image by NORI'sbaby,baby! ... “まいごのまいごの仔猫ちゃん”




 六階の隅に設けられた迷子センターへ駆け込んできたのは、二十歳前後にしか見えない若い男だった。
「明っ!明はいますか!」
 周りの何も目に入っていない様子で、恐ろしく憔悴した顔に目だけが光りを放っており、元来睨んでいると誤解されやすい目つきが一層きつくなっている青年に、センターの係員の女性は思わずたじろいだ。
 咄嗟に言葉が出てこずに口ごもる彼女に、男は必死の形相で畳み掛ける。
「あの、今、アナウンスされた迷子!どこにいるんですか!」
 迷子センターのカウンタに身を乗り出して詰問する彼に、答えを返したのは中で子どもの相手をしてやっていた迷子の拾い主だった。
「―――お探しの子なら、こっちにいるぜ?そこのドア開けて入んな」

 奥から聞こえてきた声を最後まで聞かずに、駆け込んできた青年はドアノブを引っこ抜く勢いで扉を開け放った。

「……めい……」
 青年は、カラフルなウレタンマットの上で積み木遊びに興じていた女の子にすぐに気づき、至って無事な様子を認めると、急に体中の力が抜けたようにその場にへたりこんだのだった。





 子どもの相手をしていた男は、駆け込んできた青年の想像外の若さに目を丸くして、
「うわ、若っけぇ父親だ。こんな小さい子を放ったらかすなんてどんな親かと思ったら」
 俄かに厳しい眼差しになると、子どもを自分の腕に抱いて、その父親を諭した。
「どういう事情でできたか知らねぇが、子どもに罪はねぇんだぞ。わかってっか?親が大事にしてやらねぇで誰がするんだ」
「大事だ!オレは明に何かあるくらいなら自分が死ぬ!」
 わざと子どもを置き去りにしたのかと言わんばかりの口調に、青年はうるんだ瞳をキッと強くして叫んだ。全速力で走ってきた証拠に息は荒く、髪は乱れて、彼が如何に子どもを心配して飛んで来たのかがよくわかる。
 男はそんな青年の様子を見て、ふわりと眼差しを和らげた。
「ならいいさ。どうも昨今は無責任な親が多くて困ってるんでね。悪いな」
 肩をすくめて笑うと、彼は若い父親へ腕の中の子どもを渡した。
 父親を見分けてぱあっと嬉しそうに笑い、懸命に腕を伸ばしていた子どもは、伸びてきた二本の腕に抱き取られる。
「このくらいの子どもは目を離すとすぐにどっか行っちまうから、絶対に手を離しちゃだめだぜ。いいかいお父さん?」
 父親の腕の中に戻って安堵したのか、子どもは急に泣き出した。彼女を強く抱きしめて、揺さぶって、ごめんなごめんなと繰り返し言い聞かせる父親に、迷子の拾い主は慰めるようにその肩をぽんぽんと叩いてやりながら、優しく諭した。
「ああ、二度としない。心臓が止まりそうだった……」
 青年は娘の髪に顔をうずめて、何度も何度も頷いた。

 父親に抱きしめられて泣きじゃくっていた子どもがようやくひくひくと喉を鳴らして静まり始めたころ、迷子センターには次の迷子が連れて来られ、再会した父子と迷子の拾い主の三人は、ひとまずそこを離れることになる。


「……あの、お礼にもならないけど、オレたち昼飯がまだなんだ。もし他に予定がなかったらご馳走させてほしい」
 何となく三人固まって歩き始め、エスカレーターが視界に入ったとき、若い父親は娘を拾ってくれた恩人にそんな申し出をした。
「へ?これからお母さんと合流するんじゃねぇのか?俺がまざっちまったら邪魔だろう」
 男は今はこの場にいない子どもの母親は別行動で買い物をしているのだろうと、至極真っ当な思い込みを抱いていたらしい。思いがけない台詞に瞬きをして、子どもをしっかりと胸に抱いて歩いている若い父親へと振り返った。
「いや、オレと明だけ。うちはオレが主夫だから」
若い父親が首を振ると、
「ほー、奥さんが働いてるわけか。それも大変だねぇ」
 主夫という青年の言葉を、妻が稼いで夫が家庭を預かるという図式として解釈し、男はふんふんと頷いた。
 青年は男の解釈にもまた首を振る。
「いや、こいつの母親は一緒にいないんだ。事情があって」
「あ、そうか。立ち入ったことを聞いて悪かったな。―――じゃあお言葉に甘えてご馳走になるぜ」
 男は普通でない事情がありそうな青年の台詞に土足で踏み込むような真似はせず、ごく自然な口調で話を逸らしたのだった。






 子連れで賑わう大食堂に席を取り、三人は少し遅くなった昼食に取り掛かった。

「ところで、お父さん。名前は『た』なんとか?」
 『本日のパスタランチ』のナポリタンをフォークに巻きつけ、ちゅるっと飲み込んで、迷子の拾い主がふと思い出したように、目の前で子どもの離乳食を世話してやっている若い父親へ質問を投げかけた。
「ああ、高耶だ。明が言ってた?」
 柔らかく煮込んだ野菜をすりつぶしたお手製の離乳食をスプーンで掬い、子どもの口元へ持っていってやりながら、父親が顔を上げて答えを返す。
「『たー』とか『なー』とか、しきりに呼んでたぜ」
「そうか……」
「それにしてもそっくりの親子だな。目を見張るぜ」
 青年が説明しなかった『なー』なる人物に関して、男は訊ねようとはしなかった。代わりに、向かいに座っている子どもに手を伸ばしてちょいちょいと指先であやしてやりながら、そんなことを呟いた。
「……ところで、そっちは?随分子どもに慣れてる様子だけど、子持ちなのか?」
 若い父親は相手のそんな気遣いに甘えるように、こちらも新しい話題を振った。
 男は、父親のごく当然の推察に首を振る。
「いやいや。花の独身だぜ。子どもに慣れてるのは職業柄」
「職業?」
「こう見えても俺は保育士なんだわ。まだ新米だけどな」
 迷子の拾い主は、若い男にしては珍しく子どもの扱いに長けている理由を、すっぱりさっぱりと明かしたのだった。



04/04/06
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千秋の職業が判明。保育園の先生なのです〜。
え、今後の展開が読めた?
さようでございます。お察しの通り(笑)
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