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今夜も外泊となり、青年はまた友達に連絡を入れることになった。
「何ぃ?またかよお前……」
受話器の向こうで素っ頓狂な声を上げている友人に見えないとはわかりつつ手を合わせる青年である。
「事情はまた話すって。とにかく今日はオレ帰らねーから。悪ィけど夕飯はまたってことで」
「へいへい、わかりましたよ。……あんまり入れ込むなよ」
声を落として心配そうに付け足した相手に、青年は笑って答える。
「わかってるって」
わかっているどころかとっくに後戻りのできないところに来ているのだと、彼は半ば気づいていた。
けれどそれを電話の相手に言っても仕方のないことだ。まして本人が目の前にいるというのに、何を口にすることができよう。
もういいですかと目で問う男に頷いて、青年は電話を切った。
「仲がいいんですね」
ルームサービスの夕食と決め込んで、二人はローテーブルについた。
「ん?そうだな。何でだろ。風来坊のくせにあいつはオレんとこにはちょくちょく葉書寄越してた」
酒に懲りた青年は今夜はシャンメリーである。あいつが見たら笑うだろうなぁと思いながらグラスを傾ける彼に、男は首を傾げた。
「実は結構大事な仲間同士なんですね。自覚があるのかどうかはわかりませんが」
「えーそれの言い方は微妙だって。別にそんなんじゃ……」
照れたような風で否定する青年を、男は微笑ましげに見ている。
「そういう友達がいるのはいいですね。否定しないでいいんですよ。友達は一生の宝と言います」
「直江は?オレはともかくさ、直江はどうなんだ?そういう友達いるのか?」
「そうですね。そういう友達になれたらいいなという人はいますよ、目の前に」
くすり、と笑ってそんなことを言われ、青年は思わずむせた。
「げほっ……い、いきなりそんなこと言うなよ、びっくりするだろ」
「すみません。でも本気ですからね。冗談じゃないんですよ」
「そりゃ……ありがたいけどな……」
優しい笑みと共に言われて、青年は視線を彷徨わせる。まともに目なんか見られない。心の奥底まで見透かされてしまいそうだから。こんなにドキドキしてしまったのだと知られたらたまらない。
「じゃあ、約束です。何かあったとき、私には連絡してくださいね。私もそうしますから」
「……うん」
「それじゃあ連絡先を教えますね」
男はスーツの内ポケットから名詞を抜き出して裏返し、そこにシンプルな銀色のボールペンでさらさらと何かを書いて青年に渡した。
「ありがと。……これ、携帯?いいのかこれ教えて貰って……」
青年はそこに目を落とすと、少し驚いた風に顔を上げた。
「そこに書いた時間になら掛けて貰ってかまいませんから。それ以外の時間はときどき電源を切っています」
仕事の最中に携帯が鳴り出したらぶち壊しだ。たぶん、そういうときは電源を切っているということなのだろう。
「オレの方はどうしよう。携帯持ってねーんだけど」
受け取った名刺を財布に仕舞いながら青年が少し首を傾げた。男はおやという風に軽く目を見張って、
「若い子にしては珍しいんですね。でも、わかるような気がします」
僅かに微笑むと、目尻に青年の大好きな笑いじわができて、青年はそれに見とれた。
この微笑みが好きだ。笑われても決していやな感じがしない。むしろ微笑ましそうに笑われるとどきどきしてしまう。優しくて、温かくて、包み込むような……そんな笑みだから。
「……どういう意味だよ」
反応を見せない青年に不思議そうな眼差しになった男に気づいて、青年ははっと目をそらした。まさか見とれていたなんて言えるわけもない。照れ隠しに口から飛び出した言葉はぶっきらぼうだったが、それすらも男には微笑ましくて、彼はくすりと笑った。
「悪い意味ではありませんよ。ただ単にあなたらしいなぁと思ってね。あなたはたぶん、待ち合わせなんかにでも気の長い方でしょう。いらいらして携帯に掛けたりしないで、気長に待つのではありませんか」
そもそも出会った時にも青年は待ち合わせに遅れた例の友人を怒りもせずに待っていたのである。そのことを思い出しながらの男の台詞に、青年は頭をかいた。
「別に、急ぎの用事ってわけでもねーし。待つ分には全然構わねーよ。待たすのは気が引けるけどな」
「だから、あなたらしいと言うんですよ。否応なしに束縛し合う携帯はあなたにはあまり似合わないのかもしれませんね」
まっすぐで素朴な青年の態度に男はいっそう好感度を高める。
最初からそうだったが、この青年は本当にいい子だ。さっぱりした態度も、咄嗟に他人に手を差し伸べられる優しさも、とにかく何もかもが好ましい。こんなにも最初から気に入った相手は滅多にいないなと思い、不思議な気になった。
「……それはもしかして、ほめてる?」
当の青年はむむっと眉を寄せて、疑わしそうに上目で見上げてきた。
「ほめてます。大いにほめてます」
即答すると、その眉がぱっと緩められて顔が真っ赤になる。けれどそれは照れているだけで、瞳は嬉しそうに輝いているから、とても可愛い。
「おやおや、そんなに真っ赤になって。リンゴのようですよ」
くすぐるようにこめかみに指先を滑らせると、相手はふにゃっと首をすくめてますます赤くなる。
「今度は完熟トマトのようだ。……また熱がぶりかえしたの?」
「違ぇよっ!」
からかわれたと思ったのか、彼はむっと眉の角度をはね上げる。子どもっぽいしぐさがますます可愛い。
「ああ、すみません。そんなに怒らないで」
くすくすと笑う男に、青年は憮然としつつも見とれた。
目尻のしわが優しくて……やっぱり好きだ。怒っている気持ちすらすぐに溶けてしまうほど。
……もともと怒ってなんかいないんだけど。単に子ども扱いがいやだっただけで。
何気なしに触られるだけで心臓がばくばく言い出すのが悔しくて。
「すみません」
立派な大人のくせに若造のオレに屈託無く頭を下げる男は、こちらの気持ちなんて想像もしていないのだろうに。
青年は少し目を伏せた。
03/06/26
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