シアワセノショウメイ


「……オレ……」 魔力の身に付け方の異なる二人の魔法使いを見比べながら言葉尻を濁らせる元妖精である。 妖艶なる『魔女』はあくまで楽しげな笑みをその朱唇に浮かべて、小さな妖精の次の言葉を 待っている。 一方の、屋敷に籠もって薬草の研究に没頭するという宝の持ち腐れに等しい毎日を送って いる『一級魔法使い』は、愛する幼い恋人の口からもたらされる言葉を必死の面もちで 見守っていた。 そして、魔法使いの忠実(?)なる使い魔・ハリマオ―――略してハリ―――は金色の虎の 尻尾でしつこい羽虫を追い払いながら、三人を当事者以上の真剣さでもって見守っている。 ―――行動を起こしたのは、他の誰でもなく、この屋敷の主だった。 「……行かないで」 男は、揺れる表情の元妖精の目の前で膝をつくと、両腕を伸ばしてその少年そのものの 細い体を抱きしめたのだった。 「わがままばかり言っている自分は百も承知です。でも、あなたがいなくなることは耐えられない。 お願いです、私が自分を変えることができるかどうかはわからないし、断言もできないけれど、 行かないでください……ここにいて。あなたがいないと私は笑えない、幸せになれない。 でも、一緒にいたらきっと幸せだから、ここにいてください……あなたの笑顔で 私を笑わせてください……」 魔法使いの言葉はまっすぐに妖精に縋っている。大の男が少年を抱きすくめて引き留める などというみっともない醜態をさらしてでも手放せないのだと、その必死さが少年には よくわかった。 この男はたぶん、土下座して頼めと言えばためらわず実行するだろう。 見栄も外聞も投げ捨てて、自分のために地面に這いつくばるのだろう。 「……主のその言葉が決して出任せのつもりでないのは私もよくわかっているんですけどね。 問題は、没頭すると何もかも忘れてしまうっていう困った性癖なんですよ」 先ほどまで主を責め立てていたはずの使い魔が、ため息をついた。 彼とて主をけなすのが趣味というわけではない。心から主に心酔しているし、人の姿に なったり人語を解するという特殊な力を授けてくれた主の並大抵でない魔力には、ただただ 尊敬あるのみだ。 ただし、彼は人間以上に人情深いたちなので、放って置かれて寂しそうにしている小さな 妖精が不憫でならなかったのである。元居た世界から切り離されて見知らぬ場所に 住まい、唯一頼りにできるはずの人間は忙しく研究棟に籠もってばかり。 元の世界では陽気で知られた彼だが、話し相手が居なければ陽気も陰気もありはしない。 しゅんと小さくなっている元妖精が気の毒でならず、敬愛する主に牙を剥いた虎なのだった。 「―――幸せにするから。あなたのお友達に約束したこと、私は忘れたつもりはありません。 あなたを幸せにする。一緒に幸せになる」 男は腕の力を少しゆるめて、少年と目を合わせた。 瞳だけで、何の嘘も言っていないその瞳だけで、まっすぐに、痛いほどまっすぐに、 相手を見つめる。 「だから……行かないで。ここにいて。お願いだから、側にいてください―――」 じっと―――四つの瞳が交わされる。 恥も外聞も投げ捨てて相手を乞う男と、いつも寂しい思いをさせられていても本当は相手に 飢えている少年と。 ―――やがて、小さな元妖精がくすりと笑った。 「高耶、さん?」 「……さすが、女泣かせは言うことが上手いよな。ほんと。参っちまう」 不思議そうに首を傾げた男に、少年は笑いながら首を振った。 「た、高耶さん……!」 呆れられたのかと焦る魔法使いに、しかし少年は笑顔を返す。 「……でも、本気なのはわかる」 元妖精の少年は男の首に両腕を回してぎゅっと抱きしめた。 「オレがいないと生きていけない奴を放って出ていったりなんか、できるわけねーだろ……」 「……やっぱり、こうなりますか。はぁ」 安堵のあまり高耶を抱きしめたまま石像のように動かなくなってしまった魔法使いを見やって、 外野はため息をついた。 「それでは代わりにおぬしが私のところへ来るのはいかがかな」 妖艶なる魔女はいつも変わらぬ妖しげな微笑をたたえた唇を面白そうに吊り上げて石像を見、 それから、コメントの代わりに尻尾で地面を叩いている金色の虎にスカウトの矛先を向けた。 話を振られた虎はしばらく思案顔でひげをぱたぱたさせていたが、やがて首を振った。 「魅力的なお誘いですが、私はどうも鳥が苦手でして……残念ですが」 主のことを断りの理由に挙げないあたりが魔女を面白がらせたようである。柳眉を僅かに 動かした彼は、考えに至った様子で頷いた。 「なるほど、嘴が嫌いなのか」 「いえ」 虎は人間そっくりの仕草で首を振り、恐ろしげな牙の生えそろった口から美しいバスの声を流す。 「羽がふわふわしているのを見ると虎の本能が襲わせるんです。 ですから御家来衆を大切に思われるのでしたら私を呼ばれぬ方がよろしいですよ」 「ほう、なるほど。確かにその方がよさそうだな」 なぜだか仲良くなっている魔女と使い魔のほのぼのした会話を中断させたのは、身の危険を 感じて声を上げた元妖精とその恋人の賑やかなやりとりだった。 「やめろ!どさくさに紛れて何しようとしてんだよ!人前だぞ」 「人前じゃありません、虎と魔女の前です」 「わけわかんねーこと言ってんじゃねぇ!とにかくこの手をどけろっ!」 「あなたを離したら生きていけないんです」 「手ぐらい離したって生きていけるだろうが!やめろってば……!」 見て見ぬ振りをしている一人と一匹の視界の隅で、普段のらぶらぶぶりからは想像できないが 未だ至極プラトニックな間柄である恋人たちが、見た目暑苦しくないのが不思議に思える 熱烈な攻防を繰り返していた。 未だ心が幼い妖精と、何かにつけ悪戯を仕掛けるくせに実のところ凪の海よりも静かで 気長な魔法使いとの恋は、まだ始まったばかり―――

彼らの住む世界とは違う一つの世界では聖誕祭と呼ばれるこの日に、 彼らの間には、何かが生まれるだろうか ――― ?
前編                                          (03/08/12)







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