外して、固まったままの副長にそれらを差し出した。
「お前にこれを渡しておこう。以降はすべての指示をお前が取るように」
そうしてさらに胸のバッジ―――将長であることを示す、黒地に白の桜を咲かせた小指ほどの円形階級章だ―――を外すのを目にして、
「将長 !? 」
悲鳴に似た声が上がった。
バッジを外すということは、位を捨てるということだ。
最年少で得た将長の黒バッジ。警察庁の元で無法完全捜査を行う特捜の将個々人としては、最高のランク付けをされていることになる。
それを、その階級章を外すということは、……その地位を捨てるということに他ならない。
それを着けている限り、彼は特捜の人間として、将長として、あらゆる捜査力を手足とすることができるが、外したらただの一人の男だ。特捜の感覚で何をしても、それはすべて冒法行為となる。
―――それ以前に、特捜を『抜ける』ということは許されざる罪である。
『特捜』はそれ自体、普通の集団ではない。ある意味で極道の世界と同じような厳しさがそこにはある。
特捜入りしようという人間は、それまでの自分に完全に決別しなければならない。例えば、友人・家族との絆を断ち、ありとあらゆるものへの執着を捨てなければ特捜には入れない。前の自分とは別人にならなければならないのだ。社会的にも、精神的にも。
過去に何をしていようが不問とされるが、過去を一切捨て去ることを要求される。
戸籍すら、元のままではいられない。特捜入りしようという人間の戸籍は抹消され、その身柄は特捜預かりという形になる。つまり、特捜入りした時点でその人間の存在は世界から消えてなくなることになるのだ。少なくとも、表の世界においての存在は。
状態は死亡と同じ。戸籍上は言わば幽霊なのである。
そうやって表の世界から完全に存在を消し去ってはじめて、彼らは特捜の一員となることができる。
言い換えるならば、特捜入りした時点で彼の存在は特捜の一部となる。『抜ける』というのはまさに裏切りに等しい。
むろん特捜の将にも引退の概念はあるが、上の許しを得ず、勝手に仕事を止めるという行為は、到底許されるべきことではなかった。
逃げても、『管理者』の追っ手は執拗に彼を追うだろう。
そうして連れ戻されれば、特捜入り前の訓練時とは比べ物にならないレベルの精神管理を施され、今度こそ自我を失うまで教育し直されるのだ。
それらをすべてわかった上で、副長の上司は階級章に手をのばす。
副長に何ができただろう。何を言えただろう。
―――相手の修羅の炎を目の前にして。
彼の上司は今、外してしまった白桜を彼の手に握らせると、先ほど殺した男の死体に屈みこんで愛刀を取り戻した。
血に濡れた刀身は、しかし一拭きで元の黒光りする刃によみがえり、それをさっき地面に落としたままになっていた鞘を拾い上げて納めると、カゲトラはそのまま黙って背を向けた。
「オレは……行く。後は任せた。
―――すまない……潮」
口調ががらりと変わっている。
『カゲトラ』をやめた高耶に、硬直していた副長の瞳が揺れた。
「仰木……」
放心したように呟く潮に一度だけ小さく頭を下げると、高耶はまっすぐに顔を上げた。
オ レ
「オレは、高耶として行動する」
そう、言い残して、彼は闇に消えていった―――。
02/07/27
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