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また来ちまった……


この公園が気に入っていた。
小さくて、街灯の光があまり届かなくてひっそりと息がつける。遊具といってはブランコと砂場だけ。隅の方に水飲み場があるのが、金のない身には助かる。

高耶は目立たない端のベンチにひそりと腰を下ろした。
ぼんやりと背を凭れに預けて、上を向く。
対向車が行き違いをするのがやっとの狭い道を隔てて、大きなマンションの背中側がこちらへ向いている。15階建てで、白い壁を持つその建物には、ぽつぽつと灯りが灯っていた。カーテンを隔てて外へこぼれている。
暖かな光だった。
(どうしてオレはこんなところにいるんだろう)
もうとっくに夜の仲間からは縁を切った。こんな風に夜中に外を徘徊する理由なんて、もうどこにもないのに。
どうしてこんなところでベンチに座っているんだろう。

帰りの遅い兄を心配している妹の顔が脳裏に浮かんだ。
母親の病死以来すっかり気鬱に陥ってしまった父親の面倒をよく看て、中学生なのにずいぶんしっかりと家のことを切り盛りしている妹。付き合う仲間のことで父親とぶつかってばかりの自分は、あのころいつもこうして夜を歩いていた。
勤めを変えて単身赴任中の父親が不在になった今は、家には妹しかいない。それなのに、どうしてまたこうやって外に出てくるのだろう。居場所がないなんてことはもうないのに。
つるむ仲間もいない。一人きりで、ただこうして夜を明かす。
まんじりともせずに暗い空を眺めるのが、癖のようになっているのかもしれない……。
中毒症状にも似て。

ひとりでに笑いがこみあげてきた。
たちのよくない笑いが。

「くっ」
顔を伏せてその哄笑をやりすごしたとき、ふいに久しぶりの空気を感じた。
―――不穏な気配がすぐ近くにある。

……あぁ、オレはこの緊迫感から逃れられないのかもしれない。
暗い悦びが湧き上がるのを感じて呟く。
所詮、染み付いた匂いは取れやしない。足を洗ったつもりでも結局、この瞬間を渇望している自分がいる。
お笑い種だな……

顔を上げると、膝ほどまでの塀を乗り越えて、それらしい人間たちが近づいてくるのが目に入った。
見た顔だ。昔のグループの下っ端に、たしかこんなのがいた。


……高耶は、拳に、ゆっくりと力を溜めた。




02/09/16




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「……騒がしい」

白い壁のマンションの10階で、机に向かっていた直江は下の方から聞こえてくる喚声に眉を顰めた。
顔を上げて意識をそちらへ向けると、どうやら乱闘騒ぎになっているようだ。
静かな住宅街に響く怒声は低く高く様々に入り乱れていたが、察するに子どもの喧嘩のようだった。中学生か、高校生か。この地域の問題児かもしれないし、もしかしたら殴りこみにかかってきた隣の市の子どもかもしれない。
そんなものに関わりあうつもりなどなかったが、殺がれた集中力は容易には戻らず、直江はやがて諦めて立ち上がった。

窓際に寄ってカーテンの合わせ目に手をかけたとき、ふと先日のことを思い出す。
「……まさかな」
呟いて布を端へ引くと、彼は下へ目を向けた。
その瞳が細く眇められ、公園から転がり出るようにして道路へもつれこんだ四五人の人影をじっと見つめる。
一人に三人が向かっていったのを、振りほどくようにして突き飛ばし、囲まれていた人物がようやく他から少し距離をおいた。
街灯の光が、その姿を浮かび上がらせる。

「……っ」
直江は蛍光灯の白い光に照らされた彼の半面を見るや、低く舌打ちした。

「馬鹿を……」
彼は、寝間着になっていなかったのを幸いに、上着を引っつかんで直ちに家を飛び出した。




「どうした?もうお終いか。来いよ」

自分も、相手方も、すっかり汗をかいて荒い息をついている。
一対三。ひさしぶりに大立ち回りを演じた。
それぞれ二発以上食らわせてやったが、こちらも幾つかは拳を受けたような気がする。怪我になるほどの負担は受けないように流したけれど、痣くらいにはなるだろう。
でも、まだこれからだ……こんなんじゃ甘すぎる。

「ずいぶんなざまじゃねーか。オレ一人に三人でかかってきておいて骨の一本も取れないなんてな」
「うるせえ!ふざけんなよこの腰抜け野郎が!まともにかかっても来ねぇで!」
挑発すると、相手はすぐにのってくる。
もう少し、暴れたい。
痛みだけが残るほど、徹底的に暴れてしまいたい。そのまま倒れてもいいくらいだ。
ひさしぶりの殴り合いは腑抜けかかっていた体を随分燃えさせてくれた。
「来ねーんなら、こっちからいくぜ。―――らぁッ!」
間合いをじりじりと詰めてくる相手に、こちらから仕掛けてゆく。
待っていても暇なだけだ。こういうものは先にタイミングを掴んだもの勝ちだと、わかっている。

「受け取れよッ」
名前も思い出せないけれど、辛うじて顔を知っているリーダー格の男にまず一発。
体をくの字に折ったところを、返す肘で背打ちにする。
その間に背後に回ってきた残り二人につかみかかられないうちに体を逸らして、今度は足で払う。もう一人は背を逸らしてかわした。
無様に地に転がる二人を見ても、何も感じない。浮かぶのは自嘲の笑いだけだ。馬鹿やってると思うのに、やめられない。
ところがその笑みも相手の神経を逆撫でするだけらしい。
「て、めぇ!」
尻餅をついた方が怒りに瞳を燃やして跳びかかってきた。
笑いに加えて、子どもに対するようなあしらわれ方にプライドを傷つけられた風だ。読みやすいというか、何と言うか。
単純すぎて笑えてくる。
「わざわざ暇つぶしにケンカしかけてくるんなら、もう少しお勉強してからにするんだな。
オレは結構な修羅場経験があるからな、小競り合い程度しか知らない甘ちゃんの相手なんか真面目にやってらんねーよ」
再び体を捻って軽くかわすと、相手はまたバランスを崩してアスファルトの上に転がった。
「ぐっ」
肩から堅い地面に突っ込んだその男はどうやら肩の骨を強打したらしい。もしかするとひび程度にはなっただろうか。
それでも呻き声が小さく抑えられていたところだけは、根性があると見てもいいかもしれなかったが。

これで、一人は戦闘不能になった。
「……よくやってくれたもんだな」
残り二人は、負傷した男を放って、こちらに向き直った。
目が据わっている。怖いとも思わないが、狂犬じみた光が踊るその瞳に、次に何が起こるのかが読めた。

パチン、と音をたてて、二本の万能ナイフがきらりと光を反射する。

「それを持ち出すと犯罪だぜ?」
唇の端を吊り上げながら、高耶は全身の筋肉にじりじりと神経を張りめぐらせた。

がむしゃらに跳びかかってくる刃を避けて、背中を突き、再び襲ってくるもう一本のナイフを蹴り上げた。
狙いが逸れて腕を打ったのみの相手は、少し顔を歪めたがすぐに向き直って切りかかってくる。
「――― !? 」
それを避けて体を泳がせたところに、もう一人の腕が絡みついた。

―――やばい

動きを封じられたところへ迫ってくる残忍な笑み。
腕は動かない。残るのは足だけだ。切られる瞬間に蹴り上げてやるしかない……


そのとき、駆けてくる足音と共に、鋼のような厳しい声が辺りの空気を切り裂いた。
「やめなさい!」




02/09/17




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―――驚いた。
この声。知っている。半分寝ていても、心地よく耳に残る。豊かなバス。
あの妙な古典の先公、直江だ。

ザッ……

「っ」
一瞬気を逸らした、そのとき、鋭い刃が頬を掠めた。反射的に顔を逸らしたが、完全には避け切れなかった。
刹那の空白のあとに、灼けるような痛みが襲ってくる。
「やめなさいと言っているでしょう!」
それを目にした男の声が、さらに厳しく耳を打った。オレまでびくりとしてしまうほど。底力のある鋭い声だ。

「離しなさい!」
あっという間に目の前までたどり着いた男が、血の滲んだナイフを握っている手首を掴んだ。
「うわぁっ!」
この教師の普段の姿からは想像もつかないが、よほどの力で締め上げられたのだろう、偽りのない恐怖の叫び声を上げて、吉村……そうだ、たしかこんな名前だった……はナイフを取り落とした。
「お前もだ。その手を離しなさい」
直江は、オレの腕を封じていた奴の手首も同じように締め上げて無理やりオレから引き剥がした。
吉村と同じような悲鳴を上げて、奴も痛みをこらえている。



「お前たち、名前と在籍校を言いなさい」
肩を負傷して道路に転がっていた奴も回収して、直江は三人を集めると、リーダー格と見て取った吉村の肩を掴んで、口調だけはいつものままで、しかし恐ろしく冷えた声で詰問した。
「な……何なんだよてめぇは !? 」
「仰木君の学校の者ですよ。さあ言いなさい」
「誰がっ」
相手の眼光の鋭さに気圧されながらも、吉村は横を向く。

直江の瞳がすうっと細められた。

「素直に答えないと、―――こうですよ」
先ほど掴んだ手首に再び手をかけて、相手の目の前まで差し上げると、直江は無造作な動きでそこに力をこめた。

みし、と骨の軋む音が聞こえるようだった。

「うわぁぁぁぁ……っ!」
絹を裂くような、という形容詞を男に使うのかどうかは知らないが、吉村はそういう悲鳴を上げた。
「さっさと言いなさい。それとも、折られたいんですか」
声音がまるで死神のように冷たく厳しい。
決してその台詞が脅しではなくて、本気でそうするだろうと、嫌が応にも悟らせる声だった。
あと少し力をこめれば、確実に手首の骨が握りつぶされる。
オレでさえ、背筋が寒くなった。

「東高の……吉村だ」
がたがたと震えながら、吉村はようやく三人の名前と所属校を話し出した。



「お前……なんでこんなとこに」
三人から身分証明になるものを取り上げて解放してやり、ようやくオレの方に向き直った直江に問うと、相手は苛立ちを隠さない顔で言葉尻も鋭く詰問してきた。
「あなたこそ、どうしてこんな時間にこんな所をうろついているんです?こんな騒ぎを起こして。まさか自分から招いたのではないでしょうね?」
仲裁役などをやらされてうんざりだという表情を隠さないその言い様に、オレはカチンときた。
こんな顔されたら、礼を言う気も失せる。
「誰が好きでこんな所を果たし合いに使うかよ。あいつらがいきなり来てイチャモンつけてきたんだ。
大体、てめぇには関係ねーだろ」
上目に睨みつけてから視線を横へ逸らすと、顎を掴まれた。
ぐい、と無理やり向き直らされて、冷えた瞳に侵入を許してしまう。
「……ァにしやがる!」
「達者な口をして、お礼の一つも言えないんですか」
馬鹿にしたような笑みが片方の頬にだけ浮かんだ。礼を求めているわけではない。それを言えない育ちの悪さを嘲っているのか。
だとしたら許せない。

「……助けてくれと頼んだ覚えはねぇよ」
腹の底から出す、ひさびさの凄み。
これまで関わってきた最低な人間たちを一様に黙らせてきた睨みを真正面からぶちこんだ。

―――だが、相手は動じない。
「大きな口を叩くんじゃありませんよ」
顎を砕くほど強く、指に力を入れて、まっすぐに瞳を返してきた。痛みに一瞬眉を顰めたオレに、まだあの嘲笑めいた色を見せて
「あのままではこの程度では済みませんでしたよ?」
頬の傷に乱暴に指を触れられて、オレは唇を噛んだ。

屈辱だ。
目の前であんな醜態をさらしたなんて。しかも、こんな最低野郎に助けられた。
ケンカにプライドも何もあったもんじゃないけれど、よりにもよってこんな奴に。
この男が憎い。
何もかもが気に入らない。
この間の朝のことも、今日のことも。授業中だって顔も見たくなかった。
この世で一番嫌いなタイプの人間だ。

「突っ張るのも結構ですが、自分の身くらい自分で守れるようになってからにしなさい。心配する人もいるんでしょう。たしか、妹さんが」
「なっ」
どうしてこいつが美弥のことを知っている !? 
「担当教師ですからね。ある程度のことは聞きましたよ」
「てめぇ……」
どこまで何を聞いたというのだろう。
本格的に剣呑な気分になったオレだった。
しかし、この男はそれ以上何を言うつもりもないらしい。

「さっさと家へ帰りなさい。今度ここへ来たら通報しますからそのつもりで」
乱暴に顎を離されて解放され、冷たいだけの声でそう言うのを背中に聞きながら、オレは唾を吐き捨てた。


あの男の悠々とした足音が消えるまで、オレはずっとそこで屈辱に燃えていた。





02/09/19




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少し動きが出てきましたかね〜。ケンカな高耶さんです。ふふふ。強いのですよね〜彼は。(02/09/16)
やってますなぁ……。ちょっとピンチで登場の直江さん。はい、お約束ですね〜(笑)(02/09/17)
こういう険悪な二人を書いたのは初めてかも……。しんどいです。あうう。(02/09/19)


お読みくださってありがとうございましたvv
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泉 都さまに捧げます。

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