そして、翌朝のこと。  遠慮がちなノックに、中国語での応え方がわからず、扉まで歩いて行ってそこを開けると、目の前にいた のは自分の母親世代よりは少し若いであろう、昨夜の老の娘であると思われる人だった。 「早 呀!(おはよう)」 「尓 起 了(おはようございます)」  彼女は息子を見る母親のような眼差しで高耶を見て、それから彼を階下へといざなった。  朝食の時間であるらしい。  背負っていた荷物の中から着替えを引っ張り出して既に着替えていた高耶は、彼女について下の食卓へ 降りていった。  食卓には、主人である老夫妻とその娘の夫らしい男性、そして昨夜の孫娘の四人が揃っていて、高耶は 主人の隣の上座へ招かれた。  さすがにそれは、と遠慮しようとした高耶だったが、その場にいた人間全員が口々に勧めるので、結局その席に つき、和やかな朝食が始まった。  山の上にあるこの街では、やはり下界とは違う料理が並んでいる。  調理方法だけではなく、素材そのものの主流が異なる。  例えば、ヤクの乳。スープや粥は大抵これをベースに作られる。牛乳とは違う、きつい独特の風味を持つが、 高耶にはその味は苦痛ではなかった。  それ以外には、豆である。標高が高くなるにつれて栽培可能な野菜の種類は変化してゆくが、豆類は比較的 高地でも育つ上に保存性がよいので、山の民には親しまれている食物だ。  また、肉類は基本的に乾した物が多く使われる。これも保存性を考慮した上での習慣である。 「『―――ところで、今日は華祀の日だな。行幸祭にうちのお客人を出したいのだが、どうだろうか?』」  食卓が終わりに近づいたころ、家長である老がそう切り出すと、家族は一様に肯いて高耶に視線を向けた。 「え?」  わけがわからずに当惑する彼に、家族たちは微笑ましげな表情になった。 「『今日はお祭りなんだ。君にもそれに参加してもらえないかね?』」  ゆっくりと老が隣に座っている高耶に説明したが、ついてゆけない。  気を利かせた孫娘が紙と筆を持ってきたので筆談に切り替えると、漢字という共通言語が幸いして大体の意味が 飲み込めた。  意味は飲み込めたのだが、しかしその内容に高耶は驚く。 「旅行客が参加してもいいんですか?そもそも何をしたらいいのかわからないのに」  咄嗟に日本語が口をついて出たが、一同は彼の表情から言いたいことを見て取って首を振った。 「『任せてくれればいい』」  老がそう締めくくると、さっそく支度が始まった。  戸惑いながらも高耶は衣裳部屋に連れて行かれ、まずは日本の単に似た肌着を着せ付けられた。 肌触りのよさから見て、それは絹であるらしい。  しかし随分な年代物のようで、それはしっくりと風合いを持っていた。おそらくは祭り用に作られ、使用され、保管 されてきたのだろう。  次に白粉のようなもので首元と手をはたかれ、それから赤の袴に足を通した。  ここまでではまるで日本の巫女のようなスタイルである。  しかし、まだ続きがあった。  袴の次には上半身に色彩豊かな短い胴衣を重ねた。  こちらも長い年月を大切に使われてきたらしい。布の古さは確かだったが、装飾も仕立ても全く崩れていなかった。  胴衣の胸の金具を留めると、今度は装飾品の取り付け段階である。  どっしりとした金属製の首飾り、腕輪、耳飾、そしてサンダルとアンクレット、ベルトを付けられ、あれよという間に 高耶は全身じゃらじゃらになった。  身動きするたびにシャラシャラと音がするのは、それらに鈴が付けられているからであろう。  ようやくこれでお終いかと吐息をついた高耶だったが、まだ考えが甘かった。  老の奥さんとその娘さんは更に化粧道具を持ち出してきて、高耶の顔に白粉をはたき始めたのである。  細い筆に黒っぽい色の練り物をつけてアイラインをくっきりと隈取り、それから器用な手は高耶の目元と額に文様を 描いていった。  自分の顔がどういう状態なのか高耶にはわからなかったが、その目元と額に施された文様はどこか秘教の巫女的な エキゾチックさを帯びている。大陸風のそれは、彼のシャープな顔立ちに思いのほか似合っていた。  ―――最後に唇に朱を刷くと、彼女たちは満足そうににっこりしてようやく手を止めた。  改めて高耶の全身を検分し、出来栄えに感嘆する様子である。  鏡を持たされて、当人は少し驚いた表情になった。  赤と黒の隈取りを施された顔は、はたかれた白粉のせいか、その文様のせいか、普段とは全く違う印象を与えている。  その一種独特なエキゾチックさが彼をどこか人間離れした風貌に仕立て上げていた。 「呀。 相 称!(あぁ、よく似合う)」  女性陣と共に部屋から出てきた高耶を見て、老は目を輝かせた。まるで少年のような仕草である。 「『本当によく似合うものだ。今年の祭は盛り上がるぞ。―――なぁ?』」  周りに同意を求める声が普段よりも早口だ。  わくわくと、子どもっぽくすらあるその様子が微笑ましくて、高耶は昨日以来初めての笑顔を見せた。 「……美 麗……(きれいだこと)」  その笑みに魅了されたように老婦人が呟くと、その場にいた人間たちも一斉に肯く。  ほうっと息をついて、娘さんが手にした薄布を広げた。  仕上げとばかりにそれを高耶の頭の上からふわりとかぶせると、顔が隠れていっそうミステリアスさが増し、老は いよいよ楽しそうである。 「来 阿、 走 拉 巴 (さあ、行こうか)」


 一方、直江の方はというと、こちらもやはり黄家の人々の頼みで着飾らされて閉口していた。  見上げるような長身には、膝下まである長い衣がよく似合っている。  目を惹く海の色した長衣の下からは白いズボンに包まれた脚が伸び、足はサンダル履きである。  首元と手首には銀色の飾りが嵌められ、衣と同じ海色の房飾りが両耳で揺れていた。  その顔にはやはり独特の隈取りが施されている。額と目じりのそれが、彼を普段とは違う方向に引き立てていた。  いつもの精悍さが少し角度を変えて、どこか色気にも似た気配を帯びさせている。  子どものころはきっと女性とは違う中性的な魅力を持っていたであろう男のそんな造作が、化粧によって再び表面に 現れたようだった。  しかし彼自身は内心それどころではない焦燥感に苛立っている。外見にはわからないが、鎖を引きちぎって飛び出 す寸前の獣にも似た状態だった。  そんな心が醸し出す無意識の凄みが、危険な色気にさらに拍車をかけていることに本人は気づいていない。  彼はその体で黄氏と共に祭りの中心である広場へと向かった。




3Pめ。はてさて、祀の日がやってまいりました。着飾らされた高耶さんと直江さんは完全に魁の趣味でございます。あぁ、絵を描きたい……っ!


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