images by NORI's!baby,baby! ... “まいごのまいごの仔猫ちゃん”
よちよち歩きの幼児にとって、混みあっているデパートの中はまるでアドベンチャー・ワールド
よちよち歩きの幼児にとって、混みあっているデパートの中はまるで 冒 険 世 界 だ。
大人の視界から外れてしまう身長の彼女は、気をつけないと、周りを見ていない買い物客たちによって簡単に跳ね飛ばされてしまう。通路の真ん中などは怖くて歩けたものではないので、小さな迷子の女の子は商品の陳列棚沿いをちょこちょこと歩いていった。
彼女の『たー』は、ジーンズを好んで穿いている。今日は外出用のお気に入りを穿いてきているのだが、店頭ではミッドナイトブルーという色名で表示されているその色を、彼女は彼女なりの捉え方で記憶に焼き付けていた。
それを目印に探せば見つかるに違いない、と明確に考えていたかどうかは傍目にはわからないが、とにかく彼女はジーンズの男性を探して歩き回っていた。
平日の今日は、混んでいるとはいえデパート内にいる大半の人間は女性である。女性でも昨今はジーンズ姿が少なくないが、親を見分ける子どもの勘は鋭い。細身の女性と、長身の男性との違いなどは、瞬時に見分けているようだった。
あれも違う。
これも違う。
小さな迷子の子どもはぱっちりした大きな目を一杯に見開いて、首が痛くなるほど熱心にあちこちを見回した。
似た色を見つけても、身につけているのは女性であったり、似た背格好の男性はいても、ジーンズの色が違ったり。
「たーあ……」
なかなか見つからなくても諦めずにとてとてと歩いてまわり、父親の穿いていた青いジーンズを探しているうちに、彼女はある人物に目を留めた。
紳士服のフロアー・四階。
その一角にある、大抵の主婦なら避けて通るであろう有名ブランドのエリアに、若い男がいた。
長身だがひょろりとした感じはない。がっしり型というわけではないが、それなりの筋肉を身に纏っているらしいことは、服の外側からも見て取れる。
大抵の男が着れば眉をひそめられそうな派手な柄のシャツに、白っぽいジャケットを羽織ったその男は、難しい装いのそれをしっくりと着こなしていた。
その服装や肩を越える長さの茶髪を見ても、平日の真昼間にデパートのブランドエリアで悠然と時間をつぶしている辺りから考えても、その男は普通の勤め人には見えない。
だが、彼のそんな外見はどうであれ、ここで問題なのはその脚を包んでいるジーンズだった。
「……?」
ジーンズを引っ張られて、目を落とすと、そこには可愛らしいものがいた。
一歳と二ヶ月くらいの子どもが、大きな黒い瞳でこちらを見上げながら、ジーンズの膝の辺りを小さな手で引っ張っていた。
「おやま。おちびちゃん、どうしたんだ?お母さんは?」
改めて確認してみるまでもなく、自分の周りには他に大人は見当たらない。セール中にわざわざ鉄壁の通常価格を誇るブランド物のコーナーへ足を運ぶ主婦は、まず、いないのだ。
どう考えても一人でこんな場所に来る用事があるはずもない、よそいきの格好をしたこの幼い子どもは、母親とはぐれて迷子になったに違いない。
「たー、なー……」
子どもはジーンズを掴んだまま、くりくりした黒い瞳でこちらを見上げたが、目が合うと、何やらがっかりした顔になって俯いた。
「俺の後姿はおちびの母さんに似てたのか?残念だったな、別人で」
その様子を見れば、この子どもが母親を探して歩き回っていたらしいとすぐにわかった。健気なものだ。
「たーあ……」
「ん?お母さんの名前か?」
先ほどから同じ言葉を何度も呟いていることに気づいて、訊ねてみる。
「たー」
すると、子どもはこちらを見上げてまた同じ言葉を繰り返した。
「たー、ね。おたーさん、のつもりかねぇ」
一人ごちながら、子どものそばへ屈んでみる。職業柄、子どもの扱いには自信があるのだ。
「おちびちゃん、俺と一緒に迷子センターへ行こうな。抱っこがいいか?それとも歩くか?」
「あー」
目の高さを同じにして笑ってやると、子どももぱあっと笑顔になった。素直で可愛い子どもだなと感心しながら、脇に手を入れて抱き上げる。
「よっこらせっと」
小さな体を胸の高さまで持ち上げて抱っこしてやると、子どもは嫌がる様子も無く、きゅうっとシャツを握り締めた。抱っこに慣れているらしい様子から推して、愛情一杯に育てられてきたのだろうと見当がつく。
「それなのに何で迷子にさせるかねぇ……」
呟きつつ、子どもをしっかり支えてやりながら迷子センターのある六階へと歩き出す。
すると、子どもは後ろ髪を引かれるような様子でフロアーへ視線を向けた。親がいるはずの場所から遠ざかることを感じ取っているらしい彼女に、落ち着かせるように背中をぽんぽんと叩いてやりながら、話しかける。
「大丈夫だからな。すぐにお母さんが迎えに来るさ。それまでは俺が相手してやるからな。
俺は千秋だ。ほら、ちゃーきって呼んでみろ。ちゃーだぞ、ちゃー」
「ちゃー?」
子どもはようやく顔をこちらに戻して、見上げてきた。
言われた言葉を上手にリピートした彼女に頷いてやり、話を続ける。
「そうそう。おちびは何て名前なんだ?」
「あ?」
疑問の表情らしきものを浮かべている様子が可愛らしく、自然とこちらの唇がほころんだ。
「おちびのお名前は?」
「めー!めーぁ」
「めーあ?うーん、年の割に随分と上手に喋るけど、それでもわかんねーなぁ……」
「めー」
「めーちゃんか?」
「あー!」
会話をどの程度理解しているのかはわからないが、『その通り!』というように声を上げる様子は、迷子の不安を一時であれ忘れていることは確かで、自分は随分と安堵していた。
「おし、もうすぐ着くぞ。着いたらお母さんを呼び出すからな。待ってろよ〜」
「あー」
出会ったばかりの若い男と幼い子どもは、至極仲の良い様子でエスカレーターを昇っていったのだった。
04/04/03