the cruise



half a year later...



















 聖夜に再会した恋人たちには、しかしそれに溺れている暇はなかった。
 二人はしばらくじゃれるようにフレンチキスに興じていたが、それが深くなりそうな気配を感じると任務途中の方の片割れが動いた。

「直江、ごめん。今は勘弁してくれ……オレも仕事で来てるから、それだけは済まさないと」

 さらわれそうになる意識を何とか取り戻して、相手の胸を押す。
 今すぐにでもその存在を確かめたいと思うのに、それは叶わないのだ。プロとして任務を帯びた身であるから。
 ここで溺れてしまえばきっと明日には指先一つ動かせない状況になるのはわかりきっている。
 だから、必要最低限の仕事は済ませてからでないと迂闊なことはできない。

「……じゃあ、抱きしめていいですか。少しだけ」
 もとより事情はわかっている。直江はそれ以上高耶を困らせることはせずに、穏やかな提案で済ませた。
「ほんとに、ごめんな。すぐに済ませてくるから……」
 懐かしい匂いのする広い胸に素直に身を預けて、高耶はその背に両腕を回した。
 彼の背にも相手の腕が回って優しく包み込むように抱きしめる。

 しばらく、二人はそうして寄り添っていた。

「……ねえ、私もお手伝いしましょうか。件の会場へも、私にくっついてくれば簡単に入れますよ」
 ふと、仕事中でない方の片割れがもう一人にそんな風に囁いた。
 冗談のように言っていながら、その言葉が冗談でも戯れでもないことは、相手にはわかっている。
 わかっているから、首を振る。
「そのつもりはねぇよ。オレの仕事なんだから、直江に迷惑はかけない」
 恋人の手を仕事で煩わせるなど、公私混同もいいところである。
 プロである以上、そんなことはできない。
 ……と言ってもそれは建前上の理由なのだが。

「迷惑じゃないでしょう?一分一秒、一瞬だって長く側にいたい。だから、あなたの負担でないなら手伝わせてください」
 それがわかっているから、相手は滑らかで優しい声音でまるで鼓膜を愛撫するように囁いてきた。
 そうすることがどれほど効果的か、知っている。

 負担でないなら、なんて言われてしまっては断ることもできない。

 高耶は小さくため息をついて呟いた。
「……負担どころじゃないから、困るんだよ」
 本当は仕事中でも何でもいいから側にいたいのだ。
 滅多に会えない仲だから、近くにいるのにわざわざ別の時間を過ごすのが勿体ない。
 何もしないでも、隣にいてくれたら幸せなのだ。

 顔が赤くなっているのが自分でもわかる。

 それを目を細めて見つめる相手が、微笑んだ。
「何ですか?」
 言い返せないのを見抜かれている。
 ―――そして、本当は側にいて欲しいということも。
 自分には一人でその現場に立つ勇気がないのだ。昔の傷が、それを本能的に怖がらせている。分別がついたばかりの年頃に両親を目の前で殺され、特捜という極めて厳しい環境に否応なしに放り込まれ、叩き上げられて将になった、その、暴風に翻弄される木の葉のような身の上が、非合法オークションに掛けられる人間たちのそれによって思いださせられるから。

 だから、それをわかっていてこの男は自分の前に姿を現してくれたのだろう。わざわざ乗客の一人として、クルーズに出資までして。

「……何でもねぇよ。あーあ」
 いい加減壊れてるな、と自分に呆れつつ、高耶は直江の肩口にギュッと額を押しつけた。
 こんなに弱い姿を見せるなんて格好が悪くてしかたがない。
 でも、自分がこんな姿を見せられる人間など彼一人だけなのだ。
 最初から、そう、出会った当時から、彼には自分の最も古い傷を癒されてきた。
 だから、こんなにも甘えてしまうのだ。公私混同でもいい、隣に立って自分を支えていてくれと思う。

 そんな高耶の心中を察してか、しばらく黙って相手を抱きしめていた直江であった。

 そろそろ時間が迫ってきたというときになって、静かに声を掛ける。
「……じゃあ、支度して出かけましょうか」
「支度?」
 腕の中で高耶が顔を上げると、直江は頷いて
「その為りではパーティには出られないでしょう?それに、ボーイの服装は目立ちすぎる」
「会場係と同じ形だけど?」
「私が連れて歩くんです。仕事中のボーイを引き回すわけにはいかないでしょう」
 直江はそう言って片目をつぶってみせ、クローゼットを指した。

「……相変わらず用意のいい男だ」
 茶目っ気たっぷりのその笑みに相手の意図を察して、高耶がこめかみを押さえた。

 名残惜しそうに体を離した相手がクローゼットの扉を開けると、果たしてそこには真新しい正装一式が吊されていた。保護用の薄布がぴしりと整えて掛けられている様子からも、それがまだ誰も袖を通していないものであることがわかる。黒に限りなく近い紺色で、美しい光沢が見て取れた。
 肩幅などを見る限り、それは直江のものではない。
 高耶は深いため息をついた。

「オレ用に作ってたのか?……やることが違うよなぁ……お前は」
「あなたのために、というシチュエーションがなかなか楽しくて、凝ってしまいましたよ。似合うといいんですが」

 くすくすと楽しそうに笑いながら頷く直江に、相手は少し沈黙を置いてから、目をそらして呟いた。

「……お前の見立ててくれたものなら似合うんだろうよ」
「……!」
 その台詞に不覚にも心臓を直撃されて、物慣れているはずの男はしばし、返す言葉を見つけられずにいた。

「……あなたの肩書きがうらめしい」
「ん?」
 ようやくの呟きに、早くも真新しいその礼服を手にとって保護布を外し始めていた相手が首だけで後ろを向き直った。
 見れば直江はすぐ背後にきて、じっとこちらを見つめている。
「仕事持ちでなければこんな場面で指をくわえて見てなどいなかったろうに」

 まっすぐにかち合った眼差しに魅入られるように手を伸ばして、そっと襟足を梳くようにすると、高耶は困ったように目を逸らした。 「あんまり触られると困るんだけど」
 押さえているものが反乱を起こそうとするのだろう。つらそうに睫毛を伏せている。
「ああ、すみません。一仕事終えるまでのビタミンにでもしてください」
 くすり、と笑って、些か意地の悪いことをさらりと言い流した男は、それでようやく踏ん切りがついたように体を離した。

 こちらもこれから正装に変えてパーティに出かけるのである。
 このクルーズの出資者という立場上、欠席することは想定されていない。そもそも、欠席するつもりの人間はこの船には乗らないのである。ここに集まった人間たちは共通のイベントのためにやって来たのであるから。

「あれ、オレのと直江のって型が違う?」
「ええ。あなたのはスリーピースですが、私のはシングルです」
 白いシャツに袖を通した高耶がベストを手にして問うと、傍らで同じく白いシャツに着替えながら直江は肯いた。
「いいのか?ベスト着なくて」
「別段問題はありませんよ。どうせそんな品の高い催しではありませんしね。形だけ格好つけても意味がありません」
 直江はかなり辛口の台詞を返した。
 自分がそんな催しに金を出している事実があるから、余計にその口調は自嘲と苛立たしさを含んでいるのだろう。
「じゃあ何でオレのはこんな鎧みたいにかっちり締めなきゃなんねーんだよ」
 一方高耶の方は、ベストを締めてジャケットに袖を通し、ボタンを掛けると、かなりラインが綺麗に出る細身の姿が出来上がった。
 その窮屈さに辟易しながらじろっと横を見やると、白い礼装シャツの上にすっきりとジャケットを羽織った直江がくすりと笑って手を伸ばしてきた。
「タイが曲がっていますよ」
 両手で首のあたりを直してやると、相手も同じように言い返してくる。
「お前こそカラーが引っぱられてる。いい男が台無しだぞ」
 叱るような口調でいて、言葉の内容は至って仲の良いものである。

 そうして二人は互いに細かな乱れを修正しあいながら着付けを済ませたのだった。





 黒と白で統一した出で立ちに、白いシンプルなマスクを掛けて、宝は柊にエスコートされていった。
 第6デッキ。イベントホールでは既に乗客たちの饗宴が幕を開けている。
 これが船の中かと目を見張るような、煌びやかな空間がそこには広がっていた。
 正装して連れ立ってゆけば、見とがめる者とてない。

 天井から下がるシャンデリアは煌くガラスよりは金属部分の彫刻が重視された造りのよう。どっしりとして落ち着いた美しさである。そこに花をモチーフにしてしつらえられた電球から放たれる光は、穏やかでどこか淫靡だった。
 昼間の灯りとは違う、どこか謎めいた薄暗さが場の雰囲気を盛り上げる。
 その灯りの下を、足音を飲み込むほど分厚い絨毯を踏んで歩いてゆく。

 ホールは宴を楽しむ人々で溢れかえっていた。皆が思い思いの装いに身を包み、そこには独特の熱気が立ち込めている。

 お仕着せの給仕が銀色の盆を片手に、優雅な足運び、身のこなしで人の波の中を行き交う。
 細長いグラスに注がれるシャンパンは琥珀色の滝を作って煌く。
 カチリ、と音をたてて合わされるグラスから、それらが極上の泡をたてて人々の喉を流れてゆく。
 丸いテーブルには白いクロスが掛けられ、その上からさらにワインレッドのテーブルセンターを重ねた上に、銀の大皿が鎮座する。
 立食形式のそれら料理と各種酒類は、何れも一目でその素材と調理技術の高さが窺える。
 各テーブルの脇にはそれぞれ給仕が控えていて、あるいは客の要望どおりに美しくそれらを取り皿へと盛り分け、またあるいは、 エスコート役の男性が女性のために自ら手を煩わせて彼の代わりを務めている。

 ふと視線を転じれば、要所要所に緑が配置されており、クリスマスクルーズらしいその配色に気がつく。
 さらに、薄暗くさえあるこの空間では壁や緑などに電飾がふんだんに施され、明滅しては場の雰囲気を盛り上げていた。


「呆れるくらい豪華なパーティだな、まったく」
 腹が減っては戦ができぬ、と食に興じる宝であったが、その場の様子を目にしては何か言わずにはおられないようである。
 ため息交じりの呟きに、傍らの男がくすりと笑った。
「こういう人たちはとにかく暇なんですよ。何か遊ぶ理由を見つけようと必死になるくらいには。
 ま、今夜は特別な日ですしね。そういう理由をつけて派手にやりたいんです」
「特別なぁ。オレなんか仕事だってのに」
 場の人間たちの手前勝手で傍迷惑な理論に、仮面の下で思いきり嫌な顔をして宝は毒づく。
 暇人の道楽が罪もない多くの人間の一生を泥に塗れさせ、今こうして自分を狩り出しているのである。
 悪態も口をつこうというものだ。

 手に取るようにその表情の変化が読み取れて、柊はゆっくりと相手の耳元に顔を寄せた。
「だから、早く済ませて一緒に過ごしましょう。……ね?」
「……ああ」
 素直に肯く相手が愛しくて、その瞳がとろけるように甘くなった。
 その変化をまともに見てしまった宝は、慌てて目を逸らし、
「……とにかく!まずは一仕事終えねーと。遊びで来たわけじゃねーんだから」
と話を変えた。
 柊はええと意味ありげに肯き、
「それではそろそろ件の会場へ移動しましょうか。そろそろ始まったころです」
と手を差し出した。
 腹ごしらえを済ませた宝がその手を取り、二人はイベントホールを後にすると、グランドホールへと向かった。
 ここでは表向きには、海外から呼び寄せたダンサーたちによるショーが行われていることになっている。
 しかし、それは始めのうちだけのこと。
 既にその場はぴっちりと扉を閉められ、出入りは身分証明が無ければ叶わない状態になっていた。

「ものものしいこった。あれがイベントスタッフなもんか」
 扉を固めている屈強な男を仮面越しに視界に入れて、宝が呟く。
「同感ですよ。どう見てもその道崩れですね。
 ―――さて、ここでこれが役に立つ」
 軽く肯くことで相槌を打った柊が胸ポケットから取り出したのは例の名刺である。
「さすが出資者の一人。この船の上ではその名刺で何でも事足りるわけだ」
 くすりと笑って宝が言った。どうやら先ほどのことを思い出しているらしい。劇的な効果がまるで『ご印籠』のようで、可笑しかったのだ。
「そうですね。さっきのようなことも」
 柊も黒い仮面の下で笑っている。
「そうだな」
 宝はやはり笑いを含んだ声だったが、ふと気配を変えて続けた。
「―――ここからは、仕事だぜ?」

 仮面から覗く瞳は、既にがらりと変化している。一見したところでは気づかないけれど、その鋭さは殺気にも似て、彼がカゲトラとしての一面に切り替わったことが明らかであった。

「了解」
 それを受けて柊―――直江の瞳も色を変える。
 野生の狩人のように鋭く好戦的ですらあるような光を帯びて、血が沸いてくるような、それでいてどこか意識がすっと冷たく冴えるような、先ほどからは180度も変化した気配。
 それは誰よりも傍にいてその本質を知っているカゲトラにしかわからないような変化だったが、見ているだけでこちらまで気持ち が締まってくるような感覚を彼にもたらしていた。

 ここからは、二人の戦場。
 戦をせずとも、それは戦いの舞台。


「行こう」
「ええ」


 交わされた瞳が、他の誰にもできない瞬時のコミュニケーションとなり、
 それを合図に二人の兵士は、絢爛たる戦場へと歩み進んだ。




02/12/14



ようやく(死)、直江さんの出番が急増〜
嬉しそうに着付けする直江さん。
パーティ会場にエスコートして突撃する直江さん。
名刺で悪事(違)をはたらく直江さん。

……なんか違う……(殴殺)

(ちなみに今回のウリはカラーが曲がっている直江さんと仮面のお二人でしたvv
しかし今回異様に長いな……1ページが)


ここまで読んでくださってありがとうございました。
ご感想・バグレポートなどbbsにでも頂けると嬉しいですvv




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