Cherry,
Cherry,
Cherry!





















 相手の滅多に見られないほどの驚愕ぶりを当然のことと受け止めて、青年は邪気の無い表情で僅かに首を傾けた。
 自分の頬のあたりを指で突つきながら説明する様子は、至極淡々と解説してゆくようにしか見えず、彼がまだ半ば夢心地であるのだということが、対する友人には知れた。
 彼は普段の彼ではない。まだ、『日常』に戻りきれていないのである。旅行気分が抜けない、とか夏休みボケしている、という言い回しがあるが、目の前にいる友人の様子は、ちょうどそれに似ていた。

「話せば長くなるんだけどさ。直江の昨日のお客さんにトラブルがあって、キャンセルになったんだよ。で、予約してるレストランとかホテルが勿体ないからって誘われた。何か不思議だよな。超一流ホストのくせに『勿体ない』って言うんだぜ?」

「―――いや、そういう問題じゃねーだろ」
 千秋は首を傾げている相手に素早くツッコミを入れてから、
「お前、あの男を一晩買ったのか?それはまた、すげーことをしたもんだ」
としみじみ呟いた。

 『橘義明』がどのような種類のホストなのかを知っている人間にとっては、青年の言葉は殆ど信じられない心境である。
 それでもこの友人がこんなことで嘘をつくような人間でないことはよくわかっている。だからこそ、余計に奇妙な気がしてならないのだ。

 一方、彼の友人は首を振って相手を見た。
「買ってねーよ。少なくとも金は払ってねぇ。メシも泊まりもタダ。……でも後で請求書とかきたらオレ絶対破産だな」

 いや、悩みどころはそこではないだろう。
 うーんと唸りつつ笑っている友人を異星人でも見るように凝視して、千秋は口を開いた。
「信じられねー話だな。あの男がお前を連れてトータルコース……?」

 トータルというのは夕食を済ませてから泊まって朝まで付き合うという意味である。つまりそれは体を交わす行為も含めたコースプランだった。
 『橘義明』がごく稀にしかトータルの客を取らないということはよく知っていたが、目の前にいる友人の話は事実だけを追えば確かに『夕食から朝まで』である。
 からかい半分、疑い半分に呟いた千秋だったが、
「だから、トータルじゃねーってば。BCなんてしてねーよ」
との相手の台詞の後半を耳にしたときには、思わず聞きとがめてしまった。

「―――BCしてねえって、んならAはしたのか?」
 相手の台詞の後半はさらっと続けられたが、よくよく考えればとんでもないことを言っている。

「ぅ……」
 鋭いツッコミに思わず昨夜のことを思い出して僅かに赤くなった高耶である。
 その顔色の変化をまともに見てしまった友人は、半ば身を乗り出して詰問した。

 まさかとは思ったが、この赤くなりようはどう見ても図星だ。
「オイ、本当にやったのか?お前が?男と?あの男と、か?」

「……別にそんなんじゃねーよ。あれは……ハグと同じレベルなんだから」
 あからさまに動揺してから小さく首を振った相手を見て、千秋は思わず天を仰ぎたい気持ちになった。
「したのか……。お前、よりにもよって初ちゅーが男かよ……気の毒に」

 遠い目をして首を振り振り呟いた彼だったが、高耶はぶんぶんと首を振る。
「でも直江は別に本気じゃなかったんだから。それにA以前って言ってたし」
 妙に早口に綴られる言葉は、自らに言い聞かせるような不思議なテンポだった。

 例えるならば、お宅のご主人って優しそうでいいわねぇ、と近所の主婦に言われて、あらそんなことないですよ、味付けの好みなんかもうるさくって店屋物なんか絶対に食べてくれないんです私の手料理じゃないとって煩くて、と照れ隠しにまくしたててしまう新妻。否定しているつもりが実は惚気ているのだということに本人は気づいていないという、あの感じだ。

「『以前』なあ……まぁお前が気にしてねーならいいけどな。それにしてもなんでそんなことに」

 ますます遠い目をする羽目になってしまった千秋であった。

「オレが酔って口軽くなってたんだ。それで、恋愛経験がないって愚痴話になっちまって、そしたらあいつが、ちょっとやってみますかって……」
「……口説かれてるとしか思えねーけど」
「違うって。全然そんな気なかったよ。本気でやったら腰を抜かすと思いますよって言ってたし」
「腰は抜かさなかったわけか?へえ?」
「いや、ちょっと力抜けたけど。なんかもう、ふわふわしてすげー気持ちよかった……」
「さいですか……」
 青年は言わなくてもいいことまでずらずらと並べた。おそらくは、―――否、確実に―――無意識のことではあるのだろうが。
 聞かされる身には、地面にめり込みそうになるほど脱力するよりほかにない。

「仔犬になって飼い主にちゅーされてる気分てあんな感じなんだろな。
 ……って、何言わせるんだよ!」
 なおも続けた青年は、はっと顔を変えて友人の背中を叩いた。
 まさに照れ隠しの行動。
「てめぇが勝手に喋ったんだろ。一人でやってな」
 むやみにばしばしと叩かれて、千秋はさすがに声を尖らせた。
「つめてーなぁ……」
 相手は少し頬を膨らませるようにしたが、千秋にも言い分がある。
 大いにもっともな言い分が。
「朝っぱらから疲れちまった。こっちはイロイロ心配してたのになぁ、お前ときたらあろうことか男にお持ち帰りされて、挙句の果てにそんなぽーっとしちゃって。脱力したくもなるってもんだろ」
 テーブルに突っ伏して深いため息をつく彼だった。

 高耶はそれを見ているうちに今ごろになって正気が戻ってきたようである。
 ぱっと赤くなって、
「ぽ、ぽーっとなんかしてねーよ!変なこと言うな!うわああ……」
 頭を抱えてしまった彼に、友人はようやくいつもの悪戯な笑みを復活させた。
「なぁに今になって照れてんだよ。さんざん惚気といて」
 ぽんぽんと頭を叩いてやりながら、彼は改めて状況を楽しみ始める。
「のろけてなんかねーよっ!……たぶん」
 ばっとその手を振り払って相手を睨みつける彼の友人は、見事に真っ赤だ。

 そうそう。こうでなくては。
 俺様がこいつをからかって遊ぶのが本来あるべき姿なんだから。

 22になる男だが、彼はときどき妙に可愛く見えることがあって、友人のほうは楽しそうにその赤面をねめつけている。
 突っ張っていた中学、高校時代にもかかわらず、現在の彼は至極真っ直ぐで素直な心を持っているのだった。芯の強さはそこらの同年代の人間たちとは比べ物にならないが、それでも彼は誰よりも透明な部分を失わず心の中に保っている。
 だからこそからかい甲斐もあるというものだが。

「―――たぶん、ねぇ。お前今自分がどんだけ赤くなってるかわかってるか?青森リンゴ顔負け!」
 にやりと笑って赤い頬をぶすっと突つくと、相手はますます赤くなった。
「……そんなに赤いか?」
 頬が火照っている自覚があるらしく、そっぽを向いてふて腐れてしまう。まるで悪戯を見つかった小学生のようだ。
「鏡でも見れば?アップルくん」
 にやにや笑って見ていると、相手はさらに赤くなって必死に睨みつけてきた。
「何がアップルくんだ !? 笑うな!」
「だから、鏡でも見てみろよ、まさにアップルボーイじゃん?……それとも、チェリーボーイって言ってほしい?」
 テーブルの上に肘をついて手を組み、顎をのせてじいっと見つめ、意地悪く続けてやる。
 すると相手は一瞬はっと目を見開いて、それからますます赤くなった。
「うーっ」
 咄嗟には返す言葉を思いつけずに、それでもくやしくてこちらを精一杯睨みつけてくるのだが、その眼差しは小さな仔猫が毛を逆立てて威嚇しているかのように可愛らしい。

 ―――まったく、そんなだからからかいたくもなるってもんだぜ。

 可愛らしさにたまらなくなって、その頭を撫で回した。
「よしよし、わかったから。お兄さんに任せなさい。今度素敵なおねーさん連れてきてあげるから」
 がしゃがしゃと髪を乱しながら言ってやると、相手はますます嫌がって、がるがる唸る。
「いらねーよ!余計なお世話だ!バカ千秋っ」

 叫んだ顔は見事に真っ赤で、今度こそ本当に青森リンゴ顔負けだ、と千秋は笑い出した。

「笑うな!!」
 憤慨と羞恥と激怒の交じり合った赤に全身を染めて、高耶は叫ぶ。

 その一方で、ようやく笑いの発作をやり過ごした千秋はふと手元のマグカップに視線を落として言葉を続けた。
「あ、コーヒー冷めちまった。いれなおして♪」

「……てめぇ……」
 明るいお願いとは対照的に、友人の声は地を這うような低音だった。
 だが相手は全くといっていいほど動じる様子を見せず、小首を傾げた。
「ん?どうかした?経験云々も何も、まずは花嫁修業が肝心よ?おわかり?アップルくん」
 眼鏡のずれをなおすように縁を摘まんで、キラリとガラス面を光らせ、千秋は『花嫁学校の先生』風を装う。

「〜〜〜っ!」
 わざとらしく小指を立てたスタイルと裏声があまりにも可笑しくて、相手は怒鳴りたいのと吹き出したいのとで大変なことになった。

「わかったら淹れて。『旦那様のための美味しいコーヒー』が淹れられるようになるまでビシバシしごいてあげるから」
 苦しんでいる相手に満足そうな笑いを浮かべ、千秋はなおも続ける。


「……その口を閉じたら淹れてやる。いい加減黙りやがれ!」

 ―――やがて狭いアパートに響いた声は、青年の白旗だった。



03/05/31



今回は連続の、ホスト直江さん〜。(でもやっぱり直江さん登場しませんね)
ゲスト千秋は高耶さんにぎょっとさせられつつも最後はいつもどおりからかってお終いなのでした。
(念のために補足:ちーは高耶さんに惚れてはおりません!/笑)

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