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 よく三人で遊びに来る近所の公園は、いつもなら子どもたちやその母親で賑わっているが、今日は曇り空のためか冷え込みが原因なのか、がらんとしていた。
 藤棚の下に並んだ石造りのベンチにたった一人、人影がある。

「……宏明?」

 男はそう呼びかけながら、目を見張っていた。

 十六年前の自分がそこにいる。

 学生服を着て、小さなボストンを一つだけ持って、僅かに俯いたその姿は、きっと彼自身が家を出たときと全く同じだろう。

 名を呼ばれてはっと顔を上げた少年が、声のする方に視線を向けた。
 目を見開いたその面差しも確かに自分にそっくりで、少年が勘違いをしたのも無理はないと男は思った。

「義明……さんですね」

 少年はベンチから立ち上がる力も無い様子で、しかし瞳だけは力強く男を見返した。
 あまりにも似ている姿を互いに凝視しながら、脳裏に様々な思考が流れてゆく。
 男は一歩一歩ゆっくりと歩み寄ってゆき、痛いほどに自分を見つめ続ける少年の隣に静かに腰を下ろした。

「そうだよ。君の兄だ」

 並んで座るとその身長差は明らかで、首が痛くなった少年は隣を見上げるのをやめ、手元に視線を落とした。
 男は自分よりも低い位置にある茶色い頭から鼻梁、きゅっと結ばれた唇へと視線を当ててゆき、やがて膝の上で拳を作っている手の上でとどまった。
 この少年の爪の形は自分と同じ、父親譲りの縦長形なのだろうか。
 男がそんなことを思っていると、少年が覚悟を決めたように息を吐いて、口を開いた。

「……すみません。急に訪ねたりして」

 何から話すべきか考えに考えてようやくこぼれ落ちたであろう台詞は、自分の行動の唐突さを詫びる言葉だった。
 伏せられた睫毛が震えているのを視界に捉えながら、男はゆっくりと頷いた。

「そうだな。来る前に連絡してくれたら家にいたのにな」

 責められることを望んででもいるかのように拳を握り締めて相手の言葉を待つ少年に掛けられた声は、彼を責めるというよりは、出迎えてやれなかったことを残念に感じているような響きを持っていた。
 思いがけない優しい声に戸惑ったように少年は何度か瞬きを繰り返し、ちらっと斜め上を振り仰いで、再び手元に視線を戻す。

「すみません。でも、どうしても確かめたいことがあって」

 そう口にしたきり、次の言葉を続けることができない。
 並んで座っている、見れば見るほどそっくりな『兄』は実は―――
 その可能性に思い至って以来、何万回となく頭の中で結んだ言葉は、口にしてしまうと何かが壊れてしまう気がして、少年は爪が食い込むほどに拳を握り締めた。

 斜め上からその様子を静かに見つめていた男が、やがてぽつりと呟くまで、花のない藤棚の下には時折枯葉の舞う音が響くだけだった。


「―――俺が君の父親だ、という話?」

 その一言が、少年の言葉を堰き止めていた枷を取り払った。きつく結んでいた唇がほどけると、その口からはとどまることを知らないように言葉が溢れ出て、半ば独り言のように速まったり遅くなったりしながら、吐ききるまで流れ続けた。

「僕は……父に全然似ていないんです。それでいて母にそっくりというわけでもない。でも、写真で見た兄には別人だと思えないくらいにそっくりで……その兄は家を出たきりだというし、誰も行き先を知らないし、僕にその兄のことを報せまいとしているようでした。だからもしかしたらって……ずっと思ってた」

 何年も自分の心の中に澱のようにとどまり続けた疑念を、こうして言葉にして吐いてしまえば、もはや隣の人物の表情を見上げるだけの力も残ってはいなかった。
 自分は何を確かめたかったのか、それとも本当は知りたくなかったのか。
 一体何を求めてここまで来たのだろう。
 隣にいる瓜二つの『兄』が実の父親だったとして、何かが変わるわけでもないのに。

 心の中に積もっていた思いを吐ききったきり項垂れて沈黙する少年に、斜め上から静かな声が降ってきた。

「確かにここまで似ているとな。兄弟よりも親子に見えるだろうな」

 少年は一瞬びくりと肩を震わせ、両手で額を覆うようにして、ぐっ、と前髪を握りつぶした。

「じゃあやっぱり」

 疑念が事実であったとして、自分はどうしたらいいのだろう。この『兄』はどうするのだろう。

 そんな少年に男はふっと短く息を吐き、両手を後ろに突いて藤棚を見上げた。

「違うよ。俺は君の兄だ。俺もついさっき知ったことだけど、俺の父親は橘の父なんだそうだ」

 少年に語りかけるというよりも独り言のように、空へ向かって紡がれた言葉は、傍らの少年にとっても予想外の内容であったようだ。

「えっ !? 」

 弾かれたように顔を上げた彼に、顔を戻した男は苦笑に近い笑みを浮かべながら肩をすくめてみせた。

「だから、君と俺は二人とも橘の父と母の間の子だよ。そっくりで当たり前だ」

 過去と未来を鏡に映したように、兄と弟の長い睫毛に縁取られた琥珀色の双眸が向かい合う。

「俺も君くらいのときに色々と思い悩んで家を出た。けれど、橘が鬼門なんてことではないんだ。 俺が高耶さんに直江と呼んでほしいのは、俺が直江の祖父母に愛されていたからだ。その名を消してしまいたくなかったから。だから、愛する人にその名を呼んでほしかった。そういうことだよ」

 兄は一言一言を噛み締めるように紡いでいった。

「……じゃあ」

 兄の言葉は水が滲み込むようにゆっくりと弟の心に染み渡ってゆき、弟は自分が映っている兄の瞳を見つめながら瞬きを繰り返した。

「俺は君にこうして会えて嬉しい。弟がいたなんて夢にも思わなかった。想像したこともなかったけど、実際に君に会えたら、十五年も会ったことがなかったのに、嘘みたいだと感じる。並んでいると、それだけで納得できる。君は俺の弟だ」

 伴侶が評したように『実はとても愛情深い』男は、その柔らかな色をした瞳に実の弟に出会えた喜びを浮かべている。

 世界でたった一人、自分と同じ血を持つ弟。そんな存在は夢にさえ見たことが無かった。けれどこうして目の前にその姿を認めれば、理屈ではない感情が胸の内側を叩く。
 自分の中にそんなものがあるとさえ思ったことのない、肉親への愛情が。

 兄の内側にひたひたに湧き上がった感情が、弟の唇を開かせた。

「……兄さん」

 ぽろりとこぼれ落ちた言葉に相手ははっと瞬いて、そして目尻に幾筋かの皺が刻まれる。

「新鮮だな。兄さんと呼ぶことはあったけど、呼ばれるのは……何だか、くすぐったいものだな」

 兄は膝に置いていた手をゆっくりと持ち上げ、弟の髪に手を触れた。自分と同じ、柔らかい茶色の髪を不思議そうに撫でる。
 少年はどんな表情をして相手を見ればいいのか量りかね、やや視線を落とし気味になった。

 初めてあいみまえた兄弟がぎこちないスキンシップをはかっていると、愛らしい声が近づいてきた。ぽてぽてと駆けて来るのは男の愛娘だ。後ろから母親がはらはらしながら追いかけている。

「なーっ!」

 彼女は大好きな父親に向かって駆け寄ってきたが、その隣にいる人物に目をやると、う?と眉を寄せ、その場に立ち竦んで右と左を見比べた。

「メイちゃん、なーはこっちですよ」

 男は苦笑して手を差し出す。
 子どもは素直に父親の手に抱き取られつつも、父親にそっくりな人物から目が離せない。
じーっと子ども特有の凝視をされて、少年は困ったように瞬いた。

「なー?」

 父親と同じ顔に向かって首を傾げるが、

「なーはこっちです」

 自分を膝の上に載せた男がすかさず訂正を入れるので、

「……なー」

 子どもは少年と男を何度も見比べて、どうにも納得がいかないという顔をしている。男は少年の頭に手をやって、

「こっちは宏明お兄ちゃん。ひーですよ」

「ひー?」

 子どもはぱっと顔を輝かせた。

「なー」

 男を見上げて呼ぶ。

「はい」

 男はにっこりと頷いた。

「ひー」

 少年を見て呼ぶ。

「あ、はい」

 少年は少し戸惑い気味に頷いた。

「なー、ひー」

 左右を順番に呼び分け、子どもは納得してにっこりと笑った。少年もつられて笑顔になる。


「さあ、あとはたーですね。迎えに行きましょう」


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10/03/30


そっくり兄弟、感動の初対面でした。
そしてメイちゃん大混乱の巻。
ところで小さい子って、どうやって人を区別しているのでしょうね。
顔だけではないと思いますが、このそっくりさんズは体型も似ているので、 違いといったら声の高さぐらい……?

さあ今度は高耶さん。


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