the missinglink




the only one in deepen heart





















 最後に見たあの白い背中を思い出す。自ら特捜へ戻ると言って背を向けたあなた。
 あの背は私から言葉を奪った。白く、強く、何物をも拒絶する強さと脆さを抱いた背中。
 その背に生えた翼はきっと私の手などで引き止めてはならぬ……純白の白。

 ―――けれど、本当は。
 あなたは私が後ろから抱きしめるのを待っていたのではないだろうか。
 どこへも行かないように縛り付けることを、望んでいたのではないだろうか……?

 あのとき、抱きしめて、きつく腕を締めて、鎖で繋いででも引き止めればよかった。
 私の命の為だなんて、そんなもの、あなたを手放したこの胸の痛みに比べたら何の意味があろう。あなたと共に裁かれたら、それで充分だったのに。死ぬことなど、今さら怖れはしないのに。死に場所を探してよろよろと生きているだけの命だったのに。何の役にも立たぬこの命、その人のために使いたいと初めて思った相手を、あなたを、手放してしまうなんて。

 愚かだった。






 青年が海岸に佇んでから、どれほどの時間が経ったろう。
 夕日がほとんど沈んだころ、その薄闇に紛れるようにして、一頭の大きな黒い獣が姿を現した。

「……!」

 小さな頭、長い四肢、しなやかな胴体。猫科の大型肉食獣である。
 漆黒の毛皮をしならせながら、その大きな獣はまっすぐに青年を目指した。

 青年は素早く警戒の体勢に転じた。両腕を喉元の前で交差して後ろへ跳び退り、獣に対峙する。
 獣には殺気がなかったが、親しげに近づいてこられるのをしたいようにさせておくことはできない。

 彼の姿勢と静かな気迫に何を感じたか、獣は一歩手前で歩を止めた。
 一人と一頭が静かに睨み合う。

 警戒を解かない青年に獣が悲しげにグルルと喉を鳴らしたとき、そこへふいに第三者の声が割り込んだ。
「―――おやめ、小太郎。その人はお前を覚えていないんだよ」

 薄闇に紛れて林の向こうから現れたのは、青年の先日の任務中、標的の恋人の銃口から青年をその身を挺してかばったあの男だった。
 男が獣へ向かって手を伸ばすと、その獣は主に尻尾を振る犬のように男の手へと駆け寄り、その傍らに行儀良く控えた。獣が大型の肉食獣であるという点を別にすれば、その一人と一頭は非常によく訓練されたペットとその飼い主の姿そのものだ。なぜ男がこんな危険な動物を飼いならしているのかは想像がつかないが。

「あんた、この間の……」
 獣のことよりも男の姿に目を見開いた青年に、男は何を考えたのか影の薄い微笑みを浮かべた。それは儚いとでも形容すべき、ひどく悲しげな笑いである。
「あなたが無事でよかった」
 万感の思いをこめて呟く男へ、青年はただただ驚きの表情で目を見開く。
「なんであんたがここにいる?……何かオレに用でもあるのか、それとも、単なる偶然か?」
 青年は未だ、男を正体のわからない不審な人間だと捉えている様子だった。
 そのことに対してか男はふと苦く微笑み、そしてゆっくりと首を振った。
「偶然と呼ばれているものの大半は、それなりの意図によって導かれた必然ですよ。私はあなたに用があるんです。千秋から聞いていませんか」

 男の口から出てきた意外な名前に、青年はますます目を見開く。

「ちあき !? ……ってことは、あんたが仲介人なのか、まさか」
 信じがたいという表情で男を見つめなおす彼に、相手は僅かだけ頷いた。
「そのまさかです。お疑いなら彼に確かめればいい。ちなみに私は彼と仕事をしたこともある仲です」

 自分を覚えていない青年が自分の言うことを信じるかどうかわからない、と考えて、男は言葉を補った。
 自分と特捜との関係は決してナガヒデとの仕事だけで語れるものではなかったが、当事者が何も覚えていないのだから口にしても仕方のないことだ。

「千秋は行けばわかるって言ってた。……そうか。あんたのことだったのか」
 しかし青年はそれ以上の疑いをやめて、自分を納得させるように腕を組んだ。
 組んだ腕の一点に視線を落とし、何かを考えるように凝視する彼へ、男は言葉を続ける。
「あなたは心が疲れている。だから、田舎でゆっくりと休んだほうがいいんです。私も傷の静養がてらここに滞在するので、ちょうどいいから部屋を貸してくれと千秋に頼まれました」

 カゲトラの療養とその滞在地については、表向きはそういうことになっている。友人の千秋が骨を折って、男のもとへ青年を送り込んだのだ。
共に仕事をして以来それなりの付き合いを持つようになった千秋と直江は、その気になれば連絡を取り合うことができる。今回もそのようにして千秋は直江へ高耶の療養先を報せてやったのだった。

「そうか。悪いな……その怪我だってオレのせいで負った。どうしてオレのためにそんなことをしたのかわかんねーけど、悪かった。このとおり」
 青年は男の目を一瞬だけ盗み見るように見て、相手が見つめ返すよりも前に深く頭を下げた。

「……私が勝手にしたことです。それに、女を甘く見たのは私のミスでもある。あなたが頭を下げることなんてないんですよ」
 男は瞳に傷ついた色をたたえ、しかしすぐにそれを消して首を振った。
 その一連の瞳の変化を、俯いている青年は見ることができない。彼がぱっと顔を上げたときには、既に男の目は悲しい色を消している。
「それでも、怪我したのは事実だ。謝る。もう二度と迷惑なんか掛けない」

「迷惑なんて思わない。傷ついていたのはあなたの心だ。たぶん誰にも癒すことのできない傷……」

 男はなおも頭を下げようとする青年をその広い胸にそっと抱き寄せた。
 青年の体がびくりと固くなる。それを抵抗と受け取ったか、男は腕を強めた。

「何も考えないでいいから、羽を休めてください。こんなときは一人でいたらいけない。寒さで死んでしまいますよ。こうして誰かの体温を側においておかないと、こごえてしまう」

 男は震える青年の体を包み込むようにしっかりと抱きしめて、優しく背を叩く。

「……」

 青年は震えるばかりで一言もない。

「私のところへいらっしゃい。他に誰がいるわけでもなし、気楽に過ごしてください。この小太郎の他には何もいません」

 男は青年が何も言わないのは知らない人間に抱きしめられた戸惑いのためだと受け取り、ただ静かに囁き続けた。

「誰も見ていない。苦しいなら泣いてください。存分に」



 ―――高耶は懐かしい胸に抱かれて、声をたてずに泣いていた。



 そして男に連れられて一軒のコテージに部屋を与えられ、手作りの夕食をふるまわれて就寝するまで、高耶は記憶が戻ったことをとうとう直江に告げなかった。―――告げられなかった。



03/12/16



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そして欠環11です。
高耶さん、直江さんに再会できても何も言えません……

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