the call



Let me tell you the story     
about the call      
that changed my destiny...

















「……時間ですね」
 とうとう千秋は現れなかった。
 来るはずない、と言いながらも待っていた青年はどこか遠くを見るような眼指しで前方を見ていたが、直江の言葉にゆるゆるとうなずき、シートに深く掛け直してベルトをかけた。
 直江はおもむろにエンジンをかけ、滑らかに車は滑り出した。
 車内には沈黙が落ちている。
 直江はあえて慰めらしいことは言わず、黙ってハンドルを握り続けた。

 二人はそれぞれに思いながら、夜の街をひた走り続け、ついに海岸沿いに辿りついた。


 真っ暗な倉庫群の合間に時折、灯りのついた管理ビルが現れる。
 その中の一つに高耶は鋭い視線を向け、あれだ、と直江に告げた。
 直江はその建物の少し手前まで車を進めると、建物の灯りが届かないところで駐車措置を取った。

「行こう」
 青年がシートベルトのロックを外した。
 先ほどまでの悄然とした様子をすっかり払拭して、その瞳は前だけを見つめている。
 その切り替えを内心瞠目しながら見つめていた直江だったがやがて相手の肩がこわばっているのに気づいてすいと手を伸ばした。
 ふいに温かい掌を感じて、青年がびくりと隣を振り返る。
 そこには温かくて真摯な瞳があって、まともに視線が合った彼は心臓を跳ねさせた。

「不安なら私を信じて」

 直江は力強い声で、ゆっくりと噛んで含めるように言いきかせた。

「自分の技量を過信せず常に疑いと向上心を持つのはプロにとって不可欠なことでしょう。
 ただ、今はほんの一かけらの不安も命取りです。
 だから、自分を信じきることができないのなら、かわりに私を信じなさい。
 他には何も考えなくていいから。
 ―――いい?」

 この上なく傲慢なことを言いながら、その瞳はしかし恐ろしいまでに澄んでいた。
 そして、温かな、相手を包み込むような笑みがゆっくりと浮かんでくる。

 青年はこくりと肯いて、胸の吊るしに仕込んだ細刀の鞘を強く握り締めた。

 不思議だ……この男の傍にいると、落ち着く。
 最初だってそうだ。あんなに嵐みたいな荒れ狂った状態だったのに。
 こうして、穏やかな声を聞いていると、途端に心が静まってゆくのがわかる。
 不思議な男だ。
 妙に余裕があって落ち着いている。
 これまで見てきた行動から考えて、荒っぽい世界に生きているのは間違いがないのに、こんなにも澄んだ瞳をしていて……。
 優しくて温かい瞳だ。
 鳶色の、きれいな瞳。

 見つめていると、ふっと眇められた。

「……っ」
 わけもなくどきりとして、青年は目を逸らす。
 相手が声をたてずに笑うのが気配でわかったが、反論する気にもなれずに、彼はそっぽを向いたままでいた。

「では、そろそろ出ましょうか」
 やがて、直江の声が変わった。ぴしり、と針金でも通したような声音が青年を促す。

 周りは、いつのまにかすっかり囲まれていた。闇の中に、こちらを狙う無数の銃口が光る。
 お迎えのご登場というわけだった。

「ああ」
 視線を直江に戻したときには、青年の全てが、変化していた。
 纏う気配、眼光、身のこなし。
 これから狩りに出る獣のリーダーのよう。
 その変貌ぶりに微笑んで、直江も気配を変えた。
 こちらは一匹の狼のようだ。しなやかな体は無駄な動きなどとは無縁で、その瞳には金色の強い光が宿った。
 口元は楽しむようにほころんで、危険な匂いを漂わせている。

「私が先に出ます。ドアを開けるから待っていて」
 直江は、悠然とした動きでドアを開け、囲まれていることなど気づいてもいないかのように外へ降り立った。
 相手も、いきなり発砲してきたりはしない。
 様子を窺うように銃口をスライドさせる中をゆっくりと歩き、車の前を回って助手席の横に立つと、そこで軽く身をかがめて、どこかうやうやしい態度でドアを開けた。まるで主人を先導する運転手のように。

 そうして中から降り立った青年を見たとき、周囲の影が一斉に銃口を集中させた。

 青年はすっかりプロの顔になっている。
 闇の中でさえその輝きを失うことのない、漆黒の髪は、その一本一本にまで闘気を漲らせてでもいるかのように、ふわりとなびいた。
 何よりも強い力を持つのはその瞳。磨かれた石のようにつやつやとした黒い瞳が辺りを一瞥すると、声にならないどよめきが起こった。

「来い」
「ええ」
 短く言い交わした二人は、周りの男たちのことなど、ぴたりと自分たちを狙っている銃口のことなど、目にも入らないとでもいうような様子で、ゆっくりと歩き出した。
 先を行く青年の左側に一歩下がって、直江は続いていった。
 その前には、自然に道が開けてゆく。

 ―――触れてはならない。否、触れられない。

 不可触の気配を纏った二人組は、その張りつめた均衡を保ったまま建物の入り口までゆっくりと歩んでゆき、悠々と中へ進んだ。

「開崎に伝えろ。カゲトラが来たと」
 扉の両脇に並んでいた男たちに、顔を前に向けたまま声だけを投げると、青年はそこで足をとめた。
 軽く左右に走らせた視線が、おおよその人員配置を読み取る。先ほど車の中で直江がハックをかけて入手した見取りとほぼ同じようだ、と判断した。
 その一歩後ろで直江は内心楽しんでいた。
 目の前の青年の一挙手一投足に、すみずみにまで行きわたるプロの動きを見いだし、内心で瞠目する。彼を見ていると、本当に興味が尽きない。
 また、頭ではなく一歩下がって、補佐の位置から敵陣を見るときには、少し自由な目配りが可能だ。周囲の視線は頭である青年に集中しているから、こちらに対するマークはいくらか緩い。

 一見したところ、一階は広いだけのロビー風のようだった。
 備えているものはおそらく、機能室。建物全体の管理部が一階には集中していたはずだ。
 人質も頭も、二階の部屋にいるのだろう。

 直江は胸ポケットからおもむろに眼鏡を取り出して、耳に掛けた。
 アームを右の親指と人差し指で握って調節すると、レンズには肉眼とは違う光景が映る。電波で見る世界だ。
 あちらこちらの隅や天井に、赤外線反応がある。監視の『眼』もそこかしこに備えられ、油断なく四方を嘗め回していた。

                   、 、 、 、
(まあ、あれを黙らせるのは一発だが……問題は人間の方だな)

 内心でそう判断を下し、直江は瞬きをした。
 全部で何人詰めているのかは、先ほどハックした数字とそう変わらないはずだ。しかしその得物も不明なら、技量もグレイゾーンである。
 白と出るか黒と出るか、ある意味で博打だった。
 尤も、そういう危険に肉薄した状況でこそ、この身は燃えるのだが。
 病気と言うのなら、それもいい。自分はこういう男だ。
 橘に拾われた、あのときから。






02/07/16



ようやく敵さんのご登場。(名前だけね)
開崎さんね……「かいざき」で打っても出なくて登録する羽目になってしまいましたよ。
彼は一体何をやらかしてくれるのか。それは次回からのお話。

何はともあれ、ここまで読んでくださってありがとうございました。
ご感想などbbsにでも頂けると天に昇りますvv




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