「高耶さん、しっかり!」
直江は震える体をきつく抱きしめ、何度も背を叩いた。高耶はガタガタ震えるばかりで反応がない。瞳はガラス球のように凍りつき、何も映していない。
「高耶さん……!」
直江はショック状態に陥っている高耶を、何度も揺さぶって正気に戻そうと試みた。
「高耶さん、お願いだから戻ってきて、高耶さん!」
何を言っても、何をしても、高耶の瞳は動かない。
やがて、凍りついた瞳から、音もなく涙が滴り落ちた。
「たかや、さん……」
人形のようになった体から、ただ涙だけが溢れ続ける。
その様子を見れば、彼の心がどれほどの負担を強いられたのかが明らかだった。
自分のせいで直江が傷ついたと思い込んで、自分を責めて責めて、記憶を取り戻してもそれを俺に告げることすら自分に許せなくて、俺と関わりあいになったことすら俺にとっては不幸だったと思って、何もかもを自分のせいだと、あなたは……
「俺のせいで……」
直江は腹の底から搾り出すような声で、呟いた。
「俺のせいで、あなたはこんなにも苦しんで……あんなに自分を傷つけて」
涙を流し続ける高耶の姿を見たとき、堰き止められていた直江の感情が堰を切って迸った。
抑えに抑えていた苦しみと悲しみと安堵と愛おしさが、彼の心を一気に解放する。
彼は高耶の体をきつく抱いて、嗚咽した。
「ああああっ……!」
どれほど堰き止められてきただろう。島で、白い背中を見送ってから、自分を覚えていない瞳に出会い、見知らぬ人間のように接してくるあなたを見て、そして自らを傷つけるあなたを見て、こんなになって涙だけを流し続けるあなたを目の前にするまで。
あなたの手を離してしまった自分への怒りも、あなたに忘れられた悲しみも、あなたの苦しみを目の当たりにして自分を呪いたくなったほどの思いも、すべてが今、溢れ出す。
「……かや……」
ぱたり、ぱたり、と高耶の顔に水滴が落ちる。直江の双眸から、熱い涙が高耶に注がれてゆく。
「……ぇ」
凍りついた瞳は、その熱い涙の粒に溶かされた。
「なおえ……?」
高耶の唇が動く。その漆黒の瞳が直江を映す。
そこに映ったのは、初めて見る直江の涙だった。
「なおえ……ッ!」
ぱたり、ぱたり。
正気に戻った人を言葉もなく凝視する瞳から、さらに幾つも熱い涙が滴り落ちてゆく。
「なおえ、なおえ……ッ!」
高耶は直江の首にかじりついた。
「たかや、さん……?」
直江は自分の首に両腕を回してしがみつく体を、奇跡を見る思いで凝視する。
「戻ってきてくれたの……?」
「なおえ……お願いだからオレを置いて行かないでくれ……!」
高耶はまた新たな涙を生みながら懸命に直江を抱きしめた。
「オレを一人にしないでくれ、頼む……傍にいて」
「高耶さん……」
「怖い……怖いんだ……眠ったらまた忘れるかもしれない……また、お前のいない世界にいるのかもしれない……怖い……怖い……っ」
高耶は直江の背にしがみつき、その胸に顔をうずめて、激しく訴えた。
「高耶さん……俺はどこへもいかない。あなたも二度と俺のいない世界へは行かない。大丈夫。俺はここにいます。もう二度とこの手を離さない」
直江は震える体に腕を回し、息が止まるほどきつく抱きしめた。自分の腕の中に愛しい人が戻ってきてくれたことを心から感謝して、その髪に涙を注ぐ。
「じゃあ、オレに証明してくれ……お前は確かにここにいるって、生きているって、オレに教えてくれよ……」
高耶はひくりひくりと喉を鳴らしながら、直江を見上げた。
濡れた瞳は今度こそ、目の前にいる愛しい相手を見つめている。触れて、その命を教えてほしいと瞳が語る。
「高耶さん、言って……俺が一番欲しい言葉を、言ってください」
直江は高耶の傷に障るとか、そんな余計なことは言わなかった。ただまっすぐに、相手の求めに答える言葉を返した。
「直江……直江、愛してる……愛してる……お前を愛することを許してほしい、こんなにもお前が愛しい……お願いだ、オレを愛して……!」
そして高耶はようやく心の底から、愛してるを返す。
二人はようやく互いを見つめ合った。
「高耶さん、ありがとう……あなたを愛することを俺に許してください、高耶さん……」
「お前の手で、唇で、体で、言葉で、全てでオレを愛してくれ、直江―――」
「あなたを愛することが俺にとって一番の幸せだということを、思い出してください。そして二度と忘れないで。いいえ、忘れてもまた思い出させてあげます。大丈夫……」
「うん……」
そして二人は、今度こそ溶けるほど熱いキスを貪りあった。
キスだけで全身が痺れてしまうほど相手が愛しいという気持ちを、二人は思い出す。
物理的な愛撫ではだめだ。欲しいと思う気持ちがあるからこそ、指先まで熱いもので満たされる。
欲しいと言われて、どんな風にされたいのかを素直に求められて、だからこそ愛しくもなれる。熱くなれる。
愛撫に喜んでくれるからこそ、愛したくなる。
「なおえ……なおえがいる……」
互いの命を最も深い場所で確かめ合ったとき、高耶は無垢な笑顔を見せた。
「あなたが俺を抱きしめてくれる……どんなに幸せかわかりますか」
「なおえがオレの中にいるのが、オレにとってはすごく幸せだよ……同じだな」
夢を怖がって泣くから、直江は消えない痕を残した。腫れるほど執拗に愛撫の痕を刻んだ。
全身に散らばる赤黒い筋模様。目覚めた高耶が一目で現実だと知れるように。一瞬でも不安になったりしないように。
涸れ果てるまで注ぎ込んで、ようやく満足する。
陵辱にも似た執拗さで愛した。
意識のない体にさえ、痕を散らす。獣が自分の証を残すのと同じ、独占欲の刻印。
この体は自分のものだ、と。
その魂も、自分のものだと。
もしも目覚めた高耶がすべてを忘れていても、思い出させる。
それが今、彼には最も必要なことだから。
過去を消された不安定な魂にはよりどころが必要だ。自分という恋人の存在を失って怯えた彼の心の傷を癒せるのは自分が側にあるということだけ。
思考が判定するよりも先に、感覚で思い出すように。
痕をつける。
愛という名の安楽をあなたにあげる―――
fin.
03/12/24
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