海よりも蒼く、空よりも藍いブルー
人魚の住処を空から静かに見下ろしていた月は沈み、代わって、人の子の世界を照らす太陽が昇り始めた。 滅多に人の来ない静かな海岸に、二つの人影がある。 その人物たちは折り重なって倒れているように見える。 波打ち際で砂の上に倒れている二人を、朝の日の光が照らし始めた。 「……ん」 先にもぞりと身動きをしたのは、ジーンズに白いシャツを纏った少年の方だった。 彼は顔を照らし始めた日の光に反応して眩しそうに眉を寄せ、寝返りを打とうとして、急に覚醒した様子でカッと目を見開いた。 「……なおえ……」 見開かれた目の先には、瞼を下ろしているが、確かに呼吸して生きている男の顔があった。 高耶は一先ず安堵して、そろりと身を起こしてみた。 波打ち際に横たわっている男は、頭のてっぺんから爪先まで、完全に人の姿だった。 上半身は元とあまり違いはなく、背中にあった羽の名残のようなすっとのびたハの字型の傷跡が目に付くだけだ。 しかし、下半身はきれいに筋肉のついた長い二本の脚へと変貌をとげていた。 「きれいだな……」 思わずぽろりとこぼれた言葉のように、初めて見た人間の脚を持つ男の姿は、人魚の姿と劣らず綺麗だと思った。 だが、そういつまでも見とれてはいられない。もしも誰かがここへやってきたら、倒れている一糸纏わぬ男の存在が詮議の的になってしまう。 「直江……直江、起きられるか?」 高耶は人の姿になった人魚に顔を寄せ、そっと肩を揺すぶった。 触れた素肌の感触は、紛れもなく人のものだった。潮風に吹かれてざらついた表面は、人魚のときとは違って乾いている。 「直江……」 肩を揺さぶるのをやめて、指を端整な顔へと滑らせた。 こめかみから滑りおりて、頬を撫ぜる。 それから瞼へ移動して、覚醒を促すように瞼の上をなぞった。 「起きてくれ、直江……」 顔を寄せて、瞼の上にくちづける。 そうっとくちづけを落として顔を離すと、茶色の睫毛が震えた。 見守る高耶の前で、瞼がゆっくりと上がってゆき、綺麗な琥珀の瞳が現れる。 「おはよう、直江」 何度か瞬いた瞳が、高耶に気づいた。 高耶は笑って、初めて朝の挨拶をする。相手も身を起こし、応えようとするように口を僅かに開いて息を吸い込んだが、―――その顔が突然歪んだ。 「なおえっ !? 」 陸に上がった人魚はまるで毒を吸い込んだように胸を押さえ、ぜいぜいと肩で息をしている。 こめかみから流れた汗は苦痛のあまり流れたものだろう。 「なおえ!なおえっ……どうしたんだ!」 飛びついて相手の背をさすってやりながら少年が叫ぶ。 ふと、二人は昨夜の最後の記憶を思い出した。 《海の守りを失い、重い手足を引き摺り、その一歩一歩ごとに激しい苦痛を強いられる陸の生活へ、去るがいい。海と陸の理を超えることの恐ろしさを身をもって知るがいい》 そうあれは、海の皇の呪いの言霊。 海の者が陸に上がるとき、超えられぬ理を超える者には、海の皇から罰が与えられる。 許されぬ場所に生きる引き換えに、苦痛を。 生き続ける限り終わることのない苦痛を。 「なおえ、なおえっ……まさか、あのときの!」 少年もその呪いを聞いていた。 思い出すと同時に叫んだ彼に対する人魚の答えは、苦痛をこらえるために震える指先だけだった。 陸に上がった人魚には、 息を吸うたびに肺が焼けつく苦痛と、 地面を踏みしめるたびに全身に広がる鋭利な苦痛とが、架せられていた―――。 |
2004/04/20