は なも とにて、は る
花の下にて、春


 出会いは自分が十五のときだった。
 新聞はとある過激派の一団が東北の山奥で立てこもり行動を始めたというニュースに大きく紙面を割いていた頃だが、そんな遠い世界の話は自分にとってはただの記事の一つでしかなかった。自分の周りにあったのは、ごく平凡な中学生としての生活だけだった。
 その日、卒業間近の中学から帰宅すると、見知らぬ黒い服の男たちが待ち構えていて、わけのわからないことを捲くし立てられた。自分はそれほど頭の回転が悪いと思ったことは無かったけれど、そのときは相手が何を言っているのかさっぱり理解できなかった。
 たくさんの言葉を矢継ぎばやに浴びせられ、一つ一つを脳内で処理するよりも早くに次の言葉が投げられる。

 ―――いい加減にしてください!

 そう叫んだ気がする。

 ―――何を言っているのかわかりません。一人ずつ話してください。うちの両親がどうしたんですか。

 自分を取り囲んでいた男たちは、一斉に棒でも飲み込んだような顔になって、互いに顔を見合わせた。

 ―――僕、しっかり聞くんだ。私たちは警察の人間だ。ほら、警察手帳。テレビで見たことないかい。

 やがて一人が気を取り直したように自分へ向き直って、懐から黒い手帳を取り出した。

 ―――……それで、警察がうちに何のご用ですか。両親は悪いことをするような人ではないし、僕も何もしていません。今だって、学校からまっすぐ帰ってきたんです。

 返事をすると、相手を始めとする男たちは、急に言葉を無くした。何ともいえない表情になった彼らはまたしばらく互いに顔を見合わせていたが、手帳を見せてくれた男とは別の男がこちらを向いて、何ごとかを言った。


 『―――』


 ―――……何ですか?

 意味がわからなかった。この男はどうしてこんな表情をしているのだろう。どうして周りの男たちは皆、同じ視線で自分を見るのだろう。


 『―――』


 ―――今、何と言ったんですか。

 耳は確かにその言葉を聞いた。けれどその言葉は脳に辿り着くよりも前に凍り付いてしまった。体の中のどこかで。
 受けつけ不能。この言葉を理解してはいけない。聞いてはいけない。考えてはいけない。凍結排除だ。


 『―――』


 ―――わかりません。あなたがたが何を言っているのか、わからない。

 ―――信綱くん……!

 壊れたオルゴールのように何度も同じ言葉を繰り返した。周りの男たちが包囲網を狭めてわらわらと集まってきたが、自分は同じ言葉をただ繰り返すだけだった。

 そんなとき、家の前に野次馬を掻き分けて現れた一台の車があった。黒塗りのぴかぴかの車が。それこそテレビでしか見たことのないような、立派なお抱え運転手が運転する車。
 その中から降り立ったのは、いくぶん小柄な体格にもかかわらず重厚な空気を纏った、初老の男だった。制服であるらしい黒い服装の胸に幾つかの徽章が輝いていることを、混乱した頭の中の妙に冷静な部分で観察していた自分がいた。

 ―――直江、信綱くんだね。

 彼は自分の前まで来て、ほぼ同じ高さにある自分の顔を覗きこむようにした。
 彼の声だけが、自分の混乱しきった頭の中にはっきりと聞こえてきた。

 ―――はい。

 ―――立ち話も何だから、ゆっくり座ってこのじいさんの話を聞いてくれないかね。

 ―――でも、僕はそろそろ塾の時間なんです。それなのにこの人たちが邪魔をして、家に入れてくれないんです。

 ―――そうかね。彼らは仕事だから、恨まないでやっておくれ。塾は今日はお休みしよう。じいさんが連絡しておくから。受験勉強が大変なのは知っているよ、でも、たまには休憩も必要だろう?

 ―――でも

 ―――君はいつも頑張っているだろう。一日お休みしたって大丈夫だ。一緒におやつの時間にしよう。自慢じゃないが、紅茶を淹れるのが得意でね。付き合ってくれんかね。

 彼の、皺の多い顔と、白髪の目立つ髪と、ゆっくりと紡がれる言葉が、随分前に亡くなった祖父を思い出させて、鼻の奥がつんとした。急に悲しくなってきて、胸が塞がる。
 そんな自分を彼は肩を抱くようにして背を叩いてくれ、気がつけば、自分は、こくん、と頷いていた。



 彼が警察庁長官その人であり、彼の息子で立てこもり事件の指揮にあたっていた仰木勲氏が、途中経過報告のために帰京してきたその日の昼過ぎに駅のプラットフォームで過激派の一味によって狙撃されたということと、その現場に居合わせた出張帰りの両親が、たまたま仰木夫妻の傍に居たために巻き添えをくったのだということを、自分はその夜、長官の好意で使わせてもらった客間の大きなベッドに横たわりながら、ようやく、現実のこととして理解したのだった。



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04/03/25

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