image by NORI'sbaby,baby! ... “まいごのまいごの仔猫ちゃん”




 平日とはいえ、四月一日は幼稚園も小学校も中学校も高校もまだ春休みの真っ最中。
 街中のデパートは、創業祭というセール期間中であることも手伝って、主婦や親子連れで大いに賑わっていた。
「ひゃ、混んでるな〜。はぐれるといけないから、抱っこな、明」
「あー」
 若い父親はごった返した店の中を見回すと、駅からここまで手を引いて歩いてきた娘を抱き上げた。
 幼い娘はおとなしく抱っこされ、随分と高くなった目の高さから、物珍しく店内を見回している。きょろきょろとあっちやこっちへ頭を向ける様子は好奇心一杯で、子どもらしい微笑ましさだ。
「とりあえず上から回るか」
 父親は一人ごち、娘の背をしっかりと支えて、エスカレーターに乗り込んだ。


 紳士服のフロアー・四階でエスカレーターを降りた親子は、迷わず催事コーナーへ直行した。
 客の疎らな平常店とは打って変わって大勢の主婦で賑わっているその一角には、スーツの上着やスラックスが大量に吊るされたラックがずらりと並んでいる。その他、カッターシャツや肌着類はワゴンの中だ。
「そろそろ夏物が要るし、直江のシャツ、買っておくか……どれがいいかな」
 青年は娘にともなく呟いて、ワゴンの前に立った。
「あーあっ」
 長身の彼は少し屈みこんでワゴンの中身に手を伸ばしたが、それに伴ってそちらへ近づくことになった娘は、透明なビニールで包まれたシャツが気になって仕方がないらしい。一生懸命に手を伸ばして触ろうとするので、父親は苦笑した。
「あのな、これは売り物だから玩具にはできないんだよ、明」
「あ?」
 子どもは父親の顔を見上げて疑問の表情になる。父親の言葉を理解しているわけではなかろうが、彼女の表情は最近すっかりバリエーション豊富になってきている。
 そんな娘の頭をぽすっと叩いて宥めてやりながら、父親はにこりと笑いかけた。
「明の玩具は後で玩具売り場に行ったときに探すから、な」
「あーう」
 ぱちくりと瞬きをして、子どもはワンテンポ遅れて頷いた。その微妙な間が面白く、父親はまた笑う。すると、その笑顔に反応して娘もにぱっと笑うのだった。

「たーあ」
 しばらくは父親がワゴンの中を漁るのをおとなしく見ていた娘だが、やがて抱っこに飽きたのか、しきりと下へ下ろして欲しがる様子を見せた。
「抱っこ、いやか?下りてもいいけど……ここは家じゃないんだからな、あんまり走り回るなよ」
「あー」
 子どもの父親は愛する伴侶のための服を選ぶのに頭が一杯である。ごちゃごちゃと動き始めた娘に閉口して、下へ下ろしてやった。
 それでも、はぐれるといけないので、小さな手の片方をしっかりと繋いだままである。
 子どもは片手を繋がれたまま、低くなった視界を見回して右へ左へと探検し始めた。

 彼女の目から見ると高層ビルのように背の高い父親の、ジーンズに包まれた脚の左側には、白い布の壁があり、えいやっと手で押してみると、あっさりとへこんだ。彼女はちょっとびっくりして手を引っ込め、今度は指でちょいちょいと突付いてみる。
 大人から見ればただのワゴンなのだが、子どもにとっては自分の身長よりも高くそびえた壁なのである。それなのに、触ってみると手ごたえがない。彼女は心の中で、壁には堅いのとふにゃふにゃのがあるのだな、と頷いたのかもしれない。
 父親の脚の左側の探検はひとまず終わりにして、彼女は今度は右側へ回ってみた。
 しかし、右手を父親の左手と繋いでいるので、思うように動けない。彼女は焦れて、一生懸命に前へ進もうとした。
「……おっとっと。なんだ、明?そっちへ行きたいのか?」
 左手を背中側から右へ向かって引っ張られ、父親は驚いて振り向いた。
 右の方へ向かって突進の構えを見せている娘を見て、青年は繋いだ手を持ち替えることにした。
「わかったから、ほら、これでいいだろ?」
 子どもの左手を自分の右手でつかまえて、彼女が行きたがっている方向へ行かせてやると、子どもは暖簾のように吊るされたスラックスのジャングルへと頭を突っ込んだ。
「うわ!明、それは玩具じゃねーんだってば!」
 父親は慌てて子どもの手を引き戻したが、子どもも必死である。小さな体の何処にこんな力があるのかと首を傾げる強さで、ぐいぐいと前へ進んだ。
「明……ちょっとだけだからな、めちゃくちゃにするなよ?」
 決して譲らない構えの娘に、父親はため息をついて手を離してやった。





 白いブラウスに赤いジャンパースカート、白い靴下に黄色いキャンバス地の靴を履いた小さな女の子は、ジャングルのようなスラックスの林の中を探検してまわり、そして、見知らぬ場所へ出てきた。
「たー?」
 見慣れた父親のジーンズに包まれた脚がない。上を見上げてみても、大きな人たちがせわしく歩いているだけ。
「たーあ……」
 父親を呼んでみても、返事はない。
 彼女はしばらくきょろきょろと辺りを見回していたが、やがて、自分が父親と完全にはぐれてしまったことを理解した。
 そして彼女は、迷子になった大抵の子どもがそうするように泣き喚くのではなく、しっかりと立ち上がり、敢然と歩き出したのだった。



04/04/02
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まいごのまいごの仔猫ちゃんになってしまいました。
それでも泣かないでお父さんを探しに出かけるところが、やはり高耶さんの子どもです。
(逆に、大声で泣き喚いた方がすぐに見つけてもらえそうですが。)
さて、次は犬のおまわりさんが登場です。

呟き:それにしても、まだ千秋が出てこない……(殴)
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