豆腐屋本舗 白い恋人たち編



奥さん、クリスマスにもおいしいお豆腐を食べましょう

(↑?)



 松本市の山手にある団地に、今年もクリスマスがやってきます。
 それは勿論、去年と変わらずお師匠様にしごかれ続ける毎日を送っている脱サラ豆腐屋見習い男にも。
 ワケあって両親無しの子子家庭を、今年も生き抜いている、たくましくも健気な兄妹たちにも。
 今年はちょっと生ぬるめの北風と共に、クリスマスは訪れるのです。

 さて、世にも反則な超絶イイ男のチャリ豆腐屋と、時代も違う神田川な生活を健気に生きる兄妹との物語。もうちょっと進歩するらしい二度目のクリスマス編、
 これより開幕いたします〜






         ☆ ★ ☆ ★ ☆ ★ ☆ ★ ☆





 ―――男はこの上なく愛しいものを見る眼差しで、そこを見ていた。


 手の中にある、恋人の白い柔肌を、そっと撫でる。

 柔らかい肌を傷つけぬよう、そっと、指先を滑らせる。

 すると相手は恥じらうように震え、いっそう艶を増す。

 その様子がやはり愛しさを募らせ、男はいつまでもそうして愛撫し続けた―――。


 た―――……が―――



「……何をしとる。崩れんうちにさっさと入れんか!」

 このたわけ!と、何だか懐かしいような怒号と共に、手の中にあった白い恋人を突付き回しながらため息をつき続けていた男は、後頭部を張り倒された。

「はっ」

 手のひらに包んでぷるぷる揺らしていた白い直方体を危うく握りつぶしそうになって、男は慌てた。

「も、申し訳ありません!」

 いじり回していた愛しい『恋人』を水槽の中へそうっと戻してやりながら、自分もそこへ突っ込みそうな勢いで頭を下げた男は、ようやく現実世界に戻ってきた。
 そう、ここは彼の神聖なる修行の場―――もとい、豆腐屋の奥である。身を切るような冷たい冬の空気の中、蒸し器が激しく水蒸気を噴出して、部屋中にもうもうと白い霧が立ち込めている。
 男は既に固め終わった豆腐を型から外して、束の間の母胎である静かな水槽へと移してやる作業の真っ最中だった。ところが、蒸し終わった大豆をさらしで漉す作業に忙しい師匠が三度も同じ工程を繰り返しながら横目で窺っていた間に、脱サラしてまで豆腐屋に弟子入りして修行中の豆腐フリークの男は、たった二組の型しかこなしていなかったのである。
 見れば、一つ一つを型から外して水槽へ移す途中で、どう見ても豆腐を相手にしているとは思えない眼差しを注ぎ、あまつさえ指で突付き回しては、ぷるぷる揺らしてその様を見つめ、ため息をついている。
 もともと豆腐に過剰な愛情を持って接してきた弟子ではあったが、ちょっと今日の様子は度を越していた。

(一体何に見えているのやら……)

 白い作務衣に身を包んで、冷え切った石床の上での作業に勤しみつつ、どこか遠い世界へトリップしているらしい、一見したところでは鋭敏でありながら人当たりの良い若き実業家にしか見えない容貌の持ち主を視界の隅で見守りながら、彼の魂の師匠であるところの東川豆腐店十四代目の老人は、内心深いため息をついていたのだった。


 さて、師匠にどやされてようやく現実世界に戻ってきた弟子は、今度こそ普段どおりの愛情を以て豆腐たちを水槽へと移し始めたが、目と手は可愛い子どもたちを大切に扱いながらも頭の中は全く別のことを考えていた。

(……ああ、俺も相当ヤキがまわったな……)

 これまでは『可愛い子どもたち』だった豆腐が、最近では最愛の人に見えてしまうのである。
 よく似ているのだ。白い柔肌といい、艶やかな表面といい、触れると恥じらうところといい。

(そう見えてしまう俺がおかしいのはわかっているのだが)

 一度そう思ってしまうと、取り付かれたも同然で、豆腐に触れるたびに愛しい人の面影を重ねてしまうのだ。
 その人の肌が豆腐になぞらえられるほど白いかどうかは、顔や腕を見る限りでそう見えるというだけで、実際背中や腹も白いかどうかなど知らない。見たことがあるわけではないからだ。
 触れると恥じらうのかどうかも、実際に知るわけではない。触れたことがあるのは手のひらと、ほんの二度だけ、頬をつついたことがあるだけなのだ。
 平たく言えば、豆腐を見つめる男の想像はあくまで片思いの相手を想う想像、もとい、妄想であって、実際にはその愛しい人と何らの進展を持たないのだった。
 これは、彼のこれまでの人生では、大変珍しい状況だった。
 彼は惚れ込んだら一直線という人間で、さすがに単刀直入にとまではいえないが、少なくとも相手に好意を伝えることに二の足を踏んだりはしない。そのうえ彼という人間は、多少変わっているところはあれども、容貌よし経済力よし、さらに長男ではなく三男坊という傍目には非常にお買い得な物件であるので、口説かれた女性も悪い気はしない。即座に彼に頷き返してきた。
 そんなスマートな恋愛を数多くこなしてきた彼が一番最近ラブアタックしたのは、三年半ほど前のこと。仕事がうまくいかないことにうらぶれて当て所無く歩き続け、半分行き倒れになっていたとき、救いの手を差し伸べた東川豆腐店の豆腐に命を救われ、その味に惚れ込んで脱サラのうえ弟子入りしたのである。以来、男は一途に豆腐を愛し続けてきた。豆腐づくりに精を出し、外回りのチャリ行商で団地を巡っては奥様連中のハートを総なめにし、その熱情を豆腐の購入意欲へと導いて、日本国における豆腐普及率の向上に、小さな町の片隅からひっそりと、しかし熱烈に、貢献してきた彼である。
 その彼は、ほぼ三年前から、豆腐と同じくらいに―――否、豆腐以上かもしれないほどに―――ある人に恋している。その身にまとう白い作務衣に火がつかないのが不思議なほど、熱烈な恋の炎が身の内で燃えさかっている。
 さて、これほど好きな相手に対して、決して前に進むことをおそれないはずの彼が、なぜ三年も気持ちを伝えぬまま指をくわえているのか。
 たとえば相手がまだ少女と呼べる年齢であるから?
 それは確かに一つの正解である。三年前、彼の想い人はようやく高校生になったばかりだった。 彼との年齢差は実に十一歳という開きがある。いくらなんでも、そんな相手にちょっかいを出したら犯罪である。
 しかしながら、問題はそこではなかった。年齢だけが問題なら、想いを伝えてから成長を待つという穏便な手段がある。互いを想い合うだけならば、相手が未成年でも犯罪にはなるまい。
 彼がそれすらもできずに、ただ『お豆腐屋さん』と『お客さん』の関係で居続けているのは、もう一つ、無視できない事情があるからだ。
 相手が未成年であるだけなら、ちょっと眉をひそめられるだけのことだろう。
 しかし。
 彼の想い人は、『少女』ではない。それなら何なのかというと……


「こ、こんにちは……ていうか、おはようゴザイマス」

 と、そのとき。
 遠慮がちに曇りガラスの引き戸を引いて、一人の少年が顔を覗かせた。
 まだ男性らしい固さよりは細長いという印象が強い彼は、近所の団地に暮らす大学一年生である。この東川豆腐店の豆腐のファンの一人で―――というよりもむしろ、外回りをする男のファンの一人だ。
 さて、引き戸の影から現れた顔に驚いたのは男である。豆腐屋の弟子としてはあるまじきことながら、危うく移動途中の豆腐を床に落っことすところだった。

「高耶さん !? どうしたんですか、こんなに朝早くから」
「たわけ!弟子の分際で作業を中断するでない!」

 辛うじて落っことしはしなかったものの、少し形が歪になった豆腐を水槽に沈め、男は突然の訪問者に歩み寄ろうとしたが、お師匠の容赦ないドツキの前にあえなく敗れ去り、再び水槽に張り付くことになった。その、お預けを喰らった犬のようなしょんぼりとした背中、水槽に片手を掛けて少年を窺う様子は、彼を熱烈にご贔屓している奥様連中には到底見せられたものではない。

「不肖の弟子ではないが、こんな時間にどうしたんだね。外はまだ真っ暗じゃろ」
「あ、はい。お仕事中にお邪魔してすいません。早く目が覚めたんで散歩してたら、あの窓から湯気が出てるのが見えて。あ、でも、すぐ帰ります。お邪魔しました」

 未練がましく視線を送ってくる弟子をしっしと追い払う動作をしながら、豆腐屋の主人は顧客の一人である少年に向き直った。少年はこの寒い中だというのになぜか頬を赤くして早口に事情を説明したが、すぐに辞去しようとするのを老豆腐屋は許さなかった。

「いや待て。すっかり冷えとるじゃないか。上がって茶でも飲んでいけ。仕事のことは気にせんでもいい。修行中の弟子がやっとるから」

 ますます恨みがましくなった弟子の視線を敢えて無視し、孫ともいうべき年齢のお得意さんを上がりかまちに誘った師匠だった。

後編 中編


04/12/21
豆腐屋直江さんのクリスマス、二年連続。
クリスマス企画をするかどうか決めていなかった頃に、リクエストしてくださった方がいらっしゃって嬉しかったですvv
久々の豆腐屋直江さんはいかがでしたでしょうか?今回は別名『お師匠登場編』だったりします(笑)
前後編で収まるよう、頑張ります〜。

ご感想をformにでも頂けたら嬉しいです。もしくはWEB拍手をぷちっと……


何故だか今年も、クリスマス企画に登場。

bg image by : WM / midi by : TAM music factory