images by NORI's!baby,baby! ... “まいごのまいごの仔猫ちゃん”
「へえ……」
目の前にいる、上から下までモデルのようなセンスで統一された所謂イケメン系の男をまじまじと見つめて、その見てくれとどうにもこうにもそぐわない職業名に、驚きの声を洩らした青年である。
この男がエプロンを身につけて子どもと童謡を歌う姿は想像し難い。―――尤も、彼の伴侶が幼い娘を手放しであやす姿も一見想像不可能ではあるが。
「子どもの扱いを見てたら頷けるけど、なんか、意外だな……」
そんな反応には慣れているらしく、男は笑って頷いた。
「半信半疑って感じだな。無理もねぇけど。……ついでだから名刺やるよ」
ジャケットの内ポケットから取り出して差し出された名刺には、『さくら保育園 保育士 千秋修平』と書いてあった。
「あ。さくら保育園って、けっこう近くにあるやつだ」
保育園の住所を読んでふと呟いた高耶に、男―――千秋は、おや、と目を見張る。
「そうか?そいつはなかなかの偶然だな」
「うちのマンションの下にも毎朝バスがお迎えに来てるんだ。猫の絵が書かれたお喋りバス」
若い父親はリンゴジュースの入った赤ちゃん用マグのストローを子どもの口元へ差し出してやりながら、千秋に向かってにこりと笑った。
「猫バスか。残念ながら、俺の担当じゃあねーな。俺はまだ一年目だから、もう一回り小っこいウサギバスだ。猫バスは先輩保母さんの領域なのさ」
新米保育士は顎の辺りに手をやって、僅かに首を傾げる。どうやらお迎えバスにも経験に応じて担当のランクが決められているらしい。
「そうなのか。千秋さんの担当じゃないのか。残念だな、明」
若い父親は男の言葉に頷くと、満腹でご機嫌の子どもの頬を突っついた。
「あー。ちゃーあ」
子どもは父親に構ってもらうのでは飽き足らなくなったらしい。向かいに頬杖をついて自分を見つめてくる、遊び甲斐のある相手へと、身を乗り出して腕を伸ばし始めた。
「こら、明!お行儀が悪いぞ」
テーブルの上に上半身を乗せて精一杯に伸びて向かいにいる男へ近づこうとする娘を、父親が慌てて引き戻す。
「ちゃーっ」
しかし子どもは諦めない。懸命に身を乗り出してゆくので、それを押さえ込んでいる父親は、自分の食事も満足に進められない状態に陥ってしまった。
と、そこへ、
「俺は構わねーよ?明ちゃんこっちに寄越しな。その間にお父さんもメシ済ませちまえよ」
気さくな保育士の救いの手が差し伸べられる。
「え、いいのか?……何だか世話になってばっかりで申し訳ないな」
若い父親は子どもを抱き取った男に済まなさそうな顔を向けたが、相手は何でもないという風に首を振った。
「ま、これも何かの縁だろ。ああそれから、俺のことは千秋でいい。さん付けなんて、くすぐったくてしょうがねーや」
金色に染めた肩下まである長い髪を興味津々という様子で引っ張ってくる子どもを上手にあしらいながら、千秋は笑ってみせる。つられるように青年も笑い、
「じゃあ、オレも高耶って呼んでくれていいから。オレの方が年下だしな」
と打ち解けた口調になった。
「二十歳ってとこだろ?まだ」
「ああ。今年で二十一。千秋は?新米ってことは、二十二?」
「いんや。二十三だ。なりたてだけどな」
「なりたて?ってことは、昨日とか誕生日だったのか?」
「というか、今日だったりするんだよな」
「ええ!」
子どもを膝に乗せてあやしながら、面白そうな顔で告げられた台詞に、高耶はスプーンを取り落としそうになった。
「……そうか。そうなのか」
落っことしかけたスプーンを持ち直すと、高耶は口の中で呟いた。
「あ?どうしたんだ?」
驚いたかと思うと急に黙り込んでしまった彼を不思議そうに見て、千秋が疑問の表情になる。
次の瞬間、若い父親はスプーンを握り締めたまま突如として立ち上がった。
「え、おい!」
「明、みててやってくれな。すぐ戻るから」
高耶は子どものことだけを言い置いて、食べかけの昼食をそのままに、テーブルを離れたのだった。
数分後に戻ってきた高耶の手には、一目で何が入っているのかわかる、特徴的な紙箱があった。
「……おい、お父さん」
それを目にして、千秋はなんともいえない表情で瞬きを繰り返した。その膝の上で子どもは機嫌よく遊んでいる。
高耶はその持ち手つきの紙箱を千秋の前に置いて、空いた手で子どもを抱き取った。
「あのさ」
紙箱と青年の顔とを交互に見比べて千秋は口を開いたが、
「店の人には了解取ったから。ここで食ってもいいって。……開けてくれないか?」
素早く青年が言葉を続けて、最後には頼むような眼差しで見返したので、逡巡は忘れることにして、本日めでたく誕生日を迎えた新米保育士は、目の前に置かれたケーキボックスに手を出した。
「……」
ケーキボックスの中には、小ぶりながら白いクリームと赤い苺できれいにデコレーションされたホールケーキ。
その真ん中には、
『ちあきくん おたんじょうび おめでとう』
とデコペンで文字が描かれたプレートチョコレート。
「その、からかってるわけじゃないんだぜ。やっぱり、バースデーケーキだったら、おめでとうって書いてある方がいいよなと思って……」
ボックスの中身を見て数秒間リアクションが無かったことに慌てて、高耶は不器用ながら言葉を添えた。
「……悪い。怒ったか?」
さらに数秒間の沈黙の後に、おずおずと問いかけると、相手はようやく顔を上げた。
「いやいや。なんか、こう、懐かしいっていうか、……とにかく、ありがとさん。今年はいい誕生日になったぜ」
二十三歳になったばかりの新米保育士は、決して作り物ではない笑顔で言い、それじゃあ早速切り分けるか、と腕まくりをしたのだった。
彼が柄にも無くちょっと感動していたことは、誰にも内緒なのである。
04/04/07