シアワセノジョウケン
「―――って、お前、何してんだよ !? 」 ようやくはっと正気に戻った高耶が怒鳴る。 直江は手を止める気配もない。 「何って、あなたがご自分で湯を浴びてくださらないから、やってあげているんですよ。こんな濡れて冷えたままじゃ、 風邪をひいてしまうでしょう?」 首を傾げて問う様子には、邪気はなかった。 妙なところで真面目な男らしい。 内心で目を見張った高耶が何も言い返せずにいるうちに、直江はその衣をすっかり脱がせて、この冷えきった妖精をひょいと 桶に浸からせた。 腰を包んできた温かい湯に、びくりと高耶が震える。 「熱いですか? 湯に浸かる習慣はあなたにはないでしょう?もし体に合わない様子なら、言ってください」 直江が小さな桶で湯を掬ってその背に掛けてやりながら声をかける。 時折その大きな手で相手の背中を撫でてやったが、そこにはやはり優しい温かさがあるだけで、高耶を安心させた。 ふいに目元が熱くなる。 何だか急に気が緩んで、彼はうつむいた。 忘れていた不安が、戻ってくる。 そして、背中を撫でる相手の手に、すがりつきたく……なる――― ―――ああ、駄目だ、だめ! うつむいたまま、頭を振って弱気を追い払う。 そんな相手をどう思ったか、直江は黙って湯を掛け続けた。 「サイズが合わなくて申し訳ないんですが……」 とりあえずこれを着ていてください、と直江が差し出したのは、綺麗な青色に染められた麻の長衣だった。 上からすっぽりと被る形のそれを頭の上から被せられて、高耶は素直に袖を通した。 「これ……お前の?」 少しざらざらした麻布の感触が、妙に素朴で優しかった。 「ええ、この家に人間は私一人ですよ」 相手に被せた衣を整えながら、直江は肯く。 着てみれば、直江の足首までに合わせたその衣は、高耶には随分大きかった。 改めて、相手の長身を実感した彼である。 まじまじと直江を見つめる彼の視線には気づかずに、直江は大きすぎる衣を相手のサイズに合わせようと帯を持ち出してきて 相手の前に膝をつくと、その胴に回した。裾の高さを合わせて一旦ウエストを細い紐で締め、上に余ってはみ出た部分を器用に 畳んで、その上から幅広の帯で留めつける。青い衣に金色の帯が映えた。 「……抱き上げた時から軽いとは思っていましたが、あなた、腰が細すぎますよ?栄養が足りていないんじゃないですか」 帯の最後を内側に折り込んで金色のピンで挟みながら、直江がそんなことを言った。 「ほっとけよ。気にしてるんだからな」 相手の手際の良さに内心瞠目しながら見守っていた高耶は、ウエストを両手で掴むようにされて、ふいっと横を向いた。 直江は、そうですか、と小さく笑って今度は袖のサイズ合わせにかかった。 指先まですっぽり覆い隠してさらに余りある長い袖を、手首が出るくらいに合わせて飾り紐でたくし上げる。 両の袖について同じことをしてそれぞれが同じ長さになるよう調節して、直江は相手を見上げた。 肩をぽんと叩いて、 「これでどうですか?少しは動きやすくなったと思うんですが」 首を傾げてみせる。 少し不安そうに問うさまがこれまでには見たことのなかったもので、高耶は小さく笑った。 今日は相手の意外な姿に出会ってばかりだ。 大きい――― 長身のことじゃなくて、存在が。仕草が。 抱き上げて揺るぎない腕が、背中を撫でた手が。 包容力、というやつだろうか。 温かくて、優しくて。 これまで思っていた変態野郎の軽い男とは、随分違う。面倒見の良さときたら、噂に聞く「お母さん」とやらのようだ。 「なあ、直江ってもしかして子供いるんじゃないのか?」 ふと思いついて高耶は言った。 無類の女誑しだという直江のことだ。どこかに子供の一人や二人、十人や二十人―――はないとしても――― 在たってちっとも不思議はない。 が、 「ふざけないでください。そんなわけ、あるはずがないでしょう?私はこの通り、あなた一筋なんですから」 直江は憤慨して高耶をつかまえた。 どさくさに紛れて相手を抱きしめる。 「おいっ !!」 暴れる高耶を難なく腕に納めて、直江は満足そうだ。 「最高の抱き心地ですねぇ。柔らかで。でも、もう少しだけ肉をつけてもらえるともっと嬉しいんですが」 「ふざけんなっ。離せよ!」 さっき心の中で再確認した強い腕にしっかりつかまえられてしまった高耶は無駄と知りつつ暴れている。 「別にいいじゃないですか〜。さっきの雨のせいで私もちょっと寒いんですよ。 あなたは体温が高いから気持ちよくて、ね」 あっ。 高耶ははっとした。 そういえば相手は自分の世話に徹していて、考えてみたら濡れたままだ。 着てる服も水を含んで冷たい。 自分のために、自らのことをおいて、この男は甲斐甲斐しく世話を焼いてくれていたんだ。 「……ごめん……」 高耶は直江の背に腕を回した。 冷たい背中を抱きしめるように触れてゆく。 「高耶さん……?」 驚いたように降ってくる声に、高耶は強く顔を相手の胸に押し付けた。 「オレ、気がつかなくてごめん……。お前こそ風邪ひきそうだ」 「高耶さん……」 直江はこの上ないほどに優しい瞳になった。 全身で『ごめんなさい』を表現しているこの律儀で可愛い妖精の背中を片手でぽんぽんと叩きながら、もう一方の手で その髪を撫でる。 「そんな悲しそうな声にならないで。あなたが気にすることなんかじゃないんですよ。 私が勝手にしたことです。 ね、私を思うなら、笑ってください。笑顔を見せてください」 それが何よりの幸せですから。 直江は微笑んだ。 実際、この相手がここまで可愛いとは思っていなかった。 気に入っていたのは勿論だが、これほど魅力的だとは。 自分はもう、完全に虜になっている。 今はまだ、おずおずとしか歩み寄ってこない相手。 けれどいつかは誰よりも自分を支配してやまないようになるであろう、小悪魔のように魅力的な相手。 その眼差し一つで自分を動かすだろう。 その笑顔を向けられたなら、自分は喜びに全身を満たされるだろう。 他には何もいらない。 笑ってください――― (26/01/02)