Cherry,
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Cherry!





















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 ひょんなことから朝帰りをする羽目になった青年は、朝というには些か遅い時間に自宅前に差し掛かっていた。
 ちょっとそこまで煙草を買いに、という風に勝手知ったる道を歩く姿は、普段と何ら変わりのない様子である。出会う人々にきちんと挨拶してすれ違ってゆく彼は、近所でも評判のいい好青年なのだった。
 今時の若い男の子には珍しく完全な自炊生活を送っている彼は、夕方のスーパーでは主婦に出会い、また、休日の公園では小さい子どもたちの遊び相手になってやり、いいお兄ちゃんぶりを披露している。
 彼が今度の春から近所の保育園で働くことになっているのだということを、子どもを持つお母さんを始めとする主婦たちはみんな知っており、まだ正式な勤務に就いてこそいないものの、既に彼はご近所では『高耶お兄ちゃん』で通っているのだった。
 青年は出会う子どもたちや小母様方と朝の挨拶を交わしつつ、我が家へと歩いていった。



 帰宅すると、客があった。
 鍵が開いている。玄関に意外にきちんと揃えて置いてある靴は、見知った相手のものだった。

「不用心だな。鍵くらいかけろよ」
 言いながら中へ上がると、ヴェルサーチのスーツに身を固めた金髪の男が、すり切れた畳の上で大の字になっていた。
 昨夜の当初の待ち合わせの相手は、自分の用事を済ませた後にここへ来ていたようである。昨日のうちに来たのか、それとも朝になってから転がり込んできたのかはわからないが、快眠を貪っていたらしいことはよくわかる。
「あぁ?……おう、お帰り」
 気持ちよさそうに眠っていた彼は、こちらの気配に気づいて目を覚ますと、伸びをして起きあがった。
 うーんと腕を伸ばし、がしゃがしゃと髪をかき上げる仕草は無造作で、金を掛けた派手な出で立ちと全くそぐわなかった。尤も、そういう『地』と、服装云々の『擬態』の使い分けがうまいこの男を、気に入っているお姉さま方は少なくないのだ。

「―――昨日から来てたのか?悪かったな、ドタキャンで」
 青年は、上着を脱いで、部屋の隅に置いてあるコート掛けに掛けながら振り返った。
「こっちはこっちで楽しんだからいいってことよ。
 それよりさ、コーヒいれてくんない?爽やかな朝の目覚めは一杯のコーヒーから。……って、CMみたいだな」
 ひらひらと手を振った男は一人で格好つけて台詞を言い、一人でウケてみるという大阪人顔負けのハイテンションぶりを披露した。

「コーヒーくらい、てめえで入れろよ。……しょうがねーな」
 深く突っ込まれることなく話題を変えた相手に少しほっとして、青年は毒づきながらもすぐに立ち上がって流し台に向かう。
 この面倒見の良さは、未来の保父であるからなのか、それとも元々こういう性格であるからこそ保父になったのか、おそらく後者だろうなと思いながら、青年の友人は相手の背中を見送った。

「インスタントしかねーからな」

 清貧生活の住まいに嗜好品の類はない。コーヒーメーカーなどおいていないので、コーヒーを入れようと思ったら湯とインスタントコーヒーの瓶を用意するだけだ。
 やかんを火に掛けて、その側にマグカップを二つ並べると、彼は畳の一間に戻った。

 押入から折り畳み式のテーブルを出してきて、所在なげに胡座をかいていた友人の前に置いてやると、相手はにっと笑ってそこににじり寄った。
 両肘をついて組んだ手の上に顎をのせ、じいっとこちらを見つめてくる。
「……何だよ」
 じいっとまっすぐに向けられる視線に戸惑う。

「今すぐにでも嫁に行けるな、お前」
 にやにやとからかうように笑うその顔に、青年はむっと眉を寄せる。
「何言ってやがる。オレは男だ」
「男でもお買い得だろ?今時の女は家事が苦手だからな。主夫募集してるかも」
「ばぁか」
 何度となく繰り返されてきた会話を今日も繰り返し、彼らは笑った。

 そんなことをしているうちに、やかんがゴボゴボと音をたて始める。

「……で、湯沸いたみたいだけど?」
 青年の友人がそれに気づいて親指で示した。
 にっこりと笑って人を動かすその様子は、面倒を看られることに慣れた遊び人らしさがたっぷりと演出されていて、青年は思わず吹き出してしまう。

 頷いてコンロ台に向かうその背中に、声がかかった。

「ところで、どうだった?昨夜の感想は。初!朝帰り」

 ―――ふいうちに驚いて思わずやかんを取り落としそうになった青年である。

「うわ、危ねぇ……いきなり何だよ?」
 何とか持ちこたえてマグに湯を注ぎながら、じろっと後ろを睨み付けた。

「お〜怖い怖い。興味があったから聞いただけなのに。なあ、どうだった?楽しかったのか?」
 にいっと笑って尋ねてくるのを、その目の前にマグを置きながら頷く。
「楽しかったぜ、すごく。話題は豊富だし、メシはうまかったし、ホテルも最高。今朝は駅まで送ってくれたしな」

 嬉しそうに、楽しそうに指折り数えて話す青年に、相手は棒でも飲み込んだような顔になった。

 冗談のつもりで突っついたらビンゴを引き当ててしまったらしい、と彼は自らの考えの甘さを思い知らされたのだった。
 彼は三拍ほど間を置いてから、肩をすくめて言葉を吐き出した。
「……なに、マジそういうことになったわけ?行きずりの女と、か?お前らしくねーな。……それとも、本気?」
 くるりと瞳をめぐらせて尋ねる様子は、興味本位というよりは相手を心配してのもののようだが、根本的なところで誤解されている。
 一瞬、このままかついでやろうかと考えた高耶だが、やめておくことにした。下手なことをすると死に際の耳元まで言い続けられそうだ。
「ちげーよ。メシはおごってもらったし、いっぱいしゃべったし、ホテルにも泊まったけど、それだけだよ。  大体、相手は男だ。すっげーイイ男だけど」

 相手の表情はさらに珍妙なものになった。

「……男に持ち帰られたか、お前……」
 何とも形容しがたいぎこちなさの下から、彼は今度は十拍ほど間をおいて、ようやくため息のような声を発した。
「それにしても、珍しいとしか言いようがないな。お前が初対面の人間相手に、そんなに警戒心解くなんてさ。で相手、どんな奴よ?素敵なオジサマ?」
「別に持ち帰りとかそんなんじゃ……」
 青年は首を振ってから、ふと友人の顔を見直した。
「あ、そういえば直江、千秋のこと知ってたぞ?お前、有名なんだな。今はこんなだけど」
 だらしなくテーブルに両肘をついている友人に、肩をすくめながら彼は言った。
 天下のDAS-Yトップホスト・千秋修平が聞いて呆れるぜ、と言わんばかりのため息である。

 しかし相手にはもっと別に、引っかかる部分があった。
「は?直江?誰だよそれ」
 聞き覚えの無い名前を突然挙げられ、しかも相手の台詞のニュアンスから推してその人物はかなりの有名人であろうと思われる状況である。彼が無防備に問い返したのは無理もないことだった。
 だが、
「あ、そうか。直江は本名なんだっけ。仕事の名前はな、聞いて驚け、―――」
 友人の次の台詞を予想することは、さすがの彼にもできなかったのである。

 青年は、どこか面白そうな光を浮かべて、口を開く。

「―――橘義明だよ」


 その言葉を聞いたとき、彼の友人は今度こそ目を見開いた。




03/05/27



超おひさの、ホスト直江さん〜。(でも直江さん登場しませんね)
今回と次回のゲストは、読んでいただいてお分かりのように、千秋です。
朝帰りの高耶さんを冷やかすつもりが逆にヒヤリとさせられてしまうちーの巻。
気分はもう、娘の初めての外泊に心臓をキリキリさせているお父さん!(笑)

読んでくださってありがとうございました。
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