シアワセノジョウケン


「お支度が整いましたよ、主」 と、しばらく姿を消していたハリが虎の口で喋ったところで、一人と一妖精のじゃれ合いはお開きになった。 大きな金色の虎が人語を操るさまに、またもや、びくっと反応した高耶だったが、ハリの悲しそうな瞳にじぃっと見つめられて さすがに罪悪感に勝ちを譲ることになったようである。 いい加減慣れろ、オレ!とばかりに両頬を叩いて喝を入れ、彼はぶんぶんと頭を振った。 「気味悪がってごめんな。ハリ」 自分の中のもやもやを断ち切ってしまうと、意外にすっぱりと頭を切り替えることができたらしい。 彼はすっかり割り切った顔になってハリに声をかけた。 「いえいえ。お気になさらないでくださいな。自分でも、これは反則だろうと思うくらいですからね」 ハリはごろごろと喉を鳴らしながら器用に片目を瞑ってみせる。 愛嬌たっぷりのその仕草に思わずつられて笑いを見せた高耶だった。 その様子を目を細めながら見守っていた直江が、ここで口を挟む。 「さあ、お腹が空いたでしょう?妖精のあなたのお口に合うかどうかわかりませんが、どうぞ、こちらへ。 ハリはなかなかの料理人なんですよ」 虎のハリに一体どうやって料理なんかできるのだろう、という疑問は既に頭の隅へ追いやって、直江に食堂へ案内された 高耶は、勧められるままに卓についた。 目の前には、様々な料理を盛った大皿が何枚も並べられている。卓がここまで大きなものでなかったら、はみ出していた だろう量だ。まるでこれから何十人単位の食事会でも開くかのよう。 どう考えても二人分(ハリがものすごくよく食べるというのなら数え方を変える必要があるが)の食事とは思えない。 「なあ、これから他に人でも招ぶのか? ……てか、」 しばらく絶句していた高耶は独り言のように呟いたあと、ふと別の可能性を思いついて、うっと声を低くした。 「まさか、いつもこんな食事してるとか……?」 恐る恐るといった感じで長身の男を見上げる。 この立派な体格とあの腕力を思うと、否定できないのが恐い。 肯定されたらどうしよう、こいつ、あらゆる意味で、非常識だってことにかけてはこれまで見てきた中で一番だし……、と 汗を浮かべかかっていた高耶だったが、幸い、 「まさか。私はそんなにも大食いに見えますか?」 相手は笑って首を振った。卓の横にちょんとお座りしているハリをちらりと見やって続ける。 「ハリが、自慢の腕が泣く、とこぼすものですから。普段は私一人なので殆ど量が作れないでしょう?腕がなまってしまう、 と最近よく言っていたんです。それで、今日は久々に思うだけ作ってよいと言ったんですよ。 そうしたら、こうなったわけです。 それに、これだけあればあなたの口に合うものも見つかるかもしれませんしね」 台詞の最後のところを耳にして、高耶はすまなさそうな顔になった。 「なんか、悪いな。オレのことで色々気い使ってもらって」 彼はひょいと上半身を卓の横に乗り出して、ハリに向かって小さく頭を下げる。 ぐるる、と喉を鳴らしてハリは瞬いた。 律儀に人語を極力控えている彼に、 「だから、もういいって。普通に話してくれよ。ごめんな」 高耶は眉を寄せて謝罪の色を浮かべる。 「こちらこそ、そんなに気に病んでいただくと恐縮してしまいます。とにかく、私という存在が反則なんですから。 主の気まぐれで人語を話す能力を授けられたんですよ、私は。普通、使い魔は主人と心話で通じるものです。 こうして口で人語を操る獣型の存在なんて、私くらいのものでしょうね」 穏やかに言うその声は、目を瞑って聞いていたら、まるで直江と同じくらいの歳の男が喋っているかのような印象を与える 豊かなバス。 思わずくらりとしてしまいそうな深い抑揚のある声なのに、語り口は『ご主人さまに仕えている、でもちょっと馴れ馴れしい、 世話焼きな召使い』のそれ。 美しいバスなのに、とてつもなく奇妙。ミスマッチの極み。 うっ。 高耶でなくてもそのギャップにはくらくらするだろう。 これで、猫の姿の時もこの声なのだから、おかしい。とにかく、おかしい。 一人首を振っている高耶をどう思ったか、それまで楽しそうに一人と一頭の遣り取りを眺めていた直江がそこで口を 挟んだ。 「さあ、手が止まっていますよ。こんなにあるんだから早く取り掛かって下さらないと」 たとえ、その虎の体でなぜ料理ができるのかということがどんなに不可解であろうと、ハリが優れた料理人であることは 確かだった。 高耶は自分でも驚くほどの健啖家ぶりを発揮して料理人を喜ばせた。 妖精の彼だったが、こうして実際に食べてみると人間の食べ物を口にすることに問題はなさそうだった。 ミー=ゴレン、ナシ=レマ、ナシ=ゴレンに、サテーといった定番マライ料理に、魚のすり身を笹の葉に包んで蒸し焼き にしたオタオタや、ココナツミルクが入ったカレー風味のミー・ラクサなどのニョニャを平らげたあと、彼は、こうも 食べっぷりよく召し上がっていただくと本当に作り甲斐がありますねぇ、と嬉しそうに言いながらハリが いそいそと運んできたデザートにも、大いに舌鼓を打った。 彼はサゴグラマラカとチェンドルが気に入ったらしく、おかわりを頼むほどだった。 久々に思う存分腕をふるったハリが、この率直な評価者を得て、終始ご機嫌だったことは、言うまでもない。                                          (11/02/02)







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