ひそかに動き出したエージェントたちの後ろで、同じく活動時間帯に入っている人間たちがある。
暗躍する捜査員を統括する側の人間たちの活動時間も、昼夜を問わない。
一見ただの古びたビジネスビルのような、街中にひっそりと佇んでいる建物には、深夜まで人が残って残業に従事しているように見える明かりが幾つか点灯している。時折席を立って他のデスクへ移動するらしい人影も見て取れた。
下界をゆく人々には、その光景は何ら珍しいものではなく、誰もそのビルが普通の企業のものでないと疑うことはない。
だが、実際にはそのビルは表面上見えている明かりよりもずっと多くの部屋が昼間以上のせわしさで機能していた。
遮光され、防音も完全なそれらの部屋の中では、見た目にはビジネススーツに身を固めた勤め人としか思われない男たちが、デスクに据えられた機器類に向かっている。インカムに向かって指示を下す者もいれば、聴き専門の情報収集員もいた。
ここは特捜の支部の一つであった。
その部屋のうちの一つに、二人の男が相対している。
四畳半ほどの狭い洋室には、他に人影はない。
一人は女好きのする整った顔に縁なしの眼鏡を引っ掛け、金色に近い長めの髪を後ろで一つにくくった二十代半ばを過ぎたあたりと見える男。革の擦り切れた古い二人掛けのソファに斜めに掛けて、長い脚をラフに組んでいる。
もう一人はこれまた古びた応接用テーブルを隔てて、向かい側の一人掛けのソファに掛け、両膝の上に肘を突いて拳を組んだ上に、短い髭をたくわえた顎を乗せている。こちらは相手よりも幾らか年若であるようだった。
二人はいずれも普段は軽くて明るい雰囲気の人間と見えたが、今ここにある表情は鋭い。
むしろ重いといってもよいほどである。彼らは夜勤の合間に抜け出してここへ集まったのであるが、その目的は決して簡単な内容ではなかったのである。
「……で、あいつ、今夜の仕事請けたって?」
先に口を開いたのは、金色のしっぽを指先で弄びながら声だけはまっすぐ前に向けている、年上の方の男であった。
「―――ああ。そろそろ動いた頃だと思う」
固く組んだ手をさらにギリリと締め、相手が答えた。彼が底抜けに明るい、プラス思考の人間だということは特捜の誰もが認めていることで、彼のこのような表情を見たことのある者は両手に満たない。
そしてそれは彼の前にいる男についても言えることである。
「そうか。……半年になるからな。さすがに管理側もこれ以上薄氷の上を渡らせるわけにはいかなくなったってか」
呟いた声音は、作戦がどんなに厳しい状況に追い込まれたときでさえ滅多に聞くことの出来ないほどに苦かった。
その声に含まれる感情は一つや二つではなかった。今回のことには彼自身も決して無関係ではないからである。件の人間と同じ処分こそ受けなかったものの、いっそその方が楽だったかもしれないと思うほどには、彼の心中は重苦しいものを孕んでいた。
「仕事の内容自体は全然難しくねーよ。客観的にはな。でも、あいつには……仰木には、ナイフエッジの上で突きつけられる究極の選択みたいなものだよな」
これはテストだ―――彼、アキノは呟いて瞼を下ろした。
精神洗浄がほどけてはいないか。また、もし仮にそうであっても、襲ってくる『事実』を乗り越えられるだけの強さを、彼の精神は回復しているかどうか。
コントロール
精神洗浄の効果は短くて半年で限界を迎える。
その節目には、被験者の状態を確かめるために試験が課されるのである。キーワードを含む刺激を与えてやることによって、その反応から、コントロールの有効性の程度を調べようというものだ。
そこでもし効果が切れていれば、被験者の精神の持ち直しの程度によって異なる処理が施される。
思い出した過去を乗り越えて元の強さを取り戻していれば、それ以上の洗浄を受けさせられることはない。一方、もし襲ってきた過去に耐え切れず苦しみ出していれば、再び矯正が行われるのであった。
そう、半年前―――
特捜の黒バッジ保持者であった将長カゲトラは、『管理者』の許可なくバッジを捨て、出奔した。
これは重大な服務規程違反行為である。もっと厳しく言えば、反逆行為であった。
03/05/10
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