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「お待たせしました。このくらい食べられますか?」
男は湯気の立ち上る土鍋と茶碗、陶器のスプーンを盆に載せて戻ってきた。茶碗に半分と少し、つやつや光る粥がよそわれる。ところどころ見える緑色のはほうれん草だろうか。黄色は玉子だな。
いい香りを立てるそれを目にしたら、不思議と食欲が湧いた。
「さあどうぞ。熱いですから気をつけて。」
意外にも料理上手らしい男は、美しい顔に爽やかな笑みを浮かべて茶碗を差し出した。
何か食品のCMみたいだ。
「……いただきます」
美しすぎる笑顔を見ていられなかくて、早速茶碗に向かった。
香りからも想像がついたが、男の作った粥は驚くほど旨かった。熱を出したら食欲なんてそうそう湧くものではないのに、茶碗に一杯分しっかり平らげてしまった。
黙々とスプーンを口に運ぶ相手を男は笑みを浮かべたまま見守っている。
さらにふと気づいたら緑茶の入った湯呑みが差し出され、茶碗と引き換えに受け取っていた。病院でもらってきた薬の包みも。
「食欲が出るか心配でしたが、食べてもらえて良かった。あとはそれを飲んでもう少し寝ましょう。」
「ご……ご馳走になりました。旨かった。」
素っ気ないけど何とか礼を言えた。
すると男は一瞬目を見張って、そしてとろけるように笑んだ。優しい犬の茶色い瞳が蜂蜜色に溶けたように見えた。
こんなふうに笑うんだ。あの寂しげな微笑みとは全く違う、晴れた日のような明るい笑顔。
生徒に人気があるのが何故なのか、よくわかった。顔だけの男なら軽蔑もできるが、今日のことだけでもその性格の良さがわかる。他の生徒にもそれがわかるから好かれるのだろう。
この男が一体母とどういう関係にあるのかはまだわからないし、接点など無さそうにも思える。
だが、この男が母によく似た自分を見て母の名を呼んだのは事実だ。
母が意味深な言葉を呟いた場所で号泣していたことも。
思い出すとまた体が強張った。この男が決して悪い人間でないことはわかるが、母との関係を想像すると平静ではいられない。それがずっと昔の話なのだろうとは思えても。
黙り込んだ相手に何を感じたのか、男は僅かに肩を落としたらしかった。視界の中に入っているからよくわかる。彼はまたあの寂しい顔をしているのであろうことも。
別に奴を傷つけたいわけじゃない。気に入らないわけじゃない。でも、湧き上がる疑問を明らかにしない限り、自分はこの男に身構えてしまうだろう。結果として男は傷つく。
そもそもこの男はいつまでここにいるつもりなのだろう。普通、生徒を自宅に送り届けたら教師の役目はそこまでだ。もっともうちには保護者がいないから、布団に入れるまではやってくれるかもしれない。だが、六時間も付きっきりで氷枕の面倒を看てくれるわけがない。まして手づからお粥を作るなんてあるはずがない。
このまま泊まり込みで面倒看てでもくれるつもりなのだろうか。
まさか。
「ね、薬を飲んでもう少し寝ましょう。まだ熱があります。」
男はやがて、先ほどと同じことを言った。顔を上げると、僅かに眇められた瞳が真剣にこちらを覗きこんでいる。
「……寝てる間に帰るのか?」
何故そんなことを言ってしまったのかわからない。
男は困惑したように瞳をざわつかせて二三度瞬いた。意図を測りかねている。
「後で訊きたいことがある。だから」
男はすぐに思い当たったらしい。頬の辺りを僅かに強張らせて、頷いた。
「……では、あなたが起きるまでもう少しここに居させていただきます。」
追及を覚悟した表情だ。
でも彼は気づいていない。それが理由で引き留めているわけじゃない。おそらくそれが一番効果的な言い方だと思ったから。
ただ、目覚めるとき誰かに傍にいてほしかった。本当のところ、理由なんてそれだけだった。
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