海よりも蒼く、空よりも藍いブルー





『何でもすると約束してくれましたね』


 水面に顔を出して、夜の月を見上げながら、二人はぷかりぷかりと浮いている。
 しばらく水の中にいた高耶が再びの肺呼吸に慣れるのを待って、直江は言葉を形作った。


「オレは何をしたらいいんだ?」


 高耶は目で頷いて、続きを促す。
 海を離れようとしている人魚は、黙って高耶を引き寄せ、さらに浅いところを目指して水を掻いた。


『このあたりでいいでしょう。では、高耶さん。これを……』


 やがて腰を下ろしても胸までしか水に浸からない浅いところへ至ると、彼はどこに持っていたものか、一振りの短剣を差し出して、高耶の手に握らせた。
 少年は相手が一体何をさせようとしているのか見当がつかずに、手の中の短剣と相手の顔とを交互に見ている。人魚は未だ海の民の理に従い、外気のもとでは目も口も開くことができなかった。

 人魚はそして、相手に背中を向けた。
 その背には、はるか昔に人が捨てた翼のように、二枚の透ける羽が生えている。とびうおのような、薄くて張りのある、不思議な羽だ。ついさっきまで、力強く水を掻いていた。

 透ける羽に見とれていた高耶は、次の瞬間、背を向けたまま相手が伝えてきた言葉に目を見開いた。


『その剣で、この羽を切り落としてください。根元から全部』


 その声は穏やかだったが、断定的で些かの迷いもなかった。決して間違いではない。絶対に必要なこととして、彼は口にしたのだ。


 自らの背に生えている、生きた羽を―――切り落とせ、と。



「―――そんな、馬鹿な!」


 しばらく目を見開いて言葉もない様子だった高耶は、数秒ののち、悲痛な叫び声を上げた。

『いやな役目を与えてごめんなさい。けれど、魔女はあなたの手で切り落とさなければならないと言いました。
 だから、どうかお願いします。その剣で羽と尾を切り落とせば、私は人間になれるんです』


「魔女って、何だよ……」


『海の魔女。魔力を持つ海の民の中でも最も古き時より生きる、最も強大なる力の持ち主です。今の海の皇の祖母でもあります。
 私は彼女に頼んで、人間になるための術を教わったんです。その剣を以って、伴侶と定めた者の手により、羽と尾を切り落とすことを』


 人魚は背を向けたまま、美しい羽を広げた。


「……切るなんて、こんなに生きてるものを、切り落とすなんて……」


 高耶は剣を持たない方の手でその透ける羽に触れ、血の通う肌から直に繋がっている根元へと指を滑らせた。
 肌は人間と同じ肌色なのに、そこから直に繋がった羽根は、急激なグラデーションで青い色に変化している。それが段々薄く伸びて、最終的には透けるほど薄い透明の羽となっているのだ。

『お願いします、高耶さん』


 重ねての頼みに、高耶は剣を握った手をぶるぶると震わせ……やがて頷いた。


「……最後に少しだけ、触らせて」


 彼は、とてもとても美しいその海の民の羽に、そっと愛しそうに触れ、おもむろに唇を寄せた。

 ぴくり、と人魚が震える。

 透ける羽にくちづけた高耶の瞼からは、尽きることのない涙が溢れ落ちていた。







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2004/04/18

background-image:桜ガーデン(閉鎖されました)
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