直江の表情は初めて見るほど険しくて、その眼差しはまるで火のようにオレを焼いた。
「無理すんな。オレなら一人でもやってける。これまでそうだったんだから。元に戻るだけだ」
強い感情を湛えた瞳の熱さに耐えられず少年が目を逸らすと、その頬に大きな手のひらが添えられて、やんわりと、しかし逃げを許さない断固とした意思を以って元の場所に戻される。
恐る恐る目を見返すと、直江の瞳の色は少し和らいでいた。ちゃんといつもの琥珀色が見えるくらいには。
「無理を言っているのは俺の方だ。血縁でもないあなたにお願いして一緒に暮らしたいと我が儘を言ってるんです」
瞳の炎は少しだけ和らいだけれど、直江の表情は苦しそうに歪んでいる。形の良い眉が寄せられて、深い皺が刻まれていた。
この男にははにかんだような笑顔が似合うのに。
「何と言って形容したらいいのかわかりませんが、俺はあなたと暮らしてとても楽しかったんです。兄弟でも親子でも親戚ですらないのに、ずっと一緒に暮らしたいなんてとても言えなかった。いつ出て行ってくれと言われるか恐々としていました」
少年は苦しげに言葉を紡いでゆく男を呆然と見つめていた。
この表情は、言葉どおりの理由からなのか。この男も、自分と同じ理由で苦しんでいたのか。
ずっと一緒にいたい、と。
「直江……」
オレたちは全くの他人なのに。
美人の奥さんもらって可愛い子どもを作って、絵に描いたような家庭を築くことこそが相応しい男なのに。
初恋の相手の子どもと、ただの高校生(しかも男子)と、ずっと一緒に暮らしたいなんて。
そんな選択肢を引き当ててしまうこの男は、一体どんな星の下に生まれてきたのだろう。
どう考えても運命の神様はこの男にばかり厳しすぎる。
―――そう、頭ではわかっているのに。
オレはどこまでも我が侭な子どもだ。
「でも今あなたが言ってくれたことが本当なら、どうかお願いします。このまま傍に置いてください。毎日おはようと言って、一緒に食事して、休日にはのんびりしたり出かけたり。そんなふうにずっと一緒にいさせてください。お願いします」
この男の選択が嬉しくて仕方がないなんて。
二回りも小さい体をぎゅっと抱きしめて懇願してくるのが可愛くて仕方ないなんて。
そして少年はしばし、男の抱擁を堪能していた。
この心地よい空間を今はまだ誰にも渡さなくていいのだと安堵して、その腕の強さや胸板の厚さを、立ちのぼる甘い匂いを、胸いっぱいに吸い込んだ。
一方の男は相手の応えがないことに鼓動を早め、恐る恐る問うた。
「やっぱり……だめですか」
「そ……じゃなくて……くるしい」
強く抱きしめられすぎて答えようがなかったという風を装って少年が呟く。
男が慌てて腕を緩めると、相手はふーと息を吐いて、こつんと額を男の胸板にぶつけた。
「直江がいたいなら……ずっといろ。好きな人ができて出て行きたくなるまで」
頑なだった背が丸みを帯びてゆくのを、いとおしそうに目を細めて見下ろしながら、男は囁くような甘い声を小さなつむじに向かって降らせた。
「出て行きたくなんてなりません。俺はあなたとの暮らしが本当に幸せなんだから」
「じゃあそう思ってる限りここにいろ」
額が胸板を押す力が僅かに強くなった。そう感じたのはきっと気のせいではない。
「あなたこそ、俺より一緒にいたい人ができたら、躊躇わないで言ってくださいね。あなたが幸せなら俺も幸せなんですから」
力を抜いた背に手のひらを添わせて抱き寄せるようにしながら、男も背を丸めて少年の耳元に唇を寄せた。
「何だよそれ。自己犠牲はやめろよ。おまえはおまえのしたいようにしろ。おまえこそオレに遠慮すんなよ」
男の胸板に押し付けられた頭がぐりぐりと振られ、少年の手が相手のシャツをきゅっと掴む。
「でも、俺の欲しいものとあなたの欲しいものが噛み合わないなら、俺はあなたが幸せである方を選びますよ。結局それが俺にとって一番幸せなんです」
黒いつやつやした髪に指を滑り込ませて、毛づくろいでもするように撫でながら、男は深い色をした声で少年に囁きかけた。
その瞳は優しい大型犬のそれとも、猛る獣のそれとも異なる色で、腕の中の存在を包み込むように見つめている。どんな仕打ちをされても構わないほどいとおしいものを見る目をしている。
「オレは……おまえが悲しいと幸せになれない。おまえが楽しそうにしてるのが好きだ」
そのいとおしい存在もまた、同じくらい重みのある言葉で男に応えた。
「ありがとう、高耶さん……」
男は少年の言葉に目を閉じ、一度緩めていた腕を再び締めて、一回りも小さな体を掻き抱いた。
きつくではなく、深く。
今度は少年も素直に力を抜いて身を凭せかけた。
二人はそうしてしばらく体温を分かち合った。
これまで奪い去られるばかりだった大切な存在をとうとう手に入れて、彼らは番いの小鳥のように寄り添って安らいだ。
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