真夏のヘンゼルとグレーテル





 ショーケースの中に品良く並んでいる値札のないケーキ。
 白い壁にこげ茶色の床を持つ、他の客のいない店内。
 ドアベルの備え付けられた厚い木製のドアの前で揉み合う二人。

 この状況は一体何を表しているのだろうか。

「……話が見えないんだけど。あんたはオレを捕まえて一体何しようとしてんだ?」
 回りくどい表現で相手から情報を引き出すなんて芸当は苦手だから、単刀直入に訊ねてみた。男はまだオレの二の腕を掴んだままだ。先ほどからずっと変わらない、やんわりとした温かさがそこから流れ込んでくる。
「ご覧の通り、あなたにケーキを売りつけようというわけではありません。ただ召し上がっていただきたいだけです」
 男は好々爺然とした微笑みを浮かべたまま、穏やかに答えた。
 どうやら、代金は要らないということらしい。ただ単にオレにケーキを食わせたいだけなのか。
 まるで意図がわからない。そんなことをやっていたら商売にならないじゃないか。

「……何で?」
「理由を言ってもあなたは信じてくださらないでしょう」
 男は不思議な笑みを浮かべてから、ふと表情を変えた。
「……ご心配なさらなくても、おかしなものが入っているなどということではありませんから」
 悪戯っぽく片目を瞑ってみせる様子が、思いがけず砕けた姿を覗かせて、つい引き摺られて笑ってしまった。

 たぶん、この男には悪意など微塵も無い。この不思議な申し出は謎だらけだが、決して害を及ぼすつもりはないようだ。

「ああ、笑ってくれましたね。その気になってくださいましたか?」
「……でも、他のお客さんが来るだろ。邪魔になるんじゃないのか」

 ドアにはめ込まれたガラスから外を透かし見ると、往来は強い日差しが照り返してひどく明るく、日傘をさして歩く女性や麦藁帽子の子どもの姿がひっきりなしに見かけられる。あの中の一人二人が休憩がてらに、ケーキ屋兼カフェであるらしいこの店に目を留めないとは思えない。

 ケーキをタダで食わせてくれるとか、美味い茶を淹れるとか、こちらにすればいいことずくめの申し出だが、そんなことをしていては商売に差し支えるのではないか。
 そう思って躊躇ったのだが、すると相手は背後からすっと手を伸ばしてドアプレートに触れ、

「ご心配なく」
 ドアに吊るしてあるプレートを引っくり返して『CLOSE』の面を外へ向けた。
「今日は貸切なんです」

 さて、と男は改めてオレへ向き直った。次の瞬間、その口から出た言葉は、オレをひどく驚かせた。

「お誕生日を迎えたあなたのために。ケーキ食べ放題、時間無制限、美味しいお茶と給仕付き。いかがですか?」
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7/19
高耶さんじゃなくても、初対面の人間に誕生日を言い当てられたらびっくりすると思う。さて、なぜ『彼』は知っているのでしょうか?

photo : : : 素材カナリア
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