海よりも蒼く、空よりも藍いブルー
このままゆっくりと緩慢に母なる海へと回帰するつもりだった。 酸欠で苦しむよりも早く、意識を失ってしまえばいいと。 けれど、静かだった海に突然異変が起きた。 ゆるゆるとオレを受け入れ奥底へと引きずり込んでいた水のうねりが急に変化したのを、肌で感じた。ゆるやかな流れを乱すものがある。何か大型の魚が泳いででもいるかのように。 けれど、もしそれが鮫だったら……と恐れるほど、頭は正常ではなかった。既に朦朧として、ただゆらゆらと漂っているだけ。逃げようとすら思わなかった。危険だとも。 あっという間にその乱れは自分のもとへ辿り着いた。 それは、恐ろしい鮫の牙ではなかった。 強い、二本の腕だった。まるで人間のような。こんなところにあるはずのないものが、オレを抱きとめていた。 「ん、ぐっ……」 目を開ける力も無かったオレに、次に訪れたのは唇を割る何かだった。 口を開けたら水を飲んでしまうからと食いしばっていた歯がこじあけられ、急に酸素が与えられた。 「っ……?」 忽ち脳が働き始めた。 ありえない状況に驚いて目を開けると、そこには人の顔があった。オレの体を抱きしめて、口移しで酸素を与えてくれている。若い男のようだ。 一瞬、漁師に発見されて助けられたのかと思った。でも、周りは光がほとんど射さない深い海の中だ。こんなところに素潜りしている漁師がいるはずがない。 混乱しきった頭でそんなことを思いながら、腕を彷徨わせていると、ふいに、何か弾力があってぬめりを帯びたものに手が触れた。 途端、オレに酸素をくれていた人が目を開く。 すっと上げられた瞼の下では、綺麗な琥珀色の瞳がオレを見ていた。 『大丈夫ですか』 深い海の中では聴こえるはずのない『音』が、聴こえた。 確かに目の前にいる人が発したであろう『声』が。 『私の声が、聴こえるでしょう?高耶さん』 オレは目を見開いた。 名乗りもしない名を、なぜこの男は知っているのだろうか。 驚いた拍子に、さっき触れた謎の物体を強く掴んでしまったらしい。男が少し顔をしかめて、再び話し掛けて来た。 『それ、離してくれませんか。でないと泳げない』 そう頼まれ、慌てて手を離すと、男は笑って、オレを抱く腕をより強くした。 『じゃあ、上へ行きますよ。目を瞑っていてくださいね』 言うが早いか、オレを抱えたまま男は上昇を始めた。両腕でしっかりとオレの体を掴んでいるのにどうやって泳いでいるのだろうかと不思議に思ったが、脚の辺りでしきりと水を掻いている感触があって、ああそうかと納得した。泳ぎのうまい漁師なら、脚だけでこうして泳げるのだろう、と。 勿論、その推論は間違っていた。 |
2004/04/12