images by NORI's!baby,baby! ... “まいごのまいごの仔猫ちゃん”
遡ること十数分。
紳士服のフロアー・四階の一角に設けられたセール商品コーナーのワゴンを熱心に漁っていた主夫青年は、愛する伴侶のために一生懸命になってシャツを選り抜いていた。
あの見栄えのする男をさらに際立たせる、けれど派手ではなくさりげなくて品のあるものを。
着心地や耐久性がきちんとしていて、家庭でも洗濯が出来るものを。
あの男が本当に気に入ってくれるものを。
「……よし、これとこれに決めた」
素材や色形、サイズ、値段、メーカー名など、幾多のチェック項目をすべてクリアーした二着を手に、彼はようやく頭を上げた。
「おーい、明、そろそろ行くぞ。出ておいで」
選り抜いた二着を胸に抱えて、彼は娘が遊んでいるはずの大量のスラックスの吊るされたラックへと屈みこみ、名前を呼んだ。
夢中でジャングル探検をしているはずの娘だが、父親の呼びかけを聞き逃すことは絶対にない。
だから、すぐに彼女の小さな体が自分の方へ突進してくるはずだと、父親は疑いもせずに思っていた。
―――だが。
暖簾のように吊るされたスラックスを掻き分ける小さな生き物の気配は、どこにもない。
整然と吊るされたスラックスは沈黙したままだ。
「明?おーい、お父さんだぞ?かくれんぼしてるのか?」
青年は立ち上がって、ラックの周りをぐるりと回ってみた。もしかしたら内側や反対側で隠れているのかもしれないと思ったのだ。
けれど、一周しても、隣のラックを覗いても、娘の姿はどこにも無かった。
「……明……明っ!」
最愛の娘の姿を見失ったことに気づいた若い父親の手から、ばさばさと荷物が落ちた。
「……というわけで、紳士服売り場で迷子になってた子なんですよ。まだ小さくて名前や住所は聞けないし、服装の特徴を言ってアナウンスしてもらえますか?」
六階にある迷子センターは、こんなに賑わっている日にしては珍しく、他には迷子の姿が無かった。人出の多い日であれば大抵は一人二人泣いていたり寝ていたりするのだが。
自分のジーンズを引っ張った迷子の子どもを連れてここまでやってきた若い男は、慣れた手つきで子どもの相手をしながら、センターの係員の女性に事情を説明した。
「かしこまりました。白いブラウスに赤いジャンパースカートを着て、黄色の靴を履いた二歳くらいの女の子で、紳士服売り場にて迷子になった、これでよろしいですね?」
マイクの前に座った女性は、男が抱っこしている子どもをさっと一瞥して、確認を取ったが、男はいいやと首を振り、
「二歳にはなっていません。たぶん一歳二ヶ月ってとこです」
と訂正を加えた。女性はこんな若い男が幼児の年齢を月単位で見分けたことに驚いた様子で、少し目を見張ってから、頷いた。
《店内でお買い物中のお客様に、迷子のお知らせをいたします》
《紳士服のフロアー・四階にて迷子になりました、白いブラウスに赤いジャンパースカートを着て、黄色の靴を履いた、一歳と二ヶ月の女のお子さんを、お預かりしています》
《繰り返し、お知らせいたします。白いブラウスに赤いジャンパースカート、黄色の靴を履いた、一歳二ヶ月の女の子をお預かりしています》
《お父様・お母様は、至急、六階迷子センターへお越し下さいませ》
「これから十五分待って、どなたもいらっしゃらなければ、再度アナウンスいたしますので」
マイクのスイッチを切り、係員の女性は子どもを抱いた男へ振り返った。
「ええ、どうも」
男はにこりと笑って、もうすぐお母さんが来るからな、と子どもの髪を撫でている。
「お買い物の途中にわざわざ迷子さんを連れてきてくださってありがとうございました。後はこちらで面倒を看ますので。どうぞ」
係員の女性は客に子守をさせるわけにはゆかないので、子どもを抱き取ろうと手を差し出したが、男は首を振った。
「俺は暇なんでね。お邪魔でなければ、親が来るまでこの子の相手をしますよ」
男は子どもが顔をぺたぺた触っても、後ろで一つに結わえた髪を引っ張っても、迷惑そうな顔をするどころか楽しそうに笑っている。
子どもは子どもですっかり男が気に入ったらしく、迷子らしい不安は微塵も見せない笑顔で男にじゃれついていた。
そんな二人の様子を見て、女性はここは一つマニュアルを忘れようと頷いた。
「あら、そうですか……この子もその方が嬉しいようですから、お客様には申し訳ありませんが、お願いします」
「じゃあ、このへんに座らせてもらいますよ」
男は子どもを抱っこしたまま、迷子が気晴らしに遊ぶために設けられたカラフルな遊び場へ上がりこんで、ウレタンクッションの床へと胡坐をかいた。
「お客様、子どもの扱いに慣れていらっしゃいますね」
アナウンスから三分では、さすがに反応は無く、迷子センターでは迷子と男と係員の女性の三人による積み木遊びが進行している。
若い男に似合わない父親ぶりを質問した女性の不思議そうな顔に、男は肩をすくめた。
「職業柄、ってやつでね。俺自身は独身だし、子どももいませんが」
積み木を並べて家を作ろうとしている子どもを手伝ってやりながら、言葉だけで返事をしている男は、夢中で遊んでいる子どもをとてもおおらかな眼差しで見守っている。
「ご職業、でございますか」
「人には似合わないと笑われるんですがね、俺はこれでも―――」
「めい……ッ!」
男が係員女性の相槌に応えようとしたとき、迷子のアナウンスから四分二十秒の最短記録でセンターへ駆け込んでくる足音が響いた。
04/04/04