一方、直江の方はと言えば、世話になる予定だった家で、一人悶々としていた。  彼に似合いそうな色の布を見つけて値段交渉に熱を上げているうちにはぐれてしまった。  離れないでここにいてくださいね、なんて言いおいて、肝心の彼を忘れるほど熱中していた。  愚かな話だ。  彼が離れる気配すら気づかずにいたなんて。  本末転倒もいいところである。  全ては自分の招いたことだ。  あのとき自分が彼の側を離れなければこんなことにはならなかった。  異国の街で、たった一人だけで彼を彷徨わせるなんて。  今すぐにでも街の全住民を叩き起こして彼を探させたい。どんな陰も見落とさずに、彼を見つけるまで 徹底的に。  それなのに、自分一人で街を隅から隅まで歩き回って探すことすらも叶わないなんて。  この街では治安維持のために夜間は屋外に出歩かないことが規則として定められている。  うっかりこそこそ外を歩こうものなら、ものものしい警備隊にあっという間に囲まれて、一晩中絞られるのだという。  しかし、警備隊がどれほど恐れられていようが、今が冬華祀の季節でなければ絶対に自分はこんな風に ぬくぬくと屋内で過ごしてはいなかったろう。  今夜が祀の前夜であればこそ、旅人には誰も危害を加えないのである。  この祀には特別の演目があり、そこでは外来者が恵みの神の遣いとして大事に祀られるのがしきたりである。  彼らは外からやって来てこの街に恵みを運んでくれると考えられているのだ。  だから、この時期の旅行客は何かにつけて大事にされる。  この家、黄家の人々は、高耶とは明日のその祀・行幸祭で出会える筈だと言うのである。  広場に姿が無かった以上、誰であれこの街の人間が彼を連れて帰ったには違いない。  誰が彼に一夜の宿を貸し与えたにしろ、明日の祀へ出さない筈がないと。  だから、大丈夫だから、安心していなさいと家の主人は直江を宥めた。  街でも有力な部類に属するこの黄家の人間が大丈夫と言うからには大丈夫なのだろうが、それでも 理性では抑えられない心がある。  見知らぬ人間に世話になって心細い思いをしてはいないか。自分とはぐれて不安でいるだろう、と 思い始めればキリがない。  掟を大事にする古い街のことだから、彼に危害を加えることはないだろうが、理性と心配とは同居できない。  それに、子ども扱いするなと怒られそうだが、実際彼には見た目では平気そうに振る舞っていても 本当はどこか脆いところがある。  直江にはそれが心配だった。


 一方、高耶は例の老に連れられて、彼の屋敷に足を踏み入れていた。 「我 回 来 了。(帰ったよ)」 「爺 爺 イ尓 回 来 了。(お祖父さん、お帰りなさい)」  老が中へ入って奥へ声を掛けると、ぱたぱたと足音がして十代後半と窺える若い女性が迎えに出てきて、  祖父の傍らでぺこりと頭を下げた高耶に少し目を見張った。 「呀! 神孫 来。(あら、御使いが来られたのね)」  見知らぬ客人を見て、彼女は祖父に視線を戻すと面白そうな顔になった。お茶目そうな表情である。  祖父は頷くと、お客人はお疲れのようだから休んでもらおう、と言い、高耶を案内して客室へと向かった。 「……寒い……」  冷えた空気を、小さな呟きが振動させる。  高耶は、あてがわれた客室の、高さのある大陸式寝台の上で異国の香りを感じながら、何度も寝返りを 繰り返していた。  家人への挨拶もそこそこに客室へと通され、風呂まで使わせてもらって至極快適な扱いを受けていたが、 はぐれた男を思って、その顔色は冴えない。  ―――やがて、眠りの訪れを待つことを諦めた彼は、軽い上掛けを体の上から除けると、そろりと 寝台から降りた。  先ほどから時折、風にカタカタ音をたてていた窓は、木製の格子状の扉の外側に分厚い雨よけ戸が備え られた二重構造になっている。  格子を両開きに開いて外の戸に手を掛けると、思いのほか冷たい風が吹き込んできて高耶は肩を縮めた。  それをやり過ごしてから雨戸を完全に開け放ち、格子だけを閉めると、木枠の向こうに綺麗な星空が 広がっていた。  方向的に月は見られなかったが、月明かりが下の石畳を照らして白く光らせているのがわかる。  少し視線を転じると、通りの向こうで、昼間に市が立っていたあの広場も少しだけ視界に入った。  窓枠に手を掛けて、寝静まった街を見やる。  風が冷たく吹き抜けてゆく。  風呂で温まったなけなしの体温などはすぐに奪われてしまい、体はいつの間にか固く冷えていった。 「―――寒い。直江……一人は寒い……」  相手がいるときには決して口にしない弱音が、こぼれ落ちたのも、きっと体があまりにも冷えて脳が凍って しまったから。  まともな思考なんて紡げなくて、甘えた呟きだけが落とされては砕け散ってゆく。  眼下には白い石畳の街。すっかり眠りについて、きっと誰も起きてなんかいない。  それでも、直江だけは自分のために起きていてくれるのではないか。こうやって下を見ていたら迎えに 来るんじゃないか、と思ったが、そんな夢物語のようなことが実際に起こる筈もなく、彼はやがて再び寝台に 戻っていった。  くしゃくしゃに丸まった上掛けを広げ直して、冷えた床に体を横たえたとき、  ―――高耶さん  声を聞いた気がして、彼はハッと瞬いた。  その声を思うだけで、冷えきっていた筈の体がゆっくりと温まってゆく。  凍えかけていた胸の奥からじわりと溶けて、全身に温かい熱が広がった。安堵という名の熱が。  大丈夫。あいつはこの街にいる。明日になればきっと自分を見つけてくれるはずだ。 「イ尓 好 好 睡……(おやすみなさい)」  きっとこれは直江の呼び声なのだと悟って、高耶はようやく安心して眠りに落ちた。  閉ざされた窓の外では、冴えた月の光が何もかもを優しく抱きしめて街を白く照らしていた。




2Pめ。今回は高耶さんの思考がものすごく乙女チックですねぇ……。寂しいからだと思って勘弁してください。


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