同居人の広い胸の中、少年は涙声を搾り出す。
賽は投げられた。最初の一言を言ってしまったからには、もう堪えても仕方がない。
「おまえがここにいるのはお袋の思い出のためだ。お袋の忘れ形見だからオレと暮らしてるんだ」
殊更に淡々と話そうとしても、語尾が震えるのは、やはり修行が足りないのだろう。
これじゃあ駄々をこねる子どもと変わらない。
「高耶さん……」
耳の上から降る声がいつもと違うのは、呆れているからだろう。ここまで子どもだったとは、思っていなかったに違いない。
そう、彼は戸惑っている。
もう全部、言ってしまえ。これ以上呆れられることなんてないのだから。
「……お袋のことを吹っ切れたから出て行くんだろう?」
背を抱く腕が、宥めるように撫でる動きを止めた。
髪に滑り込んだ指も。
「今までぐずぐずしてたのはオレを置いていくのがかわいそうだと思ったからだろう?オレがおまえのいない生活に耐えられないって気づいたから置いていけなくなったんだろう?お袋の忘れ形見を泣かせたくないから」
とうとうぶちまけてしまった。
この男は何も悪くないのに、一方的に詰るような言い方で、我が侭をぶつけてしまった。
直江はどう思っているのだろう。
さっきは戸惑っていた。
でも今は、身動き一つしない。
呆れた?呆れ果てて、もう、返事も思いつかないくらいに?
少年と男の間に、沈黙が落ちた。
机の上に置かれた目覚まし時計のコチ、コチ、という音すら聞こえるほどの沈黙を幾つ数えた頃か。
少年が、ぐすりと鼻を啜った。
それをきっかけに、男が口を開く。
「高耶さん……本当に?」
腕の中に、棒のように固くなったままの体を閉じ込めたまま、僅かに震える声で呟いた。
「何がだよ。図星だろ?おまえ本当は出て行きたいんだろう?」
「高耶さん!」
男は胸に顔を伏せて涙の粒と共に言葉を絞り出す少年を、こみ上げる想いのままに掻き抱いた。
「なお……?」
その強さに驚いて、少年が顔を上げようとする。相手の腕はとても強くて叶わなかったけれど。
押し付けられた胸板から、相手の鼓動が伝わってくる。あの時のように。
「あなたは俺がいた方が幸せですか?本当に?」
問うてくる声が震えているのはなぜだろう。
胸板の奥から響いてくる鼓動がひどく早いのはなぜだろう。
「勝手なこと言ってると思うだろ。おまえがオレと暮らさなきゃいけない理由なんかないのに。ガキの面倒なんかまっぴら御免だよな。全くの他人なのにそんなこと、やってらんねえよな」
自嘲と自己嫌悪で語尾が消えそうになる。
身勝手に過ぎる欲望を、親にでも言うならともかく、赤の他人にぶつけるなんて。
「高耶さん!俺をずっとここに置いてくれるんですか?俺はここにいてもいいんですか?」
直江の声が震えている。否、昂っているという方が正確かもしれない。そう、まるで興奮しているみたいだ。
「おまえの気が済むまでいろって言っただろ。おまえ次第だ。オレが何か言うなんて……そんな権利、無い」
つい先ほど爆発させてしまった感情が、心を苛む。そんな権利は無いってわかっていたのに、あんなふうに我が侭をぶつけたのだ。この優しすぎる男に。
「なら、期間を無期限延長してください。お願いします!あなたの邪魔になるときまで」
そう、この男ならこのくらいのことは言いかねない。わかっていたのに。
「……そんなこと言わなくていい。義理なんか感じる必要ないんだ。出てったらいい。引き留めるようなこと言って悪かった」
優しい言葉がいっそ毒になる。その優しさが棘のように心を刺す。
やっと母を卒業しようとした男にこんなことを言わせてしまうなんて。
「義理なんかじゃない!俺はここにいたいんです。あなたの迷惑にならない限り、ずっと一緒にいたいんです」
直江はオレの肩を掴んで体を離し、まっすぐに目を合わせてきた。
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