「―――そういや、ここに泊まるの久々だな」
豆球だけにした明かりを見上げ、ふと千秋が呟いた。
「そうかもな。ナンバーワンのお前がヒマを持て余してるなんてこと、あんまり無いだろ。気まぐれだって言われてても、何だかんだ言ってそれなりに手を打ってるもんな。優しいヤツ」
同じようにオレンジ色の灯りを見上げて、その友人がくすりと笑う。
狭い六畳間に布団が二セット。
並べて敷かれた布団にそれぞれ納まって、部屋の主とその友人はぼんやりと光る豆球の明かりを見上げている。
ぐしゃぐしゃになってしまったスーツはとうに脱ぎ捨てて、千秋は友人のパジャマを借りていた。本人曰くの成金なので、シルク100%でないと眠れないなどという白昼の寝言は言わないのである。二着千円であろうが、本場タイシルクのオーダーメイドであろうが、彼にとっては大した違いではない。尤も仕事中には仕事着として後者を着るが、そんなものはファミレスのアルバイターが制服を着るのと同じ意味合いであって、普段は洗いざらしで充分だと彼は言う。
千秋は友人の手できちんと洗濯されたパジャマを気持ち良さそうに着込んで、何年も使っているけれど良く陽に当てられた暖かな布団に身をもぐりこませるのだった。
「はん、優しくなんかねぇよ。商売繁盛、願ったり叶ったり、ってわけ。この世界は他所に五重くらい輪をかけてお客様第一だぜぇ?」
彼は友人の台詞を鼻で笑って偽悪的な返事を返したが、
「『お客様第一』にも、色々あるよな。千秋は来るもの拒まず。お互い一時でも楽しめるようにって努めてるし」
悪ぶったその返事に喉の奥で笑って、彼の友人は首を振った。
彼はそこまでで口を閉じてしまったが、『色々』と言ったことの言外の意味を汲み取った千秋は、僅かな間を置いて、目を閉じた。
「……で、来るもの拒まずな俺様の対極みたいなヤツも、世の中にはいるわけだ。口説かれても99%なびかない、難攻不落の男」
目を閉じたままそんな風に呟いた彼だったが、並んで寝ている友人は何も言葉を返さなかった。
しかし、眠ってしまったわけでは決してない。目を閉じていても、友人が唇を噛んでいるのがわかる。
「落ちない理由がまた、罪作りなんだよな。第一に、料金設定が高すぎる。まず普通のご家庭の女性陣じゃあ手が出ない。第二に、本気の女は相手にしない。顔かたちが気に入らないとか性格が好きじゃないとか、そういう好みの問題じゃあなくて、本気で自分に恋しているのなら付き合えない、とくるわけだ。ワルだよなぁ」
この場にはいないそのフリーの超一流ホストを、対照的な店付きのナンバーワンホストは、肩をすくめながら詰るような言い草に付した。
並んで眠る友人は、その意見に対して顔色を変えて否定するつもりは無さそうだったが、相手の台詞の最後については僅かに首を振った。
「―――直江は悪くなんかねーよ。優しいんだよ」
その小さな声を、視線は向けずに耳だけで受け止めて、
「そうさ、優しい。奴自身が身を固める気にならない主義だから、本気で恋されたら相手の女性を破滅させることになる。そういう理由があるから、本気の客は取らないわけだ」
と頷き、そして千秋は布団の中で肩をすくめた。
「……これが、計算高くてプライド高くて出し惜しみしてるっていうならよくある話だが、奴は本気で相手側を心配してやがる。もてない男が聞いたら刺し殺したくなるような言い草だが、とにかく奴自身は本心からそう思ってるわけだ。
俺んとこに来るお客さんたちも、あの男にやんわりと断られたクチだが、残念だわと言ってため息はついても決して奴に恨みを抱いてはいねぇ。生まれながらのフェミニストらしいな、あの男。一緒に過ごす相手に対して心からの優しさを見せるんだとさ。演技じゃなくて、本気で」
呆れたと言わんばかりの口調で、しかし決してふざけてはいない重みを抱いて、千秋は呟く。
隣に寝ている友人は、黙ってその言葉を聞いていたが、相手が口を閉じると、長い吐息の後に口を開いた。
「―――そうだよ。優しかった。オレは女でもお客さんでもなかったのに、親切に介抱してくれて、色々話もしてくれて、連絡先まで教えてくれた」
「……そいつは、例外的な気に入られようだな。客でもないし女でもないから尚更、特別扱いなんだろう」
千秋はちらりと視線を隣へやって、呟くように返事をしたが、相手はやはりまっすぐに天井を見たままだ。その瞳に何が映っているのかは誰にもわからない。
「特別、か……。そういやオレのこと、『世界一』って言ってくれたな。こんなにリラックスできる相手は初めてだ、って」
彼の言葉を受けて、くす、と笑う気配がしたが、それは決して自惚れでも希望でもない。自惚れそうになり、期待してしまいそうになる自分を哂う、笑みだった。
その笑いを耳にして、彼の友人はおもむろに体を起こした。これ以上相手の表情を見ないふりをして話続けるのはつらい。声だけを聞かされる方が、一体どんな顔をして話しているのだろうかと想像する方が、ずっとつらい。
「……あの男はお前に何を言ったんだ?連絡先まで教えて、それは口説かれたってことか?」
同じように身を起こして布団の中で膝を抱えた高耶へ問うと、相手は笑って首を振った。
「まさか。友達になりましょう、って言ってくれたんだよ。会えて嬉しかったって言ったら、それならまたいつでも会えるように友達になりましょうって」
その答えを聞いて、千秋の顔からすうっと表情が消えた。
「……そうか。ンなら、俺に言えるのは一つだけだ」
しばらく黙って、それから顔の向きを変えてじっと自分を見つめてきた彼に、僅かにたじろいだ高耶である。
「何だよ?」
オレンジ色の小さな灯りの下で見る黒い瞳は、あの深い暗い海のように、様々なものを内に抱いて静まりかえった色をたたえている。彼は今、何を言うのだろうか。
縋るような眼差しと怖さを同居させた瞳で見つめ返してくる高耶を見て、千秋は彼を知る殆どの人間が知らない真剣な顔を一分も動かすことなく、口を開いた。
「それでも好きだというなら、おまえのその『好き』で、ヤツの身勝手な優しさと見当違いのお行儀の良さを、ブチ砕いてやれ。……たぶん、お前にしかできねぇよ―――バカ耶」
少しだけ声音を変えて紡がれた最後の言葉は、見ている人間が泣きたくなりそうなほど、優しかった。
風来坊で、人当たりがいいくせに本当は付き合いが悪くて、でも実のところ、何もかも曝け出した付き合いの相手にはとても面倒見がいい男は、
目の前にいる、しっかりしているくせに本当は脆くて、人に心を許したいくせに怖がりでなかなか素直になれない、不器用な友人に、優しく激励し―――
「……ありがと」
相手は、友人の言葉に含まれたあらゆる感情をすべて汲み取り、そして―――微かに笑った。
「んならさっさと寝るぞ!夜更かしはお肌の大敵よん、恋するアップルくん♪」
「アップルくんはやめろってば」
「じゃあチェリーね」
「もっとやだ」
やがていつもの軽口に戻った二人は、もぞもぞと布団にもぐりなおし、ようやく静かな眠りへと落ちてゆくのだった。
04/03/03
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