―――中国にもクリスマスってあるのかな?  そんな何気ない高耶の一言がきっかけで、直江と二人で彼は山岳地方の道なき道を、  砂埃をたてて激しく上下運動するジープに揺られてゆくことになった。  ―――クリスマスはキリストの聖誕祭ですから中国にそれと同じものは無いでしょう。  でも、たしか山岳地方にはキリスト教の流れを受けて変化した独特の宗教が生きている所も  あったと思います。  そういうところへ行けば似たようなお祭りがあるかもしれませんよ。  行ってみますか?  そんなことを言っていた直江は、さっそく行動を開始したらしい。  どんな伝手があるのか、本当に山奥の村への個人旅行をプランニングしてしまった。  あれよと言う間に日が経って、二人は今、件の村へ上るジープの中である。 「……揺れるよなぁ」  舌を噛みそうな中で、高耶が呟いた。  荷物を膝の上に乗せて必死に抱えなければどこかへ飛んで行ってしまいそうだ。  それ以前に、ガラスの入っていない窓枠にしがみ付いていないと頭を天井にぶつけてしまう。  耳聡くその呟きを聞きつけた直江が、相槌を打った。 「舗装道路じゃありませんからね。石ころ、砂、何でもありだ」  こちらも荷物を抱え、窓枠につかまり、その上で相手の肩を抱こうと腕を伸ばした。  尤も腕は二本しかないから、荷物は足元に置いて両脚で挟んでいるのである。  かなりきつい姿勢だが、それでも高耶をしっかり抱えるあたりが彼らしい。 「お前、そんな全部無理だ。しんどいだろ」  口ではそんな相手を心配しつつも腕が回されて安心した顔になる高耶を見て、直江は微笑んだ。  これだから、やめられない。  腕がきつかろうと何だろうと、この表情を守るためなら何だってするだろう。 「心配しないでいいから、もっとこちらへ寄ってください。ドアにぶつかっているでしょう」  言ってさらに近くへ引き寄せると、相手は素直に寄りかかってきた。 「ありがと」  小さな礼の言葉が、直江の笑みを深くした。  ささやかな幸福感を心に満たした二人を乗せた小さな箱は、上に下に右に左に、まるで  嵐の中の小船のように翻弄されながら山道を上っていった。  そして。 「ここからは歩きですよ。さあ、頂上目指して頑張りましょう」 「……小学生の遠足か?ガキ扱いしてんなよ」  車の通れない細い道のところまできて、二人はジープを降りた。  木々も疎らな中だが、草を分けた道らしきものはやっと人が通られるくらいの幅しかない。  車で草原を行くには、傾斜に無理がありそうだ。  そんなわけで、ジープは謝礼金を受け取ると方向を変えて下界へと戻っていった。  荷物を背中に背負いなおしての直江の言に高耶がむっと眉を上げると、相手は笑った。 「いいじゃないですか。昔の遠足を思い出しません?」  にこりとおどけて言った彼に、高耶はぷいと横を向いた。 「こんなでかい男と遠足したことなんかねーよ」  そうしてさっさと歩き出した彼の後を追いながら、 「はいはい。そんな憎まれ口を叩く元気があるならけっこう」  くすりと笑って男は言う。  すると、相手はむむっと眉を寄せて振り返り、怒鳴った。 「あの程度の揺れ、大したことねーよ!」 「そうですか。それはそれは」  くすくす、と笑いが止まらない様子で男は俯いている。 「……」  ますますむすっとして、高耶はやおら駆け出した。 「こけますよ」  背中を追う声も無視を決め込んで、高耶はぷりぷりしながら一人ぱたぱたと険しい道を 駆け上がっていった。 「―――秘境と呼ばれるわけがわかった気がしますね」  荷物は出来うる限り軽く収めて来たはずなのだが、それでもなかなかこの道はきつかった。  いつの間にか追いついている男がふと呟くと、 「確かになぁ……」  疲労で喧嘩を忘れた様子の高耶が肯いた。 「これでは観光客は滅多に寄り付かないでしょう」 「ヘリとかで来る物好きでもいない限りはな」  ちょっと上を向いて晴れ上がった空に眩しそうに目を細めた高耶である。 「そうした方がよかったですか?」  それに倣いながら、直江が問うた。 「馬鹿野郎。そんな無駄な金使おうなんてしてたらキャンセルだ」  即座に断言した高耶に、直江が面白そうな目になった。 「おやおや。さすがはきっちりしてますね。奥さん」  最後の一言に妙なイントネーションをつけて言うと、相手はぴくりと反応した。その気配が変わる。 「誰が誰の奥さんだ!」  くるっと振り返り、高耶は怒鳴った。 「いーえ、何でも」  しれっと横を向いて首を振る直江に、 「……むかつく……」  奥様はご機嫌斜め。  地を這うような声で呟いた彼だが、直江の次の台詞に気を取られると、すぐに気分を変えたらしい。 「着きましたね。あの石門が入り口です」  男は視界の隅に見えてきた逆光の黒い影を指してそう言った。  なるほど、見ればそれは石造りの城壁らしい。  歩いている道の先に当たる部分には扉があり、門番らしい人影があった。

イ尓 来 了。(ようこそ)」

 通行証を見せると、まだ若い爽やかな青年は人懐こい笑みを浮かべて二人を中に通してくれた。  こんな辺鄙な所にあるから人も少ないのかと思っていたら、城壁の内側は意外にも賑やかだった。  ふうんと一人で肯いている高耶に、直江がその心のうちを読んだように声を掛けた。 「ほら、見てごらんなさい。大きな街でしょう」  思いがけず広い盆地が広がっていて、指差す方向には石畳を敷いた広場が見える。  集落は周りに点在し、そこから中心地へと人が集まってくるらしい。  遠目にもかなり大勢の人間が動いているのが見て取れた。  うっかり入り込んだりしたら迷子になりそうだ。  ―――そんなことを思うと、それが伝わったかのように直江が手を握ってきた。 「大丈夫。はぐれたりしませんから」


 ……なんて言ったくせに。  ―――高耶は広場の隅にある井戸の囲い石に凭れかかってため息をついていた。  広場では市が立っている。  珍しがってそこへ行きたいと言った彼を連れて直江は、賑やかに込み合ったテントの下を歩いていたのだが、 ふと目に付いた布地屋で、ちょっと待っててくださいね、と彼を置いて店主と交渉を始めてしまい、ひまになった 彼が別の店へ入ってうろうろしているうちに姿が見えなくなってしまったのだ。  これははぐれたかも、と思って高耶はそれ以上動き回ろうとせずにじっとしていたのだが、なぜか一向に相手が 自分に気づいてくれる気配はない。  ―――さすがに焦ってきた彼が辺りを探して回る頃には、市もだんだんはけてきて、あれほどたくさんいた人々も いつのまにか疎らになっていたのだった。  しかも、それほど空いてきた場所に在っても、なぜか直江は見つからない。  あの長身は異国においても見紛いようがないのに、見当たらないのだ。  それでも、と足が棒になるほど探し回って、すっかり辺りが夕闇に霞み始めたころ、高耶はとうとうがっくりと 座り込んだのだった。 「どこ行ったんだよ、直江……」  呟いてみても、いないものはいないのだ。  彼はしばらくそうして座り込んでいたが、やがて喉の渇きをおぼえて井戸を探し始め、市場の隅にあった 公衆井戸場にたどり着いた。  そこに置かれている桶で水を掬い上げ、二口ばかり口をつけると、彼は囲い石に凭れかかって目を瞑った。  なんでこんなことになるんだろう。  オレがヘンな話題を持ち出したのがそもそもの元凶か。  もしこのままはぐれたきりだったらどうしよう。  あの男のことだ、体格的にも見てくれもかなりの上玉と見て攫われたのかもしれない。  いきなり連れて行かれて娘の婿にと無理難題を持ちかけられてでもいなければいいが。  どうしよう……。  ずるずると滑り落ちてしゃがみこみ、膝を抱えていると、ふとそんな彼に声を掛けた者がある。 「―――『どうかしたのかい』?」  見上げれば、上半身を屈めて気遣わしそうにこちらを覗きこんでいるのは、好々爺然とした一人の 老体だった。  手に買い物をしたらしい包みを提げているほかは、身なりがよいということしか読み取れなかったが、彼が 信用してもよい人間らしいということは感じられた。  困っているときに同情されればどんな顔を見ても信用できそうに見える、とは言うが、高耶がそう思う場合は そんな不確かな思い込みではない。  人の汚さも弱さも醜さも、存分に知らされてきた彼には、目の前にある顔が誤魔化しであるか否かなど、 一目瞭然である。  このご老体がごく自然な感じ方として困っている異邦人に声を掛けたのだということは、わかった。  そして、高耶は素直に口を開いた。  自分の苦境をどうやって中国語で表せばよいものかと困惑したが、少し息を落ち着かせて、旅行前に 直江と二人で読んだ会話教本の内容を頭の中から引っ張り出す。  そういえば『迷子になって困っています』という表現が『よく使える・役立つ一言』に分類されていたよなぁと 思い出し、あのときには『迷子になるなんてガキじゃあるまいし』なんて直江と笑いあっていたこともついでに 記憶の箱からこぼれ出た。  ―――笑い話じゃなかった。なんてこった。  そう、たしか……、 「同……同 伴 走 散、……我 成 了、……迷 路 的 孩 子(連れとはぐれてしまったんです)」  かなりたどたどしく、殆ど単語を並べただけの文章だったが、相手は辛抱強く「呀」と相槌を打ちながら肯いて、 わかったわかった、と肩を叩いてきた。 「『明日村役場に行って聞こう。今夜はうちへ来るといい。家内や娘も歓迎するよ』」  かなりゆっくりと発音しながら長文を作り、それから彼は少し首を傾げて問うた。 「……イ尓 憶 ロ馬 (わかったかね)?」  『明天』『今夜』『住在我家』『内人』『閨女』『歓迎』の単語の意味はわかる。  そこから繋ぎ合わせて大体の意味を察した高耶は、肯いて軽く頭を下げた。 「……呀。 謝 謝。(はい。ありがとうございます)」  礼だけはそのまま言える。  男は直江の父親といえる年代で、後に村長だということがわかるのだが、それはまだ先の話である。  高耶は一夜の宿を貸してくれるというその男について、街の西方面へと歩いていった。




クリスマスの共催企画、始動です。『チャイナ』になっているのかどうかは甚だ疑問……。毎日1Pずつあげてゆきます。


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