シアワセノジョウケン
邸へ近づいて、情報屋とそのボディーガードの二人連れは異状に気づいた。 「何だぁ?この賑やかさは……」 千秋が首を捻る。 「だから言ったでしょうが。別の生体反応があるって」 肩をすくめた綾子だが、彼女自身も少し首を傾げている。 「それにしても、一体誰が……」 普段全く人気を感じさせないこの邸から聞こえてくるのは、何やら非常に賑やかな声と物音。 それは勿論直江の声ではなかった。 どうやら年若い少年らしい元気な歓声だ。はしゃいだ楽しげな響きが塀越しに庭の方から聞こえてくる。 何なのだろう、と顔を見合わせた二人だ。 どこまで続くのか、という長い白塀に沿って、足早に門を目指す。 ようやくたどり着いたそこで、大きく開かれた白塗りの斜め格子の門扉のところから緑に埋め尽くされた庭へ向かって 邸の忠実な番犬ならぬ番虎を呼ばう。 「おおい、ハリ〜?直江、いるかい?」 千秋の声に、先ほどからずっと聞こえていた庭の歓声が一瞬やんだ。 ぱっと顔を見合わせでもしたらしい間のあと、再び大きくなり、二人はその内容に顔を見合わせた。 「オレが出るっ」 「いえ、私が!」 「オレが出るってば!」 「私の仕事なんですから!」 ……どうやらどちらが応対に出るかでバトルになっているらしい。 「ええいっ」 「負けじ!」 ばたん、どすん、と、上になり下になり、という感じの取っ組み合いが行われている気配だ。 やがて、 どすん 「あたっ」 「……一本! オレの勝ちだっ。 じゃあ先に行くからな!」 決着がついたらしい物音と勝利宣言と共に軽やかな駆け音が近づいてきて、 「はいはいはい、お客さん? 直江なら今日はお篭もりだよ」 ひょっこりと覗いた顔は、年若いとは言っても十七は下らないだろうという少年で、二人は本日何度目かの 顔を見合わせる仕草をしたのだった。 渦中の人は、はっとするような黒い髪と瞳の男の子。 しっかり運動して息を切らせる肩はしなやかで若く、つい今しがたまで庭を転げまわっていた証拠とばかりに、 髪といわず、背中といわず、あちこちに草をくっつけている。 そして、その全身からあふれ出す眩しいばかりの陽のエネルギー。 まるで太陽のよう。 目を見張る情報屋と護衛の前で、その非常に元気のよい少年は向日葵を思わせる底抜けの明るい笑顔を 見せていた。 「直江の友達? 何か意外だよなぁ。昨日から、すっごく賑やか!」 首を傾げてぐるっと目玉を動かすさまが愛らしい。 表情といい、漆黒の瞳といい、本当にくるくるとよく動いて、この『静』の邸とはまるで別世界の生き物を見る ようだ。そして、この邸の主とも。 「……」 綾子は言葉がうまく出てこないらしい。『口から生まれた』千秋でさえ、一瞬押し黙ったくらいである。 「何か……」 ようやく魔法使いが口元をほぐすと、情報屋は長い息を吐いた。 「こっちこそ意外だよ。……まさか、こういうことだとは」 彼にしては珍しいことだが、どうやら完全に調子を狂わされているらしい。 やれやれ、と言わんばかりの響きに、しかし少年の方は意味がわからず、首を傾げる。 「意外って、何が」 「いや、まぁ」 微妙な沈黙に支配されたその場に再び動きを与えたのはハリだった。 痛む節々に鞭打ってようやく庭から駆けてきた彼が、主を迎えるときと同様の『飛びつき挨拶』を何故か 千秋ではなく綾子に対して実行したのだ。 「きゃっ!」 飛び上がりざま猫に変化した彼を何とか抱きとめて、相手を認めた綾子は手放しに喜んだ。 「……ハリ?久しぶり〜vv」 歓迎の意を表して首にじゃれつく彼を、ぎゅむぅぅ、と抱きしめて窒息寸前に陥ったところへ、息を吹き返す間も 与えずに頬擦りを繰り返す。 「元気そうで安心したわぁ〜。あの主人につきあってたら精神をすり減らして病気になっちゃいそうだと 思ってたんだけど」 「な……」 目の前で繰り広げられる強烈な再会場面に、少年はぽかんとしたまま固まっている。 「はい、そこまで」 熱烈なじゃれあい(綾子の一方的な抱擁、とも言える)をやめさせたのは千秋だった。 綾子に両手で抱えられて頬擦りされている金色の猫にすいっと手を伸ばし、首ねっこを掴んで引き剥がす。 「あ〜!何すんのよっ」 つるつるの毛並みを楽しんでいた魔法使いが不満の声をあげたが、情報屋はまともに取り合わない。 「それ以上締めつけたらこいつ、内臓破裂して死んじまうだろうが。 少しは加減ってものを覚えろよ」 「何よぉ。あたしが力持ちだからあんたあたしを雇ってるんでしょ? 文句言わないでよ」 「今俺が言ってるのはこいつのことじゃねーか。俺様を襲う輩に手加減は無用だが、こいつを絞め殺してどうすんだよ」 「もうっ」 「……」 取り残された感の高耶とハリは顔を見合わせて、首を傾げた。 「なぁ、あれって直江の友達なのか? 全然タイプ違うんだけど」 ひそひそ、とハリに尋ねる高耶は首を傾げすぎて痛くなったらしい。 逆側へ傾げてはもう一方へ、という首の体操のような動作を繰り返している。 「主にも色々なタイプのお友達がいるんですよ。 でも、特にあのお二人は規格外の破天荒屋さんですね」 ハリは既に取っ組み合いでガタを起こしていた体を更に締めつけられ、毛をばりばり逆立てては戻してという 筋のアフターケアをしながらひそひそと答えた。 「ふぅん……」 やっと首が楽になったらしい高耶は、今度はこくりと前へ頭を倒して肯いている。 少しそのまま何かを思っている様子だったが、しばらくして二三度瞬きをすると、また、こてん、と右へ頭を傾けた。 「―――意外だ。とにかく、意外。直江にもこういう友達がなぁ……」 「主をどんなお人だと思っておいでだったんですか?」 琥珀色の瞳の奥から、猫の体の中でそこだけ肉食獣のままの瞳孔で相手を見つめて、ハリが問うた。 主の想い人は、うぅん、とくぐもった声を発して困ったような顔をしていたが、やがて視線をどこか遠くへ泳がせて 呟くように話しはじめた。 「何ていうかなぁ。あいつ、目が死んでたんだよ。初めて会ったときな。 他人と付き合うのをはなから遮断してる、と思った。 人当たりはいいよ。確かに、穏やかだし冷静だし。でも、あれは相手を見ていない応え方だった。 あしらってる、っていうのが一番ぴったりだ。つきあってなんかない。目が、視線が、かみ合ってないんだ。 人を信じるとか、心を許すとか、一緒にいて楽しいと感じることとかを知らない目だと思ってた。 たぶん友達とか、いないんじゃないかなって勝手に決めつけてたんだよ。 悪いことしたな……」 申し訳なさそうに首をすくめて小さく瞬いた彼を、 「うわ」 ふいに上から伸びてきた腕が背中から抱きすくめた。 「ひどい人ですねぇ……友達いない、なんて、随分なことを仰るものだ」 きゅっと首をすくめた高耶である。 「な、何だよ!直江、今日は新しい薬草の調合で忙しいって研究室に篭もってたんじゃないのか」 突然現れたこの邸の主に、本人に聞かれたくないことを喋っていた彼は立場が悪い。 反抗的な台詞にも、どこか後ろめたい弱さがつきまとい、それが相手に更なる余裕を与えていた。 「ええ、たった今までね。けれどあまりにも賑やかになったので、これは私が相手をしなければと思ったんですよ」 くす、と笑う直江の顎の下で、高耶は少し俯いた。 「何だよ……出てくるんなら出てくるって言えよ。今日は忙しくて相手をしていられないって言うから、ハリと 遊んでたのに。お客さんにも対応しなきゃって思ったのに」 さみしいよ…… 小さな呟きは音にはならなかったけれど、相手には届いている。 幼稚なまでにはしゃいでいたのが、淋しさの裏返しだったのだと気づいて、彼は胸が締めつけられるような痺れを 覚えた。すまない気持ちと息が詰まるほどの愛しさがもたらす、鋭い痛み。 「―――私がいなくて淋しかったですか? だからハリと取っ組み合いをしていたの?」 漆黒の髪に指を絡めて草を取り去っていた彼は、ゆっくりと相手を抱きしめた。 儚げな横顔を見せていた相手の頬に、ぱっと血がのぼる。 「誰がっ」 じたばたと暴れ出した妖精をしっかりすっぽりと腕の中に納めて、直江は体温の高い体を静かに感じていた。 どくんどくんと脈打つ血潮を直に聞く。 ゆっくりと、そのリズムが早くなる。 「はなせよ……っ」 声が震える。 自分の体にもあたたかいものが伝わってゆく。 このあたたかさが、私を人にしたんですよ…… 太陽を飲み込んででもいるような、この優しいあたたかさが…… 勝手に浸っている二人の後ろでは、情報屋が、大スクープ!とばかりに舌なめずりし、魔法使いが呆れ、そしてハリが 頭を抱えていた――― (14/03/02)