image by NORI'sbaby,baby! ... “まいごのまいごの仔猫ちゃん”




四月の一日。
エイプリルフールと呼ばれるその日は今年、気持ちよく晴れたぽかぽかのお出かけ日和だった。


「じゃあ、行って来ますね。高耶さん、留守をお願いします。いい子にしていてくださいね、明ちゃん」
 出社の仕度を整えて寝室から出てきた男は、ダイニングテーブルのところへ寄って、ベビー用の椅子に納まっている愛娘の頬をちょんと突付いた。
「なー!」
 お気に入りのすりおろしリンゴを口に運んでいた娘は、口の周りをべたべたにしたご機嫌の笑顔で男の名前を呼ぶ。
「おやおや、お口のまわりが大変ですよ」
 男はそんな幼子の様子が愛しくてならないらしい。ひょいと身をかがめて、子どもの口元をぺろりと舐めた。
「なー?……あい」
 子どもは相手がリンゴを食べたがっていると思ったらしく、まだ中身が残っている容器にスプーンを突っ込んで、危ない手つきで差し出した。
「ああ、ありがとう明ちゃん。明ちゃんの大好きなリンゴ、分けてくれるんですね。私は会社に行かなければならないので、一口だけ貰いますね」
 男は子どもの好意をありがたく受け取り、スプーンをぱくりと咥えた。
「直江……遅刻するぞ」
 そんな親子の遣り取りにため息をついたのは、子どもの実の父親である青年だった。
 彼は子どもの隣に座って食事の世話をしてやっていたが、仕度を終えた男が寝室から出てくるぴったりのタイミングでお弁当を包んでいたのである。
「これ、弁当。今日はおひたしが入ってるから、横にしないように気をつけろよ」
 オレンジにグリーンの水玉模様のナプキンに包まれた愛情たっぷりの弁当を、男はいつも嬉しそうに受け取る。
 毎朝毎朝の習慣なんだからもう慣れてしまえばいいのにと青年は言うが、男にとってはたとえ何百万回繰り返したとしても、伴侶が心を込めて作ってくれた愛妻弁当への感謝を忘れることはない。
「いつもありがとう、高耶さん。私はお昼になってあなたのお弁当を開けるときが一番幸せです」
 今朝も男はそう言って、行って来ますのハグを相手に与えるのだった。

「今日さ、デパートで買い物して来ようと思うんだ。創業祭で色々と安いらしいし」
 ドアを開けて男が出かけ際に、青年は腕に抱っこした子どもの手を振らせながら、そんな予定を男に話した。男は頷いて、
「そうですか。あんまり切り詰めないで、必要なものは買ってくださいね。荷物は送ってもらうようにしてください。明ちゃんも一緒に連れて行くんでしょう?」
「ああ。ベビーカーは電車で邪魔になるから、抱っこしてくつもり」
「気をつけて行って来てくださいね。じゃあ、私は行ってきます」
「ん。おまえも気をつけてな」

 二人はぷちゅ、とキスをして、いつもの朝のいってらっしゃいの光景を続けたのだった。






「よーし、準備オッケー。明もゴムでおしゃれさんだぞ〜」
 朝食の後片付けと洗濯物を干し終えた後、青年は自分と娘の外出仕度を整えて玄関へ向かった。
 とてとてと覚束ない足取りながら、子どもは歩くことに慣れてきたようである。一歳二ヶ月を過ぎた彼女は、最近は広いリビングダイニングのあちこちを歩き回って足腰を鍛えているのだった。親たちは目覚しく発達してゆく運動能力に目を見張るのみである。
 父親にそっくりな黒髪をサイドで小さく結んだゴムにはピンク色のボール型をした飾りがついていて、服装はといえば、襟と袖口にレース飾りのついた白いブラウスに赤いジャンパースカートと、おしゃれなお出かけ仕度を整えられた彼女だった。
「明、靴履くぞ。ほら、くっく」
 さくらんぼのワンポイント刺繍が施された白い靴下を穿いた足に、父親は小さな可愛らしい靴をあてがった。
 子どもはおとなしく足を出して、マジックテープで留めるようになっている留めを父親がしっかりと留め付けるのを、じっと目を凝らして見ている。
「おし、完了!お父さんも靴履くから待ってろな、明」
 若い父親は子どもの両足に靴を履かせると、下駄箱を開けて自分の靴を取り出した。いつもの歩きやすいスポーツシューズを玄関に置いて屈み込むと、その様子を見ていた子どもが口を開いた。
「たーあ」
「ん?」
 娘が小さな手で自分の肩を叩くのを振り返ると、娘は下駄箱を指差して何かを訴えている。その視線の先にあったのは、まだ履かれたことのない真新しい靴だった。
「これがどうかしたのか?……あ、もしかして、これを履いてけって?」
 青年は子どもがしげしげと見つめているその新しい靴を取り出して、首を傾げてみる。すると、子どもはにぱっと笑って、
「あー!」
と賛同の声を上げた。
「おう。んなら、今日はこれにしよう」
 父親はその笑顔が伝染したように笑い、履きかけていた靴の紐を解き始めたのだった。


04/04/01
* next *


「baby,baby!」のお話です。
明ちゃんは一月で一歳になり、今は一歳二ヶ月と少し。
離乳食ではすりおろしリンゴが大好き。前歯も生えました。
目下のところ、覚束ない足取りで家中を歩き回っています。

で、この後。タイトルにあるとおりの展開です。そして千秋が出てくるのです。
誕生日の今日に出番が無くてごめんね、千秋。
images by NORI's!
server advertisement↓