シアワセノジョウケン
翌朝のこと。 高耶は市場へ出るというハリについて、外へ出た。 ハリは食物などの買い物をするために、毎朝市場へ出かける。 一日おきにでも支障はないのだが、なにぶんにも、物が物である。新鮮が一番なんですよ、と彼は高耶に笑いかけた。 「なあ、ところでさ」 居間にいる直江のところへ向かおうとしているハリにくっついて廊下を歩きながら、高耶の方にはもう一つ疑問があった。 「その姿で外を歩くの?ってか、買い物なんかできるのか?」 いくらなんでも虎の姿を晒して往来を歩いたりしたら大事だ。 かといって、あの猫の姿では買い物どころではない。 よしんば買うことができたとしても、一人では家まで持って帰れない。 首を傾げる高耶だった。 すると、 「ああ、それはこういうことなんですよ」 にこりとして、居間にたどり着いたハリはご主人の方を見た。 「主」 声をかけると、居間の籐椅子に腰掛けて煙草を燻らせていた直江が振り向いて、 「出かけるのか」 と立ち上がった。 「オレもちょっとくっついて行きたいんだけど、いい?」 ハリの傍らでその背中になついていた高耶が顔を上げて言うと、直江は少し首を傾げた。 「何か入り用のものでもありましたか?私もご一緒したほうがいいでしょうか」 一人で(ハリはついているとしても)外へ出すのに不安を隠せない様子である。 しかし、高耶の方は付いて来られても困るのだ。 平気平気、と首を振って、ハリがいるから大丈夫なんだ、と、腕を伸ばしてきた直江を留めた。 「……そうですか?」 複雑そうに眉をひそめて、直江はしぶしぶ肯いたが、腕はしっかり伸ばしてきて相手を抱きしめた。 ぎゅうう、と腕を締めると、相手は背中をぽかぽかと叩いて抗議する。 「放せってば。ぐずぐずしてると市が終わっちまうんだよっ」 「つれないですねぇ」 「一晩中くっついてるくせに、何言ってんだ」 「一日中くっついていたっていいのに」 「一人で言ってろ!」 いつまで経っても放してくれそうにない相手に、そろそろ高耶は切れかかっている。 「……主」 そこへ、忘れられていたハリが控えめに声をかけた。 「本当に、そろそろ出かけませんと市がはけてしまいます」 ご主人とその想い人が仲良くしているのは大いに結構なことなのだが、今は急いでいる。 申し訳ないけれど口を挟まざるを得ない。 「そうだな。つい」 ご主人はようやく抱擁を解いて、使い魔の虎へ向き直った。 腕を緩めたとき、何だかんだ言って名残惜しそうな顔をした妖精の一瞬の表情には気づかずに、直江はハリの方の 処置にかかる。 金色の頭に軽く手を置いて、唱える。 「使い魔の姿替えを行う―――人の姿を取れ」 一瞬、ハリの姿が消えた。 次の瞬間、そこに立っていたのは人間だった。 「ハリ !? 」 高耶が思わず声を上げた。 綺麗に締まった褐色の肢体。毛皮の縞と同じ、黒褐色の短髪。 背丈は高耶よりも少し高いくらい。 向かい合えば、密林の王者とも思えない優しげな顔立ちで、瞳はトパーズ色。 「こちらの姿では初めまして。市へ出るときと料理をするときはこうして人の形を取らせていただくんですよ」 笑うと白い歯が覗いて褐色の肌に映えた。 「猫と虎は自分で変更できるんですが、人の形は主にお願いしないといけないので、あまり長い間は取りません。 主は人間の形を喜んでくれませんしね。 ただ、料理をするときだけは、二足歩行ができないと話になりませんから」 「……ほええ」 目をぱちぱちさせていた高耶が、頭の上から足の先までを見て、ふと顔を赤らめた。 「―――あ、失礼を」 ハリは、はっと横を向いて、 「先に準備しておけといつも言っているだろうが」 と苦笑気味に主人が差し出した白い麻の長衣に、そそくさと腕を通した。 「……虎の感覚が板についているので、普段はあまり気にしないんですよね……」 言い訳めいた呟きに、高耶はぶんぶんと首を振って、 「ごめんごめん!ハリが悪いわけじゃないんだって。 ほんと、ごめん」 つい先ほどまで虎の姿を取っていたハリは、人間の形になったとき、当然ながら一糸纏わぬ裸体だったのである。 それでもご主人と本人(本虎?)には見慣れた姿で全く気にしていなかった(虎にはそういう種類の羞恥心はない) のだが、初めて人型のハリに会った高耶には、少し目のやり場に困る眺めだったようだ。 気まずい空気は、高耶の腹の虫によって払拭されることになる。 「―――あ」 再び赤くなった彼に、ハリが買い物籠を提げて主人に向き直った。 「では早く市で材料を仕入れて来ましょう。行ってまいります。主」 (23/05/02)