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「これ、おまえなんだろう?葬式の途中でお袋が姿を消して皆が騒ぎ始めたところでお袋を連れてきた男って、おまえだったんだろ。そういえばこんなことがあった、って叔父さんが覚えてたぜ」
出棺の様子を収めた一枚の写真の中。
血の気の失せた顔に唇をきっと引き絞った母の隣で、周りのものすべてに戦いを挑んでいるような強い瞳をした美少年。
そっくり同じ顔をした男は、一つ瞬いて口火を切った。
「……あの日は……新聞記事に先生の旦那さんの名前を見つけて慌てて飛んできたんです。取るものも取りあえず、ただ有り金だけをポケットに突っ込んで」
父親は事故死だった。出張先から帰る途中の高速道路で玉突き事故に巻き込まれたのだ。車両四台が絡む大きな事故だったから新聞にも記事が載ったらしい。
男は当時を思い出すように遠くを見ていた。この男はどんな思いだったのだろう。母が結婚していたことは知っていたのだろうが、その相手がこれほど早くに死んでしまったと知って、彼は母を迎えに行こうとしたのか。
「お袋は……葬式を抜け出してどうするつもりだったんだ?おまえとどこかへ行くつもりだったのか」
まともに目を見る勇気はとてもない。膝の上の古いアルバムに視線を落として、半ば呟くように問うと、男は気配を変えた。その瞳が今はこちらをまっすぐに向いていることが痛いほど感じられる。
「いいえ。先生は俺が姿を現すだなんて夢にも思っていませんでしたよ。俺だって、自分が何をしたくてそこへ行ったのかわかってはいませんでした。
けれど、あなたのお父さんの親族はまだ葬式の最中だというのに、やれ保険金の分配はどうしろだの、遺産の相続権を寄越せだの、他人の俺でも耳を塞ぎたくなるような遣り取りを先生にまくしたてていました。先生はそれでなくても悲しみで頭が一杯なのに、そんなときにこんな醜い話ばかり聞かされて、たまらなくなったんでしょう。途中で控え室へ抜け出したんです。そのとき、俺が声を掛けました」
当時のやるせない気持ちが甦ってきたのか、声尻を僅かに震えさせながら、男は語り続ける。きっと綺麗な弧を描いた両眉を寄せて、縦に皺を刻んでいるのだろう。
「それで?」
「外へ出て、黙って桜を見上げていました。誤解のないように言っておきますが、先生は夫の喪を穢すようなことは一切しませんでしたよ。
しばらく桜を見たあと、先生は俺に、大きくなったわねと言って少しだけ笑いました。転校して以来、初めて会ったわけですから、積もる話もあって、ぽつりぽつりとあれからのことを話しました。それで、随分経ってから、ふと先生が言ったんです。あんなところに戻りたくない、と。
だから俺は先生の手を掴んで立ち上がった。二人でどこかへ行こうと言って」
視界に入っている男の拳が強く握り締められて震えている。
それは当時の激情なのか、それとも今感じているものだろうか。勇気を出してちらりと視線を上げてみると、想像通り、男は眦に強く力を入れてどこか遠くを睨みつけていた。
事情を知らない女が見たらいっぺんに恋に落ちそうな風情だが、生憎と今はそんな軽口を叩ける状況ではない。
「十年も前のことです。俺はまだ高校生でしかなかった。どこかへ行くと言ったって、何の当てもなければ、生活力もない。ポケットに入っている多少の金だけが持ち物でした。それでも、あんなところへ先生が戻ってゆくのかと思うと、許せなかった。先生の返事も待たずに駆け出しました。」
ぎりっと歯噛みする様子は、先ほどまでの優しい犬のような雰囲気とは全く違う。
それほどまでに、普段決して表に出てこない激しいものが溢れ出すほどに、男にとって特別なものなのだ。母との記憶は。
誰にも触れられたくない場所に強引に踏み込んでしまった、と唇を噛んだが、男はやはり自分などよりずっと大人だった。
激しかった感情の発露はすぐに引き、彼は僅かに笑みさえ唇の端へ浮かべたのだ。
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