第七章 宝石
「それって……お年頃ってやつじゃん?高耶も大人になろうとしてるんだ〜」
少年の親友はにんまりと猫みたいに笑って、相手の額を小突いた。
自分から話したくせに、少年が返事に窮すると、
「そんな深刻にならなくてもさ。ヘンなことでも何でもないんだし。好きな人同士、素直になれば?」
彼の親友はあっけらかんとその戸惑いを一蹴した。
その軽快な台詞の裏で彼は、今度こそ本物の『恋煩い』だと安堵している。
いつかのような萎れ果てた姿とは異なり、ここのところの親友の言動は実に健康的なものだ。
「って言ってもな……相手が相手だし」
他人ほど表情の変化に富むタイプではないので傍目にはわかりづらいが、この親友が内心で真っ赤になっていることは見て取れる。
「歳の差?却って好都合だろ?相手に任せてりゃいいじゃん」
年上だという情報しかもらってはいないが、確かにこの親友には年上の相手が似合いだと思う。ご本人は、自分より弱い者は守るのがモットーな長男体質だが、彼自身を守る者が彼には必要だと思うから。
「そうかもしれねーけど……」
戸惑い気味の相手を、可愛い顔して中身はしっかりしている親友は、『ファイト!』と背を叩いて激励した。
「譲のやつ、ひらけてるよなあ……」
親友と別れた帰路に、少年は呟いた。まさかGOサインを出してくるとは。
それにしても、十一も年上で、男で、学校では教師と生徒の間柄……とは、親友の想像の範疇を超えているだろう。
たぶん自分がわきまえればいいのだ。あれはあくまで犬だと。少なくとも卒業するまでは。
自分がギクシャクしなければ、ヤツは無理を仕掛けはしないだろう。ああ言ってはいたが、ちゃんと大人だ。たぶん自分を抑えて接してくるだろう。
要は自分がいちいち反応しなければいいのだ。
……それが難しいのだけれど。
「おかえりなさい」
帰りの道々考えにふけっていた少年が自宅の玄関を開けると、そこには思考の中心である相手が両手鍋を捧げ持って待っていた。
「……? なんでそんなの持ってんだ」
不可解な出迎えスタイルに少年が顔面を疑問符だらけにすると、相手はくしゃりと笑って、
「ちょうどこれをテーブルに持っていこうとしていたら、あなたの足音が聞こえたので」
と鍋を持ち上げた。香ばしい匂いが立ち上るそれは、
「シチュー?」
「ええ。些か暑苦しいですが、夏バテ防止に」
ふーん、と鍋を覗き込んだ少年は、トマトソースの海の中に浮かぶ揚げナスを見つけて目を輝かせた。
「やった」
「たくさん入れましたから、好きなだけ食べてくださいね」
無意識に片手でガッツポーズを取る仕草が可愛くてたまらないと目を細め、男はリビングへと足を進めた。匂いにつられるように後をついてくる少年がやっぱり可愛くてたまらないと、男は首をすくめている。
「もうすぐ誕生日ですね。学校も休みに入っている頃だから、どこか出掛けましょうか」
少年が最後に取っておいた好物の揚げナスを嬉しそうに口へ運ぶのを目を細めて見守った男は、自分もスープ皿に残っていたニンジンを掬い上げて咀嚼してから、おもむろに切り出した。
「連れてってくれるのか?だったら温泉行こうぜ!いいとこ知ってるんだろ?」
麦茶をごくりと飲み干した少年は目を輝かせて、僅かに身を乗り出した。
「いいですね。夏の暑い盛りに温泉というのも」
空になったグラスに茶を追加してやりながら、男は頷いて、頭の中で候補地をめまぐるしく選定し始めた。
「だろ?風邪ひく心配もないし。じゃあ決まりな。
―――あ、宿は普通のランクにしろよ?オレが払えるとこな」
男のうきうきした様子を見て釘を刺した少年に、
「それじゃあお祝いの意味がないでしょう?費用は俺が持ちます。社会人なんだから当然ですよ」
相手はぱちくりと瞬いて、きっぱりと首を振った。一見優男で末っ子体質のこの男は、実は年長者に鍛えられて育ってきた常識人でもある。一回り近くも年下の相手と旅行するのに費用を半々にするつもりは、彼には毛頭無かった。
少年は子ども扱いされたことにご不満な様子で、ちょっと唇を尖らせている。
「オレはお袋が残してくれた金をきっちり計画して貯めてんだよ。年に一回ぐらい旅行したっていいだろ」
「それでもです。俺だって恋人と旅行するぐらいの費用は計画的貯金とは別に取ってありますよ。あなたは来てくれるだけでいいんです」
男の恋人発言に、少年は返す言葉を忘れたようである。二人の間でその言葉を口にしたのはこれが初めてだった。
かあっと顔に血を上らせた少年は、男の申し出に反論する勢いを無くしたようだ。
「じゃあ、そういうことでいいですね?」
男は少年の初々しい反応に目尻が緩むのを抑えきれず、にっこりと笑いかけてその頭をポンポンと叩いた。
手放しで愛しいという気持ちを溢れさせる男に、少年はますます赤くなっていく。
いつもはただの可愛い犬なのに、こんな笑みはどうにも色っぽくて、その濃厚な香りに噎せてしまいそうだ。どうしよう。困る。間近に見つめられてにっこり笑いかけられたら、思わずふらふらと引き寄せられてしまいそうだ。
……こんなふうに。
少年は目の前にある端正な笑顔にゆらりと近づいて、笑みの形になっている唇に自分の唇を押し当てた。
相手があまりにも愛しそうに自分を見つめるから、その表情がどうしようもなく可愛いと思ってしまったから、チューしたくなった。どう考えてもそれを待っているとしか思えない間合いだったから。
どんな反応が返ってくるかは想像できなかったけれど。
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