「なぉ……え、なおえぇ……」
意識のない高耶をコテージまで連れ帰り、ベッドに入れて、その傍らに両手を組み、額をのせて石のように動かず添い続けた直江は、高耶が寝言らしい言葉を紡いだことに気づいて顔を上げた。
「高耶さん、俺ならここにいます。怖くないから眠りなさい。ずっとついているから」
苦しそうに直江を呼び続ける高耶の手を握って、何度も囁いてやる。しかし青年は直江を探し続けて手を彷徨わせようとする。
「俺はここです……!」
そんな姿に痛ましく眉を寄せて、直江は相手の唇を奪った。
怖い夢から覚めさせるほど熱っぽく、しかしひどく苦いキスを、直江は高耶に与えた。
「……ぁ」
長いくちづけの後、高耶は目を開く。
開かれた目に宿る色は、まだ正気ではなかった。
「なおえ……なおえがいない……なおえの手が、見つからない……離してしまった……握ってくれたのに……離してしまった……」
見開いた目から、音もなく透明な涙が溢れ始める。
「なおえ……お前がいない……お前のいない世界は怖い……怖いよ……ぉ……」
「高耶さん!」
開いた目に、直江の姿は映っていないのだろう。高耶にとって、そこは直江のいない真っ暗な世界なのだろう。
子どものように泣く彼を、直江はたまらなくなって抱きしめた。
「高耶さん、高耶さん!俺はここにいる。どこへもいかない。もう二度とあなたの手を離さない。ここにいるんです!高耶さん、どうか目を覚まして……!」
抱きすくめた体を揺さぶりながら狂おしく叫び続けると、ようやく高耶は現実に戻ってきた。
「……あ……なおえ……?」
名前を呼ばれて、直江はハッとその顔を見る。高耶の瞳は今度こそ現実の直江を映していた。
その漆黒の瞳には確かに自分が映っている。
「高耶さん……!」
直江はもう何も言えなくなって、相手の唇を奪った。
愛している、と、そのくちづけが語っている。彼の痛みも、苦しみも、後悔も、すべてをひっくるめて、彼の抱く溢れるほどの愛情が高耶へと流れ込んでゆく。
「なおえ……なおえぇ……っ!」
高耶はそのあまりの切なさに泣き叫んだ。
もう、たまらない。こんなにボロボロになって、それでも愛してくれて、どんなにか優しい目で見つめる裏で、想像を絶するほど傷ついて……
涙こそ無いけれど、この男の心は全身で泣いている。
その全てが自分のせいなのだと、わかっているからこそ、どうしたらいいのかわからない。
こんな凄まじい愛しさと切なさを、どうやって受け止めることができるのだろう。どうすればこの心を癒せるのだろう。
「どうしたら……お前を癒せる……?こんなにも傷ついたお前を、オレはどうしてやったらいいんだろう……?」
高耶は滂沱と溢れる涙の下から問いかけた。考えても何も思い浮かばない。相手に尋ねる以外に方法が無い。
「俺の一番の幸せは……あなたの笑顔だ。他に何もいらないから、笑ってください。お願いだから、もう泣かないで」
直江は何も望まなかった。ただあなたの笑顔が見たいと、それだけを言う。
「うーっ……」
泣かないでと言われればいっそう、涙が止まらなくなった。
「お願いだ。もう苦しまないで。俺のために泣かないで。あなたを泣かせるほどつらいことはないんです……」
悲しいほど優しい鳶色の瞳が、高耶を見つめる。
「止まらな……い……」
見つめられると、その優しさが悲しくて、ますます泣けてくる。
「それなら、止めてあげる」
直江は微笑んで、唇を重ねてきた。
そっと、重ねるだけの優しいくちづけが何度も与えられる。
触れられるたび、癒されてゆく心と、いっそう悲しくなる心とがある。
いつも、この男はこうやって相手を癒そうとする。優しくて、甘くて、熱くて、そして切ない。自分自身の求めよりも相手の傷を思いやるようにしか接してこない。
でも、そんなだったら、この男はどこで自分の傷を癒すのだろう?受け止めるばかりで、舐めてやるばかりで、自分の傷は放ったらかしなのだ。そこが痛んでも、膿んでも、誰にも癒してもらわずに。
この男の痛みを、受け止めることが、オレにはできるだろうか。
「なおえ……」
触れるだけの唇に、深く食らいつく。
相手の唇を割って、中へ入って、舌を絡めてゆく。
「ん、ん……」
知る限りの愛撫を相手へ施す。相手を癒すことができるのかどうかはわからない。それでも、せめてこの体に思いをぶつけてほしかった。
「なおえ……オレを抱け」
邪魔せずに、したいようにさせてくれたキスが終わると、高耶は直江の着ていたシャツを脱がせた。
左上腕部に残る痛々しい銃痕に涙の粒を落として、くちづける。何度も、癒そうとするように、何度も。
「お前の傷……癒したい」
高耶は直江の体のあちこちに残る傷跡のすべてにくちづけを繰り返した。
どんな傷も、すべてがこの男の生きてきた証だから、いとおしい。
「直江……直江……」
最後にその心臓の真上に頬をくっつける。確かに生きているその鼓動が、どんなにか愛しいだろう。この命が自分に出会った。自分を救った。どんな悪夢からも、この魂が救い上げてくれるのだ。
自分に何ができるだろう。この魂が傷ついたとき、何をしてやれるのだろう。
「直江……生きてる……うれしい……」
愛しさと喜びとで止め処なく溢れ続ける涙が、相手の胸板を濡らす。
そんな高耶を、直江の腕がいっそう強く抱き寄せた。
「あなたが生きていることこそが俺の生きる意味だから」
そして、優しい手が高耶の着ているものを剥がしてゆく。
シャツのボタンも、中に着ていたTシャツも、決して乱暴に動かない指で、取り外されてゆく。
「あなたの体の持つ温度が、鼓動が、俺には何より愛しい」
すべてのものを肌から離して、残った温かな体を、直江はもう一度抱きしめた。
腕の中に、この世で一番愛しい温度がある。
自分よりも僅かに熱い、なめらかでしなやかな肌がある。
熱い涙を滴らせる漆黒の宝石が二つ、自分を見上げている。
愛しい人を愛撫しようとその体へ手を触れた直江は、次の瞬間、その手を拒絶されて瞳を揺らした。
「高耶さん?」
03/12/22
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