後になって考えると、あれはそういう衝動をこらえていたのではないか。体を離したときの少し疲れたような表情はそういう意味だったのではないだろうか。
だとしたら、悪いことをしてしまった。意図的にではないにしろ、煽っておいて放置したことになる。
いや、それ以前にヤツは本当にそういう意味で自分を好きなのだとわかったことによる衝撃が半端じゃなく落ち着かない。
どうしよう。いやじゃないけど、困る。反応の仕方がわからないから困る。
タイミングを過ごしてしまったから今更何か言ってみるというのも難しいし、完全に以前と同じ暮らしになった今はどこにもきっかけが無い。
どうしよう。訊けない。完全に手詰まりだ。
何だか彼の様子がおかしい。そわそわしているというのか、落ち着かない様子で物思いにふけっていることが増えた。そんなときに声を掛けると、飛び上がらんばかりに驚いて真っ赤になっている。
一体どうしたというのだろう。この間のが冗談にしてはやりすぎたということだろうか。
自分の望んでいるものに気づいたのか。怯えているとか嫌がっているという様子ではないが、やはり複雑な気持ちなのだろう。ずっと一緒に暮らしたいというほどには互いが好きだとはいえ、同じ男だ。一足飛びに恋人に発展という流れには抵抗があるのだろう。
できるだけ刺激しないように気をつけることにしよう。
直江がスキンシップを控えるようになった気がする。前はおはようを言いながら頭を撫でてきたり、おかえりの挨拶のときには軽くハグをしたりしていたのに、それがなくなった。本人に向かっては言わないが、寂しい。
直江はオレに触りたくなくなったのだろうか。
それともやっぱりこの間のことと関係して、そういう衝動につながりそうなきっかけを控えるようにしたのか。
オレはもうすぐ十六になる。一方ヤツは二十七だ。この年齢差で関係を持ったらヤツは法に触れることになる。オレの同意があったとしても許されない。
しかも学校では教師と生徒だ。他人にバレたら大問題になる。
だから余計にヤツは触らなくなったのだろう。理性で抑えきれなくなったらお互い身の破滅だと。
理屈はわかっている。でも、気持ちはついていかない。ただ寂しい。
「なあ、直江」
夕食後の片付けを済ませて茶を飲んでいるときに、ふと少年が湯呑みに視線を落としたまま呟いた。言葉は呼びかけの形をしているが、それは溜め息を落とすのと殆ど同じ響きをしていた。
しかし相手は決して少年の言葉を拾い損ねることはない名レシーバーである。ちょうど大型犬がぴくりと両耳を持ち上げて反応するのと同じ仕草で、きれいな茶色の瞳を僅かに見張った。
「なんですか、高耶さん?」
そんな愛らしい様子にいつもなら愛玩心を鷲掴みにされて、頭やら顔やらをぐりぐりいじるところだが、少年は今日に限ってはその情動に流されるのをぐっとこらえ、
「ちょっと目ぇ閉じろ」
「は?」
「いいから」
脈絡のない要求を向けられた男が戸惑っていると、少年は立ち上がって相手の背後に回った。
すい、と両手を差し出し、振り向こうとした男の目を塞いでしまう。
「高耶さん?」
「これでいいや」
男の視界を奪ってほっとしたらしい声で少年は呟く。
「悪いけど、こうしないと落ち着かねーから」
「はあ」
ソファに掛けたまま視界を封じられた男は相手の意図を量りかねて口を閉じ、背後に立って男の両目を手のひらで塞いだ少年は、キュッと一度唇を引き結んで次の言葉を舌に乗せる覚悟を決めた。
「直江さ……最近オレに触らなくなったよな」
この数日間、二人の間に横たわっていた形のない不穏の気配に、少年はとうとう一石を投じた。
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