彼女と
    わたしと
あなたを
       渡る

    桜花











 そのカメラ小僧は高耶の同級生で、学内にいつもカメラを持ち込んでいる武藤という生徒だった。
 高耶から話には聞いていたものの、まさかこんなところで鉢合わせるとは思いもよらなかった男は、しばし反応に迷った。
 そんな様子に気づいたか、犬から顔を上げた少年がこちらへ視線を向けた。知らない相手と対峙する光景が何かトラブルに巻き込まれているように見えたのか、目を見開いた次の瞬間には立ち上がり、走り出す。
「どうかしたのか?」
 息せき切って駆け込んできた少年は眉を顰めて困り顔の男のことしか目に入っていなかったらしい。反応したのは武藤が先だった。
「って、仰木?なんでお前まで……」
「え!武藤?なんでここに!」
 思いもかけない場所で顔を付き合わせた少年たちは互いに目を見開いて相手を指差し合っている。とはいえ、
「俺は写真だよ。いや〜いいのが撮れた」
 カメラ小僧はすぐに写真のことを思い出し、その出来栄えに思いを馳せ始めた。
「偶然か……」
 相手のいつものトリッパーぶりに高耶は肩を落とし、横を向いて溜め息をつく。

 なぜよりにもよって今日この場所に写真を撮りに来るのだろう。そもそもここは県外で、高校生が一人で遊びに行くには遠いし、それほど名の知られた観光地というわけでもないのに。

「で、お前はなんでこんなとこにいるんだ?それに橘先生まで。お前先生と知り合いになってたのか?」
 いつものように自分の世界へトリップしていた武藤は、今回は比較的早く現実世界に戻ってきて、珍しい取り合わせの二人に首を傾げた。意外に過ぎる二人の関係への好奇心は、写真の出来への陶酔をも凌駕するものであるらしい。
「それは……」
 どう答えようかと視線を流した少年は、男の眼差しに出会って口を閉じた。ここは自分に任せてくださいと茶色い瞳が語っている。
「実は、私の昔の恩師が仰木くんのお母さんだったんですよ。それで時々話したりしています」
 男はそう淀みなく告げて、いつもの教師スマイルを浮かべた。生徒は普段の癖で教師の言うことを丸呑みにして、ふんふんと頷いている。
「そうなんですか。世間て狭いですね」
「ええ本当に。……ところで武藤くん。写真を撮るなら被写体に予め許可を取るよう教わりませんでしたか?写真をやる人間ならまず叩き込まれる筈ですが」
 もともと武藤の思考回路の八割は写真への情熱に向けられている。
 ごく簡単な説明で充分に納得したらしい彼の表情を読み取り、男は今度は攻勢に転じた。彫刻のように整った顔に僅かに厳しさを浮かべるだけで、彼の迫力は五割増しになる。
「うわっ、すいません。あんまりいい絵だったもんでつい……」
 慌てて頭を掻く男子生徒は、目の前の二人の関係を勘ぐる気など完全に忘れ去った様子だ。
 傍らの少年が見事な誘導操作に感心していると、男の視線が彼のところへやってきた。
「仰木くん。どうしますか?」
「え?」
 目的語のない問いかけに、少年は長身の男の顔を見上げたまま僅かに首を傾げた。
「写真。無許可で撮られてしまいましたが、フィルムを回収しますか?」
 男の言葉に反応したのは武藤のほうが早かった。
「ええっ!それだけは勘弁してください!絶対、会心の出来なんですよ!見逃してください!せめて一枚だけでも現像させてくださいっ!」
 卒業の単位が揃わなくて教師に泣きつく学生も負けそうな悲痛な懇願である。
「だそうですが、どうします?」
 意見を聞いているような口振りとは裏腹に、男の目は何も言うなと言っている。何か考えがあるらしい。少年は男の指示通りに黙ったまま、武藤と男に交互に視線を動かした。
「頼むよ仰木ぃ!このとーり!」
 余程写真の出来に期待があるらしい武藤は土下座しかねない勢いで頭を下げて、そのまま動かない。
 少年達の間に沈黙が流れるのを潮時に、男が軽く手を打った。
「……じゃあ、こうしましょう。フィルムは現像まで預けておいて、現像が済んだら全て回収する。君は写真の出来を確認したいんだろう?」
 カメラ小僧の肩に軽く触れて顔を上げさせる。
「はっはい。それさえ見られたら」
 藁にも縋らんとする表情で激しく首を上下させる生徒に、教師は瞳をまっすぐ見据えるようにして言い聞かせた。
「ならば、今日ここで私たちに会ったことと、仰木くんのお母さんと私のことは口外しないよう。特定の生徒と親しくするのは他の生徒にあまりいい印象を与えませんからね。飲み込めたかな?」
「はいっ!ありがとうございますっ!
 さりげなく問題をすり替えて誓わせる操作は見事というべきだろう。武藤は大事な写真を救うために必死で、違和感を覚える余裕など全く持っていない。
「今後許可なく他人を撮ったりしないことも、誓えるな?」
「はいっ!」
 力一杯に頷く少年を、更にもう一押しとばかりに教師は言葉を重ねる。
「勿論学内でも同じですよ?」
「う、はい。気をつけます……」
 山ほど前科がある武藤は小さくなっている。男は一見、柔和に微笑んでいるだけなのにその重圧ときたらただ事ではない。蛇に睨まれたカエルの心境だったと武藤は後で友に打ち明けた。
 少年は自分の知る男の犬みたいな姿とのギャップを興味深く観察していた。

 あれが見せかけで自分が騙されているとは思わない。おそらくはあの姿こそが、他の誰にも見せない本当の彼なのだろう。少なくとも懸命に押し殺してきた傷つきやすい心の一部ではあるはずだ。


 なんだかんだとうまく武藤の興味の矛先をかわした男は、もう少し写真を撮って帰るという武藤にあまり遅くならないよう言いおいて、少年と帰途についた。




3

[ 彼女とわたしとあなたを渡る桜花 ]

09.05.11

はてさて意外な『目撃者』に出会ってしまった二人でしたが、うっしーは九割がた写真への情熱でできているので、あっさり口止めに応じてくれました。
それにしても、彼の高耶さんレーダーの高性能なことには驚きです(笑)


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(image by 新-arata- / midi by tam)