豆腐屋本舗 お誕生日編



奥さん、夏は冷やしたお豆腐を食べましょう

(↑?)



 さて、その午後のこと。腕によりをかけて作り上げたスタミナ弁当を前に、少年は立ちはだかる問題に頭を悩ませていた。
 男のグラウンドポジション(現在位置)である。
 チャリで外回り中なのは確実だとして、一体彼は今どこにいるのだろうか。
 東川豆腐店に一歩足を踏み入れれば、そこは頑固親爺と掛け時計と黒電話が鎮座する懐かしき昭和の世界。そこの見習いである直江はもちろん携帯電話などという文明の利器を所持してはいないのだ。尤も、頭を悩ませている少年とて、そのような贅沢品を所持したことは一度も無いのだが。
 兎にも角にも、只今チャリで松本市一帯を豆腐販売行脚の真っ最中の見習い職人の現在位置を知る術が彼にはないというわけである。

(いまどき、豆腐配達用ママチャリにだってGPS付いててもいいと思う)

 いやいまどきでもそれは無いから。
 少年の内心の台詞に思わずツッコミを入れたくなるのは置いておいて、彼はそんな見当違いの台詞を吐くくらいには困っていた。

「折角作ったのになあ。今日中に渡さないと傷んじまうし。この暑さじゃ」

 少年は弁当箱の蓋をそっと開けて、中の様子を窺った。
 いい具合に焼けた肉を大葉(ベランダにて自家栽培)で包み、それをご飯で巻いたロールおにぎりは、誰が見てもおいしそうだ。夏バテで食欲の落ちたお姉さんたちもついつまんでしまいそうになるくらい魅力的なオーラを放っている。このうまそうな肉がスーパーの特売のさらに『見切り品50円引き!』だとは誰も思うまい。

「そういえば美弥のやつ、遅いな」

 弁当箱の蓋をまた閉めて、ふと部屋の静けさに少年は首を巡らせた。
 彼がスーパーから戻ってくるのと入れ違うようにして、彼の妹は出かけて行ったのだ。友達と約束があるのだと言っていたが、そう長くかかるという口ぶりではなかったのに。

「まさか今度こそ、かっ、かかか彼氏ができ……っ」

 想像して青ざめた少年が畳の上に仁王立ちになったとき、

「ただいま〜」

 至って陽気な声と共に、当の妹がドアを開けた。
 少年がほっとしたのもつかの間、彼女の手には男物の鞄があるではないか。

「みみみ美弥っ!おまえ今度こそ……」

 兄がまたもロボットのようにカタカタと顎を上下させるのを、やはり妹は遮った。

「どうぞ、上がってくださいねー。相変わらずのリカちゃんハウスですけど。ついでにクーラーも無いので扇風機の風で我慢してもらわないといけないんですけど」

 古びた金属製の扉を押さえて訪問者を中へ導いてやる妹の向こうからぬっと現れたのは、リボンのかかった白くて四角い箱―――と薔薇の花束とを両手に捧げ持った超絶イイ男―――だった。

「な」

 目を見開いた少年の前には、汗みずくの作務衣姿で働いているはずの豆腐屋見習い、ではなく、明るい色の上下に身を包み、ピンクの薔薇の花束とケーキの箱を携えてにっこりと微笑みかけてくる、映画から抜け出してきた俳優さながらの色男がいた。

「な」

 額に汗して働く姿も最高だが、こんな風にビシッときめて最高級の微笑みをたたえた男は、言葉を忘れるほどの男っぷりである。
 リビング兼ダイニング兼客間兼兄の寝室であるところの六畳間の真ん中に申し訳程度に置いてある、小さな丸い古ぼけたちゃぶ台にケーキの箱を置いた男が、

「こんばんは。お邪魔します。高耶さん」

と、ただでさえ狭い六畳間に、まるで二本の巨木の如く少年と向き合って、さらに甘く微笑みかけた。

「なおえ……っ !?  なんで……」

 この空間には全く場違いとしか言いようのない甘い王子様マスクと、その背後で何やら大きなバッグを持ち出してごそごそしている妹とを交互に見やりながら、少年は混乱の極みに達している。

「友達ネットワークでつかまえたんだよ。ちょうど豆腐も売り切れたとこで、東川のおじいちゃんにも了解取ってあるから」

 そういえばスーパーに出かける前も電話が鳴りっぱなしだったような。こいつの友達ネットワークってすげーな。市内全域を網羅してんのか。
と頷いた少年をよそに、

「というわけで、後はよろしくお願いします。直江さん♪」

 妹はそんな捨て台詞を投げ、大きなバッグを肩に引っ掛けて素早く扉の向こうへと消えて行った。

「は?おい、どこ行くんだよ、美弥!」
「お友達とパジャマパーティ、だそうです」

 慌てて妹を追いかけようとする兄を、甘い香りさえ漂わせた正装の男が抱きとめる。
 うわ、とその広い胸に頬をうずめる格好になった少年は瞬時に耳まで赤くなり、その透けるような紅に唇を寄せて、男は囁いた。

「お誕生日、おめでとうございます」

「えっ?」

 予想していなかった台詞に、少年が跳ねるようにして顔を仰のかせると、そこにははちみつ色にとろけた瞳が微笑んでいる。

「先ほど美弥さんから教えていただいたばかりので、こんなものしか用意できなかったんですが」

 少年の背中に回していた手をずらし、ピンク色の薔薇を束ねた花束を差し出す。目を見開いてそれを受け取った少年がそうっと顔を寄せると、優しい香りが鼻をくすぐった。

「二十歳ですね。おめでとう」

 見れば、薔薇はどうやら二十本あるようだ。なめらかな花弁はクリームにほんの僅か紅を落としたような淡いピンク色をしている。

「て、これオレに?」
「もちろんです。それ以外の何だと思うんですか?」
「オレ男だぞ?花なんか貰うの初めてだし……びっくりした」

 少年は頬を薔薇と同じ色に上気させて、少し俯き加減になった。

「じゃあこれが最初で、これからも私が贈り続けていいですか?」
「えっ?」

 少年は再び顔を上げる。そこにはやはり、とろけるほどに甘い瞳が待っていた。

「毎年こうしてあなたに贈っても構いませんか?」

 花束を互いの体の間に挟んで緩く抱き合っている体勢に気づき、少年の頬はさらに赤くなる。ただでさえ正視し難い美形なのに、こんな近くで見つめられたら、口から心臓が飛び出しそうだ。
 この美貌からほんの僅かに視線を動かせば、見慣れた古いアパートの壁紙があるのに、男の茶色の瞳を見つめると、別世界にいるみたいな気がする。吸い込まれそうな綺麗な目だな……と少年がうっとりしていると、その瞳が近付いてきた。
 ひんやりした男の手のひらが、少年の頬をそうっと包む。その手を引き寄せるようにして顔が近付いていく。
 客間兼リビング兼食堂兼寝室であるところの六畳間に林立した影がまさに一つになろうとしたその時……

「ごめんお兄ちゃん!忘れ物し」

 ドカッ、とスチール扉が蹴り開けられ、走ってきたらしい妹が上半身を飛び込ませた。
 兄とその初恋のお相手の体の間から花束がばさりと落下する。
 思わぬシーンに驚いた彼女は足を止めてしまったため、前方に傾いでいた上半身が泳いで、一拍おいてガタンとその場に崩れ落ちた。





08/08/04
美弥ちゃん大不覚!の巻。
この十日ほど、学会とその前後でばたばたしていたので、中編upがすっかり遅くなってしまいました。申し訳ありません。。
そしてお誕生日企画ページの背景をようやくケーキ画像にリニューアル。これ、写真で見るとそうでもないですが、実物は通常の倍はある巨大ケーキなのです。(お値段も二倍ですが)
いちご、メロン、パイナップル、キウイなど、フルーツたっぷりで美味しかったですv この幸せを活力に続きを書きますv


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Happy birthday, TAKAYA !!

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