第二章 発熱



 不可解な男という不安要素を含んでスタートした高校生活は、譲という親友のお陰で、予想していたよりもずっと楽に滑り出していた。
 柔和な顔つきと人なつこい性格とで、親友はどんどん友達の輪を広げている。口べたな自分も、それに便乗しているうちにいつの間にか知り合いが増えて、気がつけばクラスの大半と言葉を交わすまでになっていた。
 このクラスは四十人学級で、男子生徒が二十二人、女子生徒が十八人の内訳だ。がり勉人間の集団かと思っていたが、実際打ち解けてみれば意外にバラエティに富んだ人材が揃っている。一番ユニークなのは、勉強道具以外のいわゆる『不要物』の持込にあまりうるさくない校則をいいことに、常にカメラを持ち歩いて、ことあるごとにシャッターを切っている男子生徒。彼はなぜか自分を気に入ったらしい。彼が名前を呼ぶときには不用意に振り返ってはいけないのだと、この一週間で思い知らされた。


 担任教師はまだ三十代の前半くらいに見える女性で、背は高く頭は小さく手足はすんなりと長い、鄙にはめずらしい美人だった。本人の雑談によれば、インドへ旅行した際には大変もてるそうだ。日本にいても充分もてるだろうと思うのだけれど。彼女は彫りの深い顔立ちで、ブロンズのような光沢を連想させるなめらかな肌をしている。
 ―――そう、あの男も似たような系統の顔立ちだ。彫刻のような彫りの深い顔立ちに、きれいな長い睫毛。自分や母のような純日本的日本人とは全く異なるオリエンタルな体つきをした彼は、担任の彼女と好対照で、女生徒の視線を集めている。

 彼は美術の教師で、机上の勉強以外にはあまり熱を入れない生徒たちに囲まれて些か苦労している。まともに絵筆を取ったこともない子どもにいきなり油絵を描かせようという教育課程に問題があると思うのだが、しなければならないことは仕方ない。
 校内の好きな場所を選んでスケッチするようにと言い渡して、ちりぢりになった生徒の後ろ姿にため息をついているだろうと思いきや―――いつの間にか外へ出てスケッチ中の生徒に声をかけている。選んだ場所のユニークさを褒めてみたり、ちょっとしたアドバイスを与えたり、時には世間話に興じることもある。
 それは懐柔しようというのではなく、取り敢えず楽しく絵を描いてもらおうと努めているらしい。キャンバスに向かう美術の授業が苦痛な時間にさえなっていなければいいのだ―――と、そんな姿勢に見えた。
 彼は一見冷たいように見える整った顔立ちをしているが、笑うとふわりと柔らかくなって人好きのする顔になる。その微笑みによって、彼は生徒と教師との間にある透明な硝子の壁を、ゆるく編まれたレースの隔たり程度に和らげるようだ。生徒と教師の馴れ合いは醜いが、媚びにならない緩やかさならば好ましい。
 自分は美術クラスではないから、直接に顔を合わせる機会はなかったし、あったら困っただろうが、現在の座席が窓際のため、授業中に窓の外へ目をやると、スケッチ中の美術クラスの生徒たちやそこにまざっている教師の姿がよく見える。そうやって観察を続けているうちに、彼に対する不信感はさほどひどくなくなった。むろん、母との関わりについて問うことは怖かったし、姿を見つけるたびにどきっとすることに変わりはないのだが、彼自身の人となりに関しては気に入っている。


 どうにも好きになれない世界史の授業中、こうやって窓から下を眺めながら、美術クラスの生徒に教える彼を探している。目に入る彼をぼんやりと見つめ、頭の中では様々な角度から分析している。
 彼は母とどういう関係にあったのか。
 教諭としての母と関わりのあった相手なのか、それとも、個人的に何かつながりがあったのだろうか。

 少し前に、小学校教諭だった母の形見一式を引っぱり出して見た。毎年の春に撮影されるクラス写真や名簿など、彼女が担当した子どもたちの思い出がたくさん残されていたにもかかわらず、そこにはあの桜の男の名は見つからなかった。それらしい顔の子どもも。
 やはり恩師と教え子の関係ではないのか。
 だとすれば、一体……



05.09.06

(前ページで続きは八月半ばにと宣言していたのですが、夏ページにかまけていて遅くなってしまいました。ようやくUpです。)
考え込む高耶さんでした。

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(image by 新-arata- / midi by Blue Piano Man